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なぜ、「単価を上げる」ことが経営改善なのか?

初めに

「単価を上げるべきか客数を増やすべきか」論は昔から論じられてきた古典的中心テーマの一つにありますが、それぞれ個別的に論じたときに「単価を上げる」ことが=経営改善になることについて実はあまり深く掘り下げられたことがないのではないだろうかと最近ふと思ったので、自身の体験も踏まえてちょっと振り返ってみたいと思います。
特に、日本企業の大半が「単価を上げる」ことは最後の手段と思ってしまっている節があり、海外に比べてインフレーションが出遅れやすい傾向にあるのも、この論点と非常に深い関連がありそうな気がするので、これは検証などを目的としない単なる学問的探求(思考実験あるいは仮説の一種)だと思って読んでいただければ幸いです。

なぜ日本企業は単価を上げないのか?というところからスタートする。

おそらくほとんどの日本企業が経営改善を考えたときに「たくさんのお客様に楽しんでいただきたい」と戦略決定します。これはなぜかというと特に深い意味はないと思いますが、ひと昔前の原価計算では”規模が大きくなるにつれて1個当たり製造原価は下がる”という理論に紐づいているのではないかと想定します。
もちろんそれが大きく間違っているとは思わないですしほとんどの業態で相変わらずそういう変化の傾向が(特に客単価を上げづらい飲食店やスーパーなどの小売業態などで)見られるので、それそのものを否定する気はありません。
反対に、「単価を上げる」という選択をする企業が少ないことについては単価をビシバシ上げていくスイスや欧州、米国など非アジア圏の文化と比較したときになぜそのようなバイアスが働くのかについて考えたいと思います。

高単価帯と低単価帯の決定的な差異

その前にこの部分についてもあまりコンサルタントさんの書籍などでも見かけないので論じておきたいのですが、高単価帯と低単価帯の決定的な差異はその「ディテール」にあるとだけ確認しておきます。
Bo ConceptとIKEAの違いを思い浮かべていただければわかりやすいのでそうしていただけるとありがたいのですが、低単価になればなるほど設定の次元は減ります(インテリアがわからなくても経営がわかる方は「価値の切り方」と思っていただければ)、他方高単価帯は価値の切り方が鮮やかになりがちです。彩度や輝度といったディテールが加わり、例えばプリントの木目ではなく天然木が増えます。

また加工が容易でない円形や角が丸くなり精度や次元が上がります。これを物理学に習い商品の次元が上がると呼びましょう。
ここではまだ商品の次元が上がると高単価になり、商品の次元が下がると低単価になるとしか言いようがありません。
ちなみに他の違いとしては販路については最近ではネットが大半になっているとはいえ、販売店や店舗のデザインについても、高単価になればなるほど質の良いサイトが増えていく傾向があります。ただこれも間接原価として数え上げて商品の次元の一つと置き換えても概ね差し支えないと私は考えています。

軸が増えれば増えるほど高単価になりがち=高単価にするにはそれだけコストがかかる

基本的に、質と価格が比例するのは当然として、質に対してコストが上がるのもいうまでもありません。ここで、価格が上がることとコストが上がることは関係ありません。それはあくまで経営側の都合であってマーケティング上の都合ではないからです。経営側の都合で価格は上げられません。価格を釣り上げるのはマーケットの都合です。

まとめると、市場の原理からして価格はコストに比例しない。その代わり、軸が増えればコストは上がるし、軸が増えれば価格も上がると考えてください。そしてそれぞれは並行して存在するのでここで合成はされません。結果的に内圧の影響でコストも価格も両方上がっていることがあり得るとはいえ、価格は伸び悩んでコストだけが増える現象も同時に起こりがちです。

コストが増えるのはなんとなく想像できると思いますが、軸が増えると価格が上がるといえるのはなぜなのかについては考える余地が結構ありそうです。

2004年頃のコンサルティングファームが論じていたブルーオーシャン戦略というものを引き合いに出すならば差別化要因を引き出すからと言いたいところなのですがそうではない。いくら差別化が上品にできたとしても購買者の意欲を湧き立てるものでなければならず、価値の切り方を変えただけでは変革風にはなっても変革にはならないからです(もちろん敢えて言わなくても十分な市場調査を行った上での検証済みのデータドリブンな価値の切り方であればブルーオーシャンも有効)。

