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飛行船

広い空ってのは、
都心で暮らす人にとって、
それだけで世界遺産級の感動がある。

ただ、空の写真を撮って「綺麗でしょ?」の押し売りみたいにやたらSNSに投稿する人たちがいるけど、
あれは本当にみっともない。



仕事で羽田にあるHICityという施設に行った。
少し時間があったので施設の野外スペースに出てみると、ちょうど日没の時分。
土地柄、背の高い建造物は建てられないため、僕の視界にオレンジ色と薄い青色の層だけが広がっていた。

その遠くの端っこの方には、
富士山の輪郭がしっかりと浮かび上がり、
澄んだ上空には気の早い星たちが煌めくもんだから、
足の裏が板にくっついたみたいに僕はそこから暫く動けなくなって、
オレンジ色の層が薄くなっていくまでずっと見続けた。
次第にオレンジがなくなって、全部が濃い青に変わった。またそれはそれで凄く良くて、欲張ってもっと上から眺めたくなり、
今いる所よりもう1つ上のデッキに向かった。

さっき見た光景とは打って変わって、
足湯スペースが点在し、
遠慮がちに光るイルミネーションがその周りを囲んでいた。
そして、その奥には羽田空港が広がっていた。


足湯に入ってしまっていたら、
きっと風邪を引くまで居続けてしまうだろうし、
カップル達の雰囲気にそぐわない自分を想像して、
立ったままその眺望を眺めた。


遠い上空の小さな点滅が、
よく見たら長い間隔の列を作っていて、
それはきっと見た目以上の間隔で、
何キロとかいう単位で点滅同士が距離を取っていた。

ゆっくりと近づいて来ると思ったら、
素性がはっきりした頃には
一瞬で滑走路へと消えていった。


そんな単純で豪快な光景を暫く眺めていた。

動かない星がまるで嫉妬したかのように主張を強めても、僕の関心はいつまでもこの点滅にあった。


昔からそうだった。
オリオン座にも冬の大三角形にも興味を沸いた事なんて一度も無かった。
でも、飛行機のあの点滅を見つけては、
視界から消えるまでただただその場で見届けた。
いつまでも見続けられた。  

小学の頃まで住んでいたアパートに大人になって入ってみたことがあった。
4階のベランダから見ていたあの頃の空は、
大人になって見上げた空よりもちょっとだけ高かった。
そのちょっとがとてつもなく寂しくなった。


「そんなに眺めて、星好きなんだ?」
って質問に
「星じゃないよ」
と答えた自分を笑った奴の意味が分からなかった。


あの点滅を見て何故ワクワクしないんだろうと不思議に思った。
でっかい鉄の塊が大勢の人を乗せて宙を舞って、
沢山の人が色んな事情を背負ってアレに乗っているんだと想像しただけでワクワクしてくる。
飛行機に乗ること自体、
大イベントのはずであって、
楽しいの象徴と言っても良いくらいだ。

だから、あんなに輝いてるんだし。

とまでは言わなかったが、
点滅一つ一つに思いを巡らせながら首を上げる自分を邪魔してほしくなかった。

そもそも、空を見上げることにすら色々理由があって、
なんで見上げているのかとか、
何を眺めているのかとかを聞くこと自体間違っている気がする。
今の僕のように、
いい歳した大人が一人でいつまで空を見上げていたら、
何か思い詰めてる人にしか見えないだろうけど。

勿論、僕は思い詰めてなんかなくて、
今眺めているこの点滅に、
一体何人の人がいて、どんな思いで居るんだろうって
想像しながら寒さに堪えていた。

文字通り天文学的なこの空を見上げたところで、
めちゃくちゃ些細なことにしか意識が飛ばない自分のスケールの小ささに笑ってしまう。

こうやって見上げて見る空をSNSに投稿したとて、
この感動は共有されない。

なんて事を言っておきながら、
思わず写真を撮って見事にいいね0件のツイートを世に晒した僕こそ、

本当の空回りだ。

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