見出し画像

感情表現が苦手な私と"感情の図書館"

私は歌うことが好きだ。好きというだけで、歌うことに関して特別何者でもない。歌っている時にだけ「生」を実感できることがある。何も責任を伴わないこの行為が、時に自分を落ち込ませる。ただそれだけだ。


会話での感情表現が苦手な私と、”借り物の感情”を使って歌うことについて。
難儀な女の日記です。
タメにならないけどちょっとだけ共感したりしなかったり、普段見れない他人の頭の中を覗く気分で気軽に読んでね。


心が欠落している、自覚はない、劣等感はある

「絶対思ってないよね(笑)」

距離のある人と近づきかけたタイミングで、私に”効く”言葉ランキング堂々の1位。言われた瞬間に心のシャッターを完全に閉じてしまうこともある。そんな最悪のルートを辿るときは、すでに相手を面倒だと思っている場合が多いけど。

どうも発話に感情が乗らないタチらしく、私から出る言葉は温度が冷たい。
一度”心が欠落している冷淡なキャラクター”のレッテルを貼られると、「そんなことないですよ!本当に思ってますよ!」といくら弁明しても──そして実際に思っていても──覆ることはない。
特に、誰からも愛されてきたような人間の鼻っ柱をへし折るには十二分な威力らしい。彼らはそのショックからか時にイジリとして必死に定着させてくる。
最近は誤解を解こうとすることに疲れてしまった。

要するに、いい歳こいて会話が大下手なのだ。

生涯ひとりでいてやる、と言い切れるほど肝が据わっていないから、社会生活を送る上でコミュニケーションを上手に取れるに越したことはない。天性の「コミュ強」を除いて大半の人は、そしてあなたも、日々苦労して相手のことを知ろうとして、会話のきっかけを掴んで、リアクションをして、空気を読む努力をしているだろう。
こういった技術が必要なシーンは二十数年も生きていたらあたりまえに何度も遭遇する。しかし私はあまりに成長の見込みがない、らしい。”心の欠落”を指摘される回数が尋常じゃない。
どこまで相手に踏み込んでいいかわからない、社交辞令の嘘が下手、口から出す言葉を考えすぎる、受け身の姿勢、といった”心の欠落”を構成する要因らしきものは、私と、過去の経験たちに詰まっていることが薄らとわかってきた。一応改善の努力はしていても、この後に及んでまだ深い自覚には至っていない。解消しないのも当然かもしれない。
原因に考えを巡らせても埒が開かないのでそれはそれとして。自分から自然に出た行為が不自然だと言われること、”自然”に振る舞えないことへの劣等感はずっと付き纏っている。
また間違えた、そう思うたびに何日も引き摺る。
にこやかな表情で相手の話に耳を傾けることはできるようになっても、いざ相槌を打つ、効果的な質問を挟まなければならないターンになると、何を・どの声の高さ・大きさで言えばいいのかが全くわからない。精一杯その時に「普通」っぽいと思われる反応を選ぶだけ。頭が真っ白だ。

サプライズが苦手

”心の欠落”を向けてしまう矛先は何も他人だけではない。大学時代、恋人からのサプライズが苦手だった。
例えば誕生日だからとちょっと背伸びした店に行くと、女性である私を大体奥側に座らせてくれる。そうすると嫌でもサプライズのケーキが運ばれてくるのがよく見えてしまう。まだ人付き合いが自然体でできなかった10代後半〜20歳そこそこの私は、慣れないながらも喜ぶリアクションを取ろうとする。嬉しいは嬉しいのだが、どう表現するのが正解なのかわからない。「ウレシイ」「アリガトウ」「スキ」をただの音にしか感じられないし、自分の口から出てきた時に外国語を話している気分になる。どの言葉を次に繋げば良いのかがわからない。「これ前から欲しかったんだ」?「さすが、わかってる」?「これのここがすごく好き」?
ここではた、と”普通の彼女”のリアクションができていない自分に気がつく。「もしかして喜んで無いと思われているのではないか」「店員はぎこちないリアクションに違和感を覚えるのではないか」ぐるぐる考え出すと、余計にわからなくなる。どれだけ考えても他人の気持ちなどわかるはずもないので、自分が主語の悩みから抜け出せなかった。
「わ、嬉しー…ありがとう。え、本当にありがとう。」重ねるほど宙に浮いていく自分の言葉に耐えられないのに、突然湧いて出てきたかのような演技をしないといけない状況はさらにハードルが高く、全く上の空になってしまう。
ついに恋人へはサプライズをしないでほしいと伝えてしまった。

愛情表現の採点

ここから先は

3,841字

¥ 150

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?