もう一つ、確認しておきたいのは先ほどの質問の答えの一部になりますが、日本企業(というかアジア企業全般)にありがちな客数ありきの経営スタイルは二つ見方があって、1つはコストが増えるからやりたくない(先行投資が鈍い)というネガティブになりやすい気質だからというのと、2つ目には集団優先の社会だからというものすごいざっくりした文化的な見方です。
1つ目はわかりやすいです。特に日本人は遺伝子がそもそもネガティブになりやすいらしく、攻めの経営が非常に苦手と言われているから。不安が勝ってしまい仮に挑戦してもすごく中途半端な戦略を実施してしまうらしいです。
2つ目の集団ありきの件は単価を上げると厳しい会社みたいに見られてしまうことを恐れてというのは割と大きいように感じます。これは欧州の企業には「サービスをしてもらったらお金を払って当然、お金はみんなのものだから回して当然」という考え方と相反します。
日本は特に、戦後の貧しい社会の感覚が残ったままでいるため、なんとなく単価を上げるのは良くない、という感じ方をしてしまう。それと極端なインフレーション(バブル)崩壊を経験していることから加熱するのではないかとか、何か浮ついているようなイメージ、高いというイメージは人を不機嫌にさせてしまう、という感覚論で否定的なイメージが完成しているように思います。
それでインフレーションを避けて消去法的に利益率が下がるかもしくは原価を下げて質を悪くしてしまう嫌いがあるのではないでしょうか。

ディテールを上げることに億劫になっていないか?

もう少し多面的に捉えるために、違う方向から差し込んでみたいと思います。
価格を上げたくないのは上記のような心理が働いているようにも思いますが、それらは結局全て水面下で「ディテールを上げない」ということも同時に成立しています。
ディテールを上げることをやめてしまっている。

ディテールを上げたところで我が社の顧客がわかるか?という卑屈な見方も時々垣間見えるのですが仮にそれを元にして単価を上げたとして継続しての購買につながるかどうか?という恐怖も互いに連携して実在するように見えますね。

ただここまできてわかると思いますが、結局全体としては単価を上げられない一番大きな理由は「恐怖」なんだということです。ざっくり切ってしまうと要は挑戦できていないのです。何が売れるかわからない世の中だということでしょう。それでも経営継続しなければならないからコストプッシュになっている。「昨今の事情から価格を見直しました」という札をよく見かけるのはこういう所以なのだと思います。

ただ、欧州の企業や米国の企業がそういう札を出していることは正直見たことがありません。もちろんコストプッシュは現象として避けようのない時もありましたが、事業者への政策補填がなされたり市民の理解が得やすいため日本よりはもっと軽い感じがします。

私が活動するスイスに至っては最初から高単価なので多少値上げになったところで気にする人は残念ながら一人もいません。

なぜここまで違いが出るのか?ここからは少し前向きな方向に捉えられるように内容を切り替えてみましょう。

高単価にしても売り上げが下がらない=コストが上がらない=利益が伸びやすくなる

まず、みなさんとは全く違った観点を提供したいのが、高単価にしても売り上げが下がらなければコスト(原価)は上がらないということを言っておきたい。ぶっちゃけこの数字の動きをイメージできた方はかなりの上級経営者で私をぜひコンサルとして採用していただきたい。この目線で経営ができていれば概ね利益が伸びている会社だからです。
では反対にこの数字(グラフ)の動きがイメージできなかった方もぜひ私をコンサルに入れていただきたい。なぜなら利益が伸びるからです。

ところで高単価にしても売り上げが下がらなければコストが上がらないのはわかると思いますがなぜディテールを上げると利益が伸びるのかという話です。

決まった定型文だけで言って仕舞えば高単価帯を求める層というのは基本的にディテールを求めるからです。そりゃそうだ!と思うかもしれませんが大事な事実ですので一応。10万円の家具を買う人と100万の家具を買う人とでは求めるディテールが違いすぎるので言うまでもない、となるのでしょうが意外と経営する側に立つとそのことも忘れてる方が多いので。

もう一つ。よくありがちな質問なので先に回答しておくと、単価を上げたら売れなくなるんじゃないかというやつですが、客層が変わるのは当然なので置いといて、単価を上げたら去っていく人は厳密には貴方のお客さまじゃありません。例えば先ほどの例で10万円の家具しか置いてなかったお店が100万円の家具を置き始めてこなくなるのは客層が違うから当然だと言いたいのです。

つまり、「単価を上げたら売れなくなる」という考え自体がもう色々とおかしいのだと言いたいのです。理屈だけでいうなら「客層が変わる」と表現すべきで、「売れなくなる」は正しく「前の客層が去るからその部分の売上はなくなる」が正解。

