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スピリチュアル的な観点での経営者リテラシー

スピリチュアルが役に立つ?

スピリチュアルも立派な経営者リテラシーの一つです。今や非常に多くの経営者や起業家がMBAや情報システム関連の勉強をしますが、勉強ができたからといって経営ができるわけではないのもまた事実です。
コンサルの仕事をしていると色々な経営者の方とお会いするのですが、面白いのはうまくいっていないところほどスピリチュアルな観点を積極的に否定したがる傾向があるのです。
利益が出ていたり、経営がしっかりしていて万全なところに限って、スピリチュアリティを無下にしない。一見して矛盾しているようですが、この傾向に興味が湧いて自分なりに掘り下げてみたのが今回の記事の要点です。
例えばスピリチュアルに傾倒していた名士で稲盛和夫さんやShu Uemuraが有名ですね。そこまで有名でなくても、巷の経営者で稼いでいる経営者ほどスピリチュアルは大事にする傾向が強くなりますし、反対に破綻寸前の企業の経営者を訪れるとスピリチュアルを頑固否定します。
一体なぜこのような面白いバイアスが起こり得るのでしょうか?

基本的な「スピリチュアル」の捉え方から

まずスピリチュアルとは、科学でないもののうち真理に限りなく近い法則性をスピリチュアルと呼ぶことにします。
その点を基礎にして発言するとなると、現実主義者だからと言って科学者とは違うし、現実主義者だからと言ってスピリチュアルを否定しないことがわかります。
例えば現実には科学で立証できないことが9割以上なのと、科学者にとってみれば現実世界というもの自体がすでに一番のスピリチュアルだと言うことです。
この理由は物理学の解明を進めている立場にある人に限ってのことですが、果たして現実というものは実在するのか?という命題は残念ながら文明が発展すればするほど混沌を極めています。
現実主義者にとってみても同様です。現実の事態の解決を優先しようと思えば思うほどコントロール不能なことが増えていく。また実際に経営資源を活用して利益を伸ばそうと思えば思うほど、自分のコントロールの外にある要因についてセンシティブに反応する。
実は、最初に提示しておける法則性として、スピリチュアルを否定する方が共通しているのは別に現実主義というわけではなく単に「コントロール不能な世界に対する恐怖心」の表れだということがわかります。そう考えると、うまくいっている経営者がうまくいっているのは「コントロール不能な領域に対してネガティブにならないどころか、味方につけている」ことがわかります。

人間心理とスピリチュアリティの違い

ここで、色々と挙げる前に確認したいのですが、人間心理とスピリチュアルの違いです。
スピリチュアルの定義は諸論あるとしても概ね次のような概念として理解されています。

The meaning of spirituality has developed and expanded over time, and various meanings can be found alongside each other. Traditionally, spirituality referred to a religious process of re-formation which "aims to recover the original shape of man", oriented at "the image of God" as exemplified by the founders and sacred texts of the religions of the world. The term was used within early Christianity to refer to a life oriented toward the Holy Spirit and broadened during the Late Middle Ages to include mental aspects of life
In modern times, the term both spread to other religious traditions[8] and broadened to refer to a wider range of experience, including a range of esoteric and religious traditions. Modern usages tend to refer to a subjective experience of a sacred dimension[9] and the "deepest values and meanings by which people live", often in a context separate from organized religious institutions. This may involve belief in a supernatural realm beyond the ordinarily observable world, personal growth, a quest for an ultimate or sacred meaning, religious experience, or an encounter with one's own "inner dimension"

Wikipedia

つまり、古くは「神聖な存在との繋がり」から始まり現代では「内なる自己との出会い」と結論づけられています。
心理学の定義はご周知の通りですが、あえて狭義に見るならばこのような具体的例で挙げることができます。

Psychologists are involved in research on perception, cognition, attention, emotion, intelligence, subjective experiences, motivation, brain functioning, and personality. Psychologists' interests extend to interpersonal relationships, psychological resilience, family resilience, and other areas within social psychology. They also consider the unconscious mind.[3] Research psychologists employ empirical methods to infer causal and correlational relationships between psychosocial variables. Some, but not all, clinical and counseling psychologists rely on symbolic interpretation.

