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稲荷神社の狐像について

稲荷神社には対をなす狛犬風の狐像がよく見られます。

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渋谷氷川神社末社稲荷神社(2019年筆者撮影、以下同じ)

しかし今の所これらには定まった名称というものが無いようです。

「狛狐」などと呼ばれることもありますが、しかし「コマ」とは「高麗」であって「異国の」というような意味でしかないのですから、あまり適切な呼称とは言えないでしょう(そもそも獅子・狛犬で一対なのですし)。

ここではもう少しだけ妥当かもしれない名称として「狛犬狐」という名を仮に用いてみます。

この狛犬狐、狛犬のパロディとして始まったものであるとは思われますが、その起源はさほど古いものではなさそうです。

吹上稲荷神社

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現存する東京(江戸)最古の狛犬狐は文京区大塚の吹上稲荷神社のものです。あるいは日本最古かもしれません。

宝暦12年(1762)奉納。これより古い日付を持つ狛犬狐を私は知りません。

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向かって右が阿形、左が吽形で対になっています。

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吽形の方には角(あるいは宝珠)が破損したような跡があり、伝統的な獅子・狛犬の様式を踏襲していたようです。

しかし現在一般的な狛犬狐とは面構えが随分異なりますね。平面的で狐のお面に体をつけたような感じです。

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吹上稲荷神社は、元々江戸城の吹上御殿にあった稲荷神社を松平大学頭が拝領し、さらに宝暦元年(1751)に大塚村の総鎮守となった経緯を持ちます。したがってこの狛犬狐は大塚に移ってからのものです。神社はその後も遷移を繰り返し、明治45年(1912)に現在地に遷座しました。

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王子稲荷神社

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歌川広重『名所江戸百景』王子稲荷の社、安政4年

王子稲荷は「関東稲荷総司」を称し、江戸で最も栄えた稲荷神社の一つです。東京で2番目に古い狛犬狐がこの王子稲荷神社にあります。

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右側、狐にあるまじきタレ目で大変ユーモラスなお顔。棒のような前脚もキュート。口は開いていません。

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宝暦14年(1764)奉納。しかし18世紀のものとは思えぬ突き抜けたデザインセンスです。

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左側は大きく作風が異なり、クールな雰囲気。

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歌川広重『名所江戸百景』王子装束ゑの木大晦日の狐火、安政4年

王子稲荷境内には他にも古い狛犬狐が見られます。

明和元年(1764)、右側の首はオリジナルのものではないようですが、おそらく元も口は開いていたのでしょう。

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左側。口を閉じ、頭には宝珠が載っています。

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享和2年(1802)、やはり阿吽の対になっています。しかし失礼ながら全く狐には見えませんね。

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実際東京都内に残る江戸時代の狛犬狐は全部で17対程度しか確認されておらず、その中でも初期の作例が3つも残っているのは、さすがは王子稲荷といったところです。

三囲神社

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勝川春章『正一位三囲稲荷大明神』天明年間

春章の浮世絵に描かれた向島の三囲神社の初午祭りでは、子供たちが現代の狛犬狐と変わらぬような狐像を掲げ持っています。子供が2人で持てるのですから石像ではないでしょうが。

しかし現在三囲神社の参道を守る狛犬狐はこれとは大分趣が違います。

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享和2年(1802)奉納。

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阿吽で対になり両方とも宝珠を頭に載せています。

この通称「三囲のコンコンさん」、実に濃い顔立ちをしています。目つきがなんともいやらしい。かつて垂れ目の人を「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうですが、これは褒め言葉なのか貶し言葉なのか。

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阿那稲荷神社

品川神社の末社。「阿那」は「穴」の意。上社と下社に分かれており、下社には名の通り狐穴があります。

全国の稲荷神社の狐穴はワープホールで伏見稲荷に通じているとか。

おそらく穴についての信仰が先にあり(狐塚)、宇迦之御魂神を祀る稲荷神社という体裁が広まったのは後のことなのでしょう。

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上社の参道には古い江戸時代の狛犬狐があります。

正面から視線をそらすような独特の姿勢。

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分かりづらいですけど、ちゃんと阿吽になっています。

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見るからに古風ですが、奉納年が読みづらく。文献では文政7年(1824)とされていますが、私には安政7年(1860)とも読めます。難儀なことにどちらも申年。あるいは位置的にこれは申ではなく甲か。なら甲申の文政7年ということになります。

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参道脇に並べて置かれている損傷の激しい狛犬狐も、天保12年(1841)奉納の江戸狐です。

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豊川稲荷東京別院

赤坂にある豊川稲荷東京別院は、神社ではなく曹洞宗の寺院です。朝には太鼓を伴ったリズミカルな読経が聴かれます。

ここは東京で最も多くの狛犬狐を見られる場所かもしれません。豊川稲荷では「霊狐」と呼称しています。

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ここにも江戸時代の狛犬狐があり、「子だき狐」と呼ばれています。

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右側は宝珠を手にしています。

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万延元年(1860)奉納。

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この作例は現代の狛犬狐にかなり近いですね。子狐や宝珠、さらに鍵や巻物などのオプションは現代のものにもよく見られます。子狐は子連れの狛犬に倣ったものでしょう。

余談ながら近くには謎多き猫の稲荷、美喜井稲荷があります。こちらも美安温閣(みゃおんかく)という仏教系の寺院です。

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多武峯内藤神社末社稲荷神社

新宿御苑の東に鎮座する多武峯内藤神社の末社に江戸時代の狛犬狐があります。

左は宝珠、右は鍵を持ち、左右ともに口は閉じています。ややネズミっぽいですが洗練された造形です。

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表面がつやつやしていて、古く見えませんが、嘉永元年(1848)奉納。

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威徳稲荷神社

新宿の花園神社の末社。男根信仰で知られるこの稲荷にも江戸時代の狛犬狐があります。

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左右ともに子持ちです、可愛いですね。

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嘉永6年(1853年)奉納。神社自体は昭和3年創建とされているので、それよりも古いのですが、来歴は不明です。

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こうしてみると、18世紀から19世紀初頭の狛犬狐は個性が強く、19世紀中頃から様式が安定してくるように思えます。一般に普及したのもその頃と考えられるでしょう。

これはあくまで東京という限られた地域のサンプルから得られた推測に過ぎないので、全国的な調査を行えばまた違った発見があるはずです。

しかし初期狛犬狐の面々を見るにつけ、これらを造った職人は狐という動物を見たことがあったのか非常に疑わしく思えてきます。実際当時の江戸で狐を間近に見る機会など、ほとんど無かったのではないでしょうか。

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