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古きよき未来。訪れなかったもう一つの未来。



最近ようやく大人と子供の違いがわかってきました。
未来に行きたいか、行きたくないか、なんですよ。たぶん。

自分がそろそろ、未来には行きたくなくなってきたからなんでですけど。

大人になんかなりたくない。僕らはトイザらスキッズって。
昔ありましたけど、違う違う、そっちが大人です。

自分の望んでいた未来が来なかったから、もう未来に興味がなくなっちゃったんです。
(これ以上)大人になんかなりたくない、僕らは……なんなんでしょうね。



ということで、過去を懐かしんで、今に固執して、時代の変化にわざと取り残されようとしているのが今です。
中年の危機(Midlife crisis)、レトロデザイン。なつかしのXX、リバイバルブーム。
ここら辺にカネや人が集まるのもそういうことだと思います。
ある程度になるとね、一回限界が来るんですよ。
足元なんてもうぐらぐらですよ。


僕らは、もちろん子供の頃は未来に向かって一生懸命頑張っていたんですけれども、残念ながらその未来が来なかった。

たどり着いたのは自分の好きだったモノや文化がどんどん否定されていく、なんだか居心地の悪い未来。

環境に悪いとか、身体に悪いとか、教育に悪いとか、政治的に正しくないんですって。あらそうですか。
そんなこと急に言われましても。



もうこれ以上戦う勇気も力も時間も請っていないので、自分の心を守るために最後の力を振り絞って扉を閉じたんですよ。

老害だとか懐古厨だとか馬鹿にしてもらっても全然構いませんが、せめて放って置いて欲しいんですよね。

僕らだって困惑してるんです。
なんでこんなことになっているのか。

ビフにスポーツ年鑑渡したやつがいるんですかね。






僕らが子供の頃に想像していた未来、その来なかった未来とは難だったのか、あの古きよき未来とは何だったのか。

ちょっと考えてみたのですが、ひとつはやはりどんなに技術やテクノロジィが進化しても、判断は人間に委ねられているという部分なのかな、と思いました。

システムと人間の間の上下関係が明確であること。

自動車が電気で動くまではいいんですけど、ハンドルまでは奪わないで欲しかったんですよ。

自動車(Automobile)というのは馬などに牽かれずとも自ら動力を持つから自動車な訳であって、操縦もさせてくれない、自動で動く車(Auto-mobile)までは求めていませんでしたから。

でも、その過程で奪われた命が多すぎたから、仕方ないのかもしれませんね。

判断は人間には任せては置けない。

これは愚かな人類への罰なのかもしれません。
まあ、僕が轢いたわけじゃないんですけど。






もう一つは、単機能の道具と言う部分は変わらないで欲しかったといという所でしたね。「道具」を使いこなす技能を大切にしたかったんです。

でもカメラやビデオ、その他色々な機能を含む多くのハードは全て駆逐されて一つの機械のなかに統合されました。

人々はまだそれを電話(Phone)と呼びますが、誰かと電話している時間の割合なんて1%以下でしょう。

電話と呼ばれるこの機械はもはや機器の集合体であって、もはや道具ではないんですよね、

そこに統合された機能たちが本来盛っていた制御や機械要素は全て電子制御に変わって基本的には丸いボタンを一回触るだけで何もかもが自動的に行われるように作り変えられました。
道具ではないので使いこなすための知識や技術は不要です。
そもそもそのボタンさえ画面上にボタンのように描かれた絵です。

じゃあ今また毎日フィルムで写真を撮るかとか、ビデオテープレコーダを担ぐかとか、ワープロで文字を打ちたいかとか

そういうわけには行きませんけどね。

ただ、それぞれの道具達が進化するよりも速く、まさかカテゴリごと消滅していく未来なんて流石に想像できませんでしたよ。破壊的イノベーションとはよく言ったものです。
破壊して欲しいなんて思ったことないですけど。

その単品の道具たちも淘汰圧に負けないように頑張りすぎて、例えばカメラなんて気づいたらペンタプリズムもミラーも挙句の果てにシャッタ幕まで無くなってしまいましたよ。どうしてくれるんですか。 

あんな姿になってしまって。




最後に最も気に入らないのは、詭弁と欺瞞が正当化されてることですね。

本当の2015年を5年も過ぎた今、まだ車は空を飛んではいませんが飛ばそうとしている人々が一杯いますね。
でも、ただの大型の電動クアッドコプタに「空とぶクルマ」などという名前をつけるのはどうでしょう。
あれはクルマなんかではなく、人が乗れるドローンじゃないですか。

ちゃんとそう呼べ。せめて小型飛行機とよべ。

普通のクルマやスケボーが宙に浮く必然性はないし、テレビ電話とFAXが共存している世界が良いとも思わないけれど、僕らの夢だった所を焼畑みたいに全部焼き払ってからリチウムイオンバッテリ屋の金儲けの材料にするために変な理屈がさも正しい話みたいにまかり通ってるのが本当に悲しいんですよね。

EV、V2H、E-Bike、Eなんとか、充電式なんとか、なんとか、かんとか……。


昨日より今日、今日より明日がもっと良くなるという夢は神話としては美しいですけど、それをお題目に、既存のものたちの価値を毀損しなければ得られない繁栄なんてどう考えてもおかしい。

機械要素や基礎技術を電子制御で置き換えていった結果、継承も発展も進化も止まっていつかロストテクノロジィだらけになりますね。


こんなの実写版のディストピアSFですよ。


昨日より今日、今日より明日は確実に、状況は悪化してるじゃないですか。

心を止血しながら手術をする。
大人が幸せのカタチを固定できていないのにその子供が幸せになんてなれるわけ無い。

将来の夢なんて持てるわけない。

戦争と同じで、自分自身のちからではどうにもならないレベルで世の中が悪い方向に転がっているなかで、将来に夢を見られるとしたら余程の楽観主義者か、精神に異常をきたしてると思う。

僕にはむりですので、これから寿命が尽きるまで、過去ばかり振り返っていようと思いました。





そんな中、先日発表されたHONDAの新しい事業計画を見ました。

目を通してみると電動VTOL機が発表されていました。いやすげえな。

ついでにロボットとか、燃料電池技術で宇宙や月面でエネルギー供給するシステムだとか再使用型ロケットとか、たかがエンジンがなくなるくらいで悲観している僕らのような古い人間を尻目に未来に向けて全力で行くつもりのようです。
ブリジストンもトヨタも月で使えるタイヤとクルマを開発するとか。



なるほど、勝手に悲観していた僕のなんと視野の狭いことか。

子供の頃は将来乗れもしないロケットに熱中していたのに。

自分に関係あるかないか、自分の役に立つかどうか、自分が操縦できるかどうか、そんな些細なことはどうでも良かったんですよね。

過去ばかり見ても仕方ない。なんか勇気が出てきました。

子供の頃のような好奇心を奮い立たせて、少しでも面白い老人になれるよう努力してみようかと思わせてくれました。


あなたの中の、古きよき未来は、どんな未来でしたか。

お疲れ様でした。1985年型の未来はそろそろおしまいにしましょう。


新しい未来にむけてもう一度脚を踏み出してみませんか。

いまからでも間に合います。




大丈夫、まだ屈紐を自分で結ぶ自由は残されていますよ。


これからいく所には、道などないのです。






おしまい。





※ジョーズ15は流石にありませんでしたが、それを優に超える数のサメ映画が世の中に溢れて、スターウォーズやジュラシックパークがいまだにドル箱コンテンツで、漫画原作とリメイクとリブートを繰り返している映画界を観れば、あれはあながち外したとまでは言えなかったですね。









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