Wikipedia

違いはスピリチュアルが検証を要しないのに対し、心理学は検証を試みる点。科学とスピリチュアルの明確な違いもそれ。スピリチュアルも原因結果の法則性について指し示す試みである点においては科学や心理学と同様ですので明確な違いを挙げるにはディテールの上での差異しかないです。

加えて、最近のスピリチュアルの傾向もハイリテラシーな人が求める傾向があり徐々にその体系化が進んでおり、科学側も興味を示して実験科学を導入していることもありますので、全体的にはその境界線が曖昧になっていることも示唆しておきたいと思います。それはおおよそゆっくりではあるものの、かつて占星術から天文学が、錬金術から化学が生まれたのとは違い、今度は統合し始めているということです。

スピリチュアル基礎理論

先ほどの定義から、スピリチュアルとはつまり「神聖なものや外部のより大きな存在とのつながりを求め、最後には内なる自己との出会いを求める」としたとします。

日本のスピリチュアルといえばイタコが有名ですが自己憑依と言いますか、あまりに無防備なシャーマニズムなのでかなり古典的。スピリチュアル概論の中では石槍や石板みたいなものです。

そこから進んで神道は意外とキャラ設定が細やかでより文明的になります。他の宗教等と同様人為的に歪められた経緯はあるかもしれませんが、日本版の自然崇拝、西洋のパンテオンのようなものです。

仏教はどうか。これはキャラが濃いです。無神教でありより人類に寄り添ったタイプの宗教(宗教とスピリチュアルは若干違いますが大は小を兼ねるので宗教はスピリチュアルの一科に位置するものとします)。ここまでくると割と近現代文明的だなと思いますね。もちろんこの比喩は新旧の問題ではなく、性質的な由来です。

こうやって宗教だけでも俯瞰してみると、パンテオンやオラクルと神道、仏教の違いはパンテオンやオラクルがより大きな存在たちとのつながりを探求するのに比して仏教はよりストイックで自己の内省に着眼点が移ります。もちろんパンテオンや神道などが自己を追求しないとは言いませんが、主眼がどこにあるかで論じての概算の話です。

話をスピリチュアル(Spilituality)に戻すと、現代のスピリチュアルは科学や神話の世界、宗教からも独立している独自の体系を築いています。もっというと、これまで分断されてきたあらゆる分野が統合されていますが、スピリチュアルはスピリチュアル独自の考えやアプローチを持つようになった、という方が正しいのではないでしょうか。

定義は先に掲げた通りだとして、例えばどのような考え方があるのか、次項から述べてみたいと思います。

1. 人間にできることは実行だけ。

「スピリチュアルとは」の定義通りですし、これまでの古いシャーマニズムから現代のスピリチュアルまで一貫して変わらないのはこの部分だけかもしれません。結局のところ、人間は無力なのだ、ということだけです。

しかし、計画を練ったり、実行することはできます。

大切なのは、自分ができること、できないことをしっかりと切り分けて考えることができ、なおかつ実行に移すことができるという、その点のみです。

最近はなんでも便利ですし、文明が進むにつれて青年期のままで万能感が残ったまま気ばかりが大きくなって自分ができないことにまで手を出してしまい回復不能なところまで深い痛手を負う事も、珍しくはありません。

とはいえ、全く何の挑戦もなく自堕落に暮らすのも、変化に貧しく成長機会もありません。

自分の分を見極め、自分が与えられた今日という一日の命に感謝しつつ、そのいただいた命で自分は何ができるだろうか? 少しでも世界に対して与える活動はできただろうか?

そういう気持ちで日々を過ごしている限りおかしなことにはなりません。

経営にも全く同じ事が言えます。

2. ありがとう、と感謝することから始まる

人は気が大きくなると感謝の心を忘れてしまいます。自分はなんでもできるのだ、他人などいらないのだ、俺がいるだけありがたいと思え、と。

忘れてはいけないのは、誰もがそうなる可能性を持っているという事です。いつでも傲慢になってしまう。残念なことにそういう生き物です。

経営も、「与えることから始めよ」とは松下幸之助の有名な言葉ですが、与えることは何もお金がなくてもできることはたくさんあります。
例えばやってもらえることに感謝を忘れていると、やってもらうのが当たり前のわからんちんな人になってしまいます。特に日本の場合、豊かすぎるせいかサービス過剰になっており、「金を払ったんだからやれよ」みたいな人を海外よりも多く見かける側面があります。どこまでいっても消費者が偉くて、提供者は貧しいのです。結論、だからデフレになるのです。

そうじゃなくて、やっていただいている、きていただいている、連絡をしていただいているという考えがベースにあれば、外国人のようにきっともっと人に対して笑顔でいられると思うのですね。そうでないから、今の日本社会のように取り合いになってしまうんですね。

仏教的な観念を引き合いに出さずとも世界はあなたの像です。あなた自身の心です。だから、あなた自身があなた自身の意志で与えることを始めなければ、誰もあなたに与えない。私たちはいつだってそのことを忘れがちです。

これは、経営にも同じ事が言えます。お客さまにきて頂いている、委託先についても、請け負っていただいている、そういう感謝の輪が、経営の循環を良好に保ってくれるのだと思います。

お金がなくて辛かったとしても、それは何か自分が間違っている証拠です。誰も間違っていません。事業収益は、あなたが他人に懸けた愛情の結果ですし、それは最終的に裏切りません。そう思えないうちは、経営はまだ無理なのです。

3. 落ち着いて考えたり、振り返る時間を持てているか?

