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どんな自分でも愛せる方がサステナブル(使い方合ってる?)

こんにちは!
今日は『なにもない自分を愛していきたいな』
というテーマで書いてみたいと思います。


どうしても条件付きの愛がベースで育っていると、
『ただ存在するだけじゃダメだ』とか、
『かんばって何者かにならねばならぬ』とか、
『人の役に立ってなんぼや』とか、
自分で自分を追い詰めるような考え方を採用気味なんだけど、


それって果たして必要なんかな?
本当はもう必要ないんじゃないかな?

確かに、誰かのお役に立てたり、
何かしらのポジションについていたり、
人より何かで優れているとよいような気もする。


そして、そっち方面の努力を重ねてきた自分もいる。


ただ、心の奥底で『そのままの自分をもっと愛して』
『なにもない私も愛して』
『何者でもない私をもっと愛して』
そんな風に思ってる自分がいるんよ。


よく、経済的に豊かな男性が
『僕にお金があるから僕のこと好きなのかな?』
とか、
見目麗しい美人の女性が
『私がこの外見じゃなかったら、この人は私のこと好きになったかな?』
とか、不安に思うらしいという話を聞いたことがあるが、


そういうのって、
特になにもない私みたいなものでもチラと思う感情だったりする。


人って、無装備でも、課金なしでも、持参金ゼロでも、
つまりは、そっくりそのままの状態で愛されたいんや!


でね、だからこそね、
自分に今なにもないとすれば、
めっちゃチャンスやん!って思うんです。


この限りなくゼロに近い状態から、自分のことが大好きで、
バリバリ愛せたら、
この先、色々とオプションが付いても、
『どうであっても自分は自分を愛している』と、
強気で生きていけるんじゃないかなって。
そう思ったの!


だからね、今、何もない自分を誇って!
何者でもない自分に喜んで!
だって今が最大に自分のことを愛するチャンスやん?


売れない自分を愛せたら(失礼!)
売れてる自分なんて余裕で愛せるのだろうし、
周りの評価などそれこそ、気にならなくなるでしょう?


私はそっちの方が好きかな。
だからなにもないって素晴らしいな!
本気でそう思ってんだ。

『何かを得てないと愛されない』ってのは、
そろそろ、いらーん!
それをこそ疑った方がよき!


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