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「繭の中」 戸浦嗣美 前編

携帯が鳴る。

表示された名前を見てため息をつく。切ってしまえばいいのだが、私にはそれができない。

「出るのが遅いじゃない。どこへ行ってたの。」

母からだ。私は曖昧な返事をしながら思う。この人は、いつも自分の立場からしか物を言わない。

電話の内容は大したものではなく、自分の姉である伯母の悪口、父に対する愚痴、近所の噂話、そして最後は必ず同じセリフ。

「お兄ちゃんが生きていればよかったのに。」

明日早いからと言って切ろうとすると、いつ帰ってくるのかと聞く。「仕事があるから当分帰れない。」と言うとそれほど重要な仕事なのかと問う。

いい加減受け答えをするのが嫌になり強引に通話を切る。帰省したらまた言われるのだろう。あなたは冷たい。お兄ちゃんはそうじゃなかった。

私と兄は7つ違いだ。私が13の年、20歳になったばかりの兄はバイク事故で死んだ。兄が死んだ時、母は半狂乱になった。

優等生と言われた兄の唯一の反抗がバイク趣味だった。危ないからやめろと言う母に何度も根気強く言い聞かせた。

大丈夫だよ、母さん。速度を守って安全運転をするから。

兄は居眠り運転で車線をはみ出したダンプカーに巻き込まれた。相手の運転手は浅い怪我で済んだ。運転手の所属する会社の弁護士と社長が焼香に来たが運転手は拘留中で姿を見せなかった。

大声で罵り叫び泣き喚く母を父が制した。父の制止を振り切ってなお叫び続ける母を伯母が平手打ちし、伯父が中に割って入ってようやく母は叫ぶのをやめた。そして、その場にしゃがみ込むと子供のように泣きじゃくった。私は母の一部始終を見ていながら動けなかった。大声で子供のように泣く母親を見て呆然とするばかりだった。

母は私よりも兄の方を溺愛していた。兄は優秀で母の出す要求を過不足なく満たした。兄に課した習い事や塾は、当然私にも課せられた。兄と違ってそれらに馴染めかった私は次第にお腹が痛いと言って休むようになり、強いて連れて行こうとする母に泣いて抵抗した。

「お兄ちゃんはできたのに。」

それが母の口癖だった。事あるごとに兄と比較され「嗣美は何も出来ないから。」と言うのが私に対するお定まりのセリフだった。

正月やお盆に親戚が集まるとなんでもできる兄の自慢と何もできない嗣美の愚痴が母の話の常だった。素知らぬふりをしながら子供心に自分のことを話しているのだとわかってはいた。伯母が眉を顰めてこう言ったのを覚えている。

「あんたは何もできないと言いながら嗣美が望むことをさせてないじゃないか。あんたが望むことが出来ないからといって全て出来ないと言うのは間違ってるよ。」

教師だった伯母から言われて母は不服そうに話題を変えた。専業主婦だった母は、伯母には劣等感を持っていたように思う。

比較されて育てば兄妹仲は悪くなりそうなものだが、年が違うこともあり兄は私にも優しく、私は兄が好きだった。兄のお下がりの本を貰ってよく読んだ。何事にも丁寧な兄が読んだ本はいずれも綺麗でお下がりという感じがしなかった。

母は頭が痛いと言って寝込むことが多かった。そんな時、私たち兄妹の面倒を見てくれたのが伯母だった。伯母はある時、本屋に私達を連れて行った。

「なんでも好きな本を買ってあげるよ。」と言われて兄は決して母が買い与えないであろうバイク雑誌を、私はきれいな絵に惹かれて海外の絵本を選んだ。

今思えばそれはとても高価なものだったが当時の私が知る由もない。わくわくした私の気持ちは「伯母さんにお金つかわせてどういうつもりなの!」という母の一言でペシャンコになった。それでもその本は宝物となり、本に惑溺するきっかけとなった。

本を読めば頭が良くなると信じていた母は、私が日がな一日没頭していてもあれこれ口を出すことはなかった。本を読むことで母の干渉からもチクチクするような小言からも解放され、思う存分楽しむことができた。心から。










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