でも実際はわからないですけどね。今まで10万円の家具しか買いにこなかった人がお店の変化に合わせて100万円の家具を買うことは別に珍しくはないからです。もちろん去る人もいるかもしれませんが、例えば40種類の家具を扱っている中で1種類だけ100万円の家具を置いたからと言って客が全員逃げる、なんてことは現実には起こるとは考えにくいからです。

話を戻すと、単価を上げると利益が上がりやすいのはエクセルで叩いてみてもわかると思います。

1.売り上げ全体が伸びやすい。
2.販売数量を変えなくて(増やさなくて)済む。
3.結果的に原価は上がるがマネジメントコストは減っていく傾向にあるので期末決算で見た時の利益は伸びる傾向にある。

日本企業が単価を上げない文化的な問題はさておき、欧州企業型の高単価サービス開発はどの企業も一応検討の価値はあると思います。というより、単価を変えないということは利益は下がる一方にあるというのは経済学の原理から言っても当然です。普通、経済学を理解していて情緒的に理解を得られるなら単価は上げ続けるはずなんです。あるいは、単価の高い(解像度が高い、次元が高い)商品を開発します。そもそも、安いから売れる、とは限りません。安くても売れないものは世の中にゴマンと存在するのでそれは議論になっていません。そもそも価格だけで経営の成否が決まるわけではないので安かろう悪かろうの世界はそろそろ終えてもいいのではないか、より豊かな、創造性の広がりそうな商材が日本から生まれてもいいと私は思います。

ディテール(解像度)の上げ方

話が止まらないのでこの辺でまとめておきたいのは、客数を上げる、は単に経営を画面の広いディスプレイにした状態です。単価を上げるというのは密度を高めている状態でより鮮やかに細かな表現までを凝らした状態です。この解像度を上げることを私はいつも「分子思考」と呼んでいます。

そもそも、経済学に則った経営とは今の実態としてありがちな「整数思考」の経営とは相反して「分数思考」になりがちです。整数思考というのは実際に整数か否かは別として、A=Bと概算で割切ってしまう経営の思考パターンのことです。多分こうだろうという先ほどの「単価を上げたら客が逃げる」も私の中では既に整数思考です。私はこれを「分母思考」とも呼んでいます。経営者の目には分子に幕がかかって隠れていて見えていない状態。
片や分数思考というのは「単価を上げたら客層が変わる」ので、「客層についての分析と、その対策を準備してくれ」という経営思考のこと。これは分子も見えていて整数で割り切らずに考えている状態です。

解像度を上げる簡単な方法はまずこの分数思考に切り替えることです。よりわかりやすくいうと「分子を見つける」作業のことです。みなさん結構分母で思考停止していらっしゃることが多く、分子を見つける前に「なんとなくこうだから」で片付けて印象論だけで経営の意思決定をされています。そういう会社はたいてい赤字。いまの日本企業のありがちな姿ですね。

欧州型の分数思考は経済学に基づいて経営することです。つまり、分子を見つける作業を怠らない。なぜ、利益が出るのかについてよく考えている。そしてもう一つ大事なこと。心理的な問題ではありますが、単価を上げない企業の経営では自尊心が欠落していることが多いので、自己価値についてより詳細に分析しておくことをお勧めします(これは個人にも当てはまる)。

例えば日本ではあまり言わないようにしていますが、私の価値は色々あります。単なる自称経営コンサルタントにならないように日々スイスの法律体系について勉強し続けていること。それから国際法や税法について理解を深めていること(ただし税理士はありませんし、いわゆる税理士制度も海外には存在しませんのでご質問される前にその点はご理解ください。あくまで安心しておまかせいただくため=仕事の精度を高めるために勉強しているだけです)。

しかし何より、このご時世で前向きで元気で、創造性に溢れた活動をしていることは既に価値になっていると自負しています。それがなくなってしまったら、私には人間としての価値しか残らない。人間としての価値は、哲学で十分です(とはいえ多くの人にとっては大事なことでしょう)。

分数思考をより理解いただくために追記ですが、分母というのは例えば労働時間や労働日数などがそれです。先ほどの客数もそうですが、何時間働いたか、何日働いたかといった工業思想のことです。

分子というのはこれとは相反します。例えば総収益やコンバージョンサイクルの数値のことです。客数に対しての単価も分子です。当たり前だろ!と言われそうですので怖いのですが、マジでこれを考えながら実態日々の経営実務にあたっている経営者は少ないので一応書いたまでです。問題は考えているかどうかではなくて、それを実行できているかどうかの方です。

日本で大企業や大きなお金を動かしている企業さんにありがちなのは、財務キャッシュフローに