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一人で頑張っているとき

何かを目指してたりすると、ふとした時に周りの人たちがいなくなっていることがありました。
私は、勉強を始めたときから、自分はみんなみたいによーいドンで就活のスタートを切れなかったんだ、ということを自覚していました。
情けないな、と思ったり、でも自分はこうとしか生きられなかったんだからしょうがない、と思うこともあったり。。。
まあ、周りとやっぱり比べちゃうんですよね。

比べなくていいと言われてもやっぱり、比べてしまう。
人と同じことができない自分のことを認めたくないと思ってしまう。

そうだとしても、人より遅れていても、それでも頑張る。
そう思ってやってきました。
自分が頑張れるときに頑張るしかない。
当たり前のようでこのことを自分の心に落とし込むのに時間がかかったようなきがします。

しかも、なかなか同じような状況のひとも身近にいませんでした。人間一人一人同じ状況の人なんかいないのに、自分だけこんな大変なんだ、とか思っていました。今思うと、全然そんなことない。
みんな不安な気持ちと毎日戦いながら必死に勉強とも自分とも向き合っていたんだと今なら分かります。

諦めてしまうのも自分次第だし、あきらめないで踏ん張るのも自分次第。
どうせそう長くは生きられないんだから、あと一回だけ頑張っちゃう?って思って、吹っ切って試験と向き合っていました。


私は、この管制官の試験のために全部で2年間くらい勉強しました。でも、ただ勉強だけしていたというよりかは、心も鍛えられました。
もう何のためにやっているのか分からなくなった時、とにかく逃げずにやることが大事だと気づけました。

全然数的処理が解けるようにならなかったとき、がむしゃらにやってたらいつの間にか過去の自分を追い越してたりしました。

健康とのバランスが大事なことにも気づけました。

諦めるなんて、過去の自分に失礼だな、と思えたりしました。


苦しい時にこそ、なんかこれが大事だよね、っていうものが見えてくるものだと思います。

この期間で感じたこと、きっとそのうち忘れちゃうこともあると思うけど、できるだけ覚えておきたいと思います。

そして、一人で頑張っていると思っていたけど、応援してくれた両親や数名ですが、電話をしてくれた友人がいました。
私は今友達と呼べる人が3人しかいません。ほんとに3人しかいないんです。怖いですけど、でももし一人でも味方がいれば、ちょっとだけ勇気がもらえる瞬間があります。
身内ではなくて、誰か一人自分のことを鼓舞してくれたり、憧れの人がいるだけでも生きる意味になりました。

生きてる意味とか、目標とか、たまあに分からなくなることもあるけど、ちょっとでも自分の理想に近づくために頑張ってるんだと思いこませたりして何とかやってこれました。

今も、これ以上に上手くできた方法なんて分かりませんが、一応生きて何とか笑える日が来たので、今までの自分の過ちや罪も少し許してもいいかな、と思えるようになりました。

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