時間は待ってはくれません。しかし、判断ミスによる損失の方がより自分を困窮させることをご存知でしょうか。

判断を間違えると、それを差し替えたり取り替えたりするだけで時間を無駄にすることになります。

確かにお金は稼げばいい。だけれど、お金を稼ぐにも時間がいるのです。だから意思判断や決定を鈍らせる要因や、惑わせる要因は徹底排除する必要があります。

これはスピリチュアルの世界でも同じで、やや眉唾も含まれるかもしれませんが、他人があなたの領域を侵犯する可能性もなきにしもあらず。また精神が乱れていると乱れている現象を引き寄せやすいと言います。

現実だから自分とは関係ない、と思っていても、その現実を見ている自分がまず自分の選んできた積み重ねの結果です。したがって、自分の選択が世界を作っているといっても過言ではないのです。

選択による損失カバーのために振り回されるよりは、自分の中で固まっているエネルギーを解放し、自己と現実とを一致させる。

そのためにも、ゆっくりと内観できる時間を持つことは、何事にも代え難い投資なのだと思ってください。


うまくいく経営者がスピリチュアルを否定しないわけ

少しだけですが、経営に役立つスピリチュアルな考え方を提示してみました。世界は確かに思い通りにいかないこともたくさんあります。しかし、あなた自身があなた自身の方向を決定する操縦士であることになんら変わりはありません(スピリチュアルな世界ではこれを魂(Soul)とスピリットの業と言ったりします)。
だからこそ、車の運転と同じで、自分の理想が何なのか、理想状態を作る自分の中にあるものは何なのかについて深い内観の結果が自然状態なのだとここで一旦結論づけておきつつ、なぜ上級経営者がスピリチュアルを勉強するのかについても紐づけておきたい。


経営とは自己との統合の過程そのものである。

経営者なら最初に学ぶのは全てが自己責任であるということです。
他社から損害を受けたとしてもその関係性を築いたのも取引を選んだのも自分です。なので、全て自己責任だと言い切る事ができます。

うまくいかなかったとてあなたを責める必要性はないと思いますが、経営者になると自分以外誰も責任を負えないということだけは理解しておく必要があるのです。

したがって、経営というのは自己統合のプロセスだと言いたいのです。

その上で事業とは、自己表現の場です。世界と、自分との接点の取り方のことを言っています。接点の設定は自分でやらなければなりませんが、時折私のような超自然的なコンサルタントも存在し、10億円以上の(人間のコントロールが難しいという意味で)かなりスピリチュアルな取引にも対応するスーパーヒーローも実在します。

何はともあれ経営者は自己と、世界とを事業で繋ぎ、コミュニケーションし続ける極めて特殊な存在だということです。

普通は、間に誰かが入ってくれるので、その人のせいにしながら生活できます。しかし、経営者にはそれがない。フィルターがないので思考は全て速攻で現実化します。

サラリーマンと経営者の大きな違いはこの点でもあります。サラリーマンは自己の理想と言ってもたまに旅行へ行って美味しいご飯を食べられるか否かが限界ですが、経営者というのは自分の理想がそのまま現実に反映されてしまうので理想の取り方に細心の注意を払う必要があるのです。

サラリーマンの頃は、誰かの理想のために働いていましたから、自分の利害とはある意味切り離されていますし、現実化に責任はありません。

経営者は、理想の現実化に全責任を負うという使命を背負っている以上、逃げ場がないのです。

ここまでは割と教科書的ですが、経営者にとっての関心対象は常に
「自分にとっての理想とは何か」の1点です。
外部がどうだとか関係ありません。

そういう意味で、CEOはCIO(Chief Ideal Officer)とも位置付けられるわけです。

常に自分の理想を持ち、それを周りに伝えるコミュニケーターでもなければなりません。仮にそれでガーガーうるさいと思われたとしても、理想にだけは責任を持つ必要があるからです。

そして最後には、理想と現実とを統合し(現実化し)ていくわけですが、その理想というのはあくまであなた自身の中にしかない。だから、経営とは自己との統合プロセスだということを言っています。

あなたの理想はなんでしょうか?

現実の都合に振り回されてCCO(Chief Convenience Officer)にだけはならないようにしてくださいね。


それではEinen schönen Tag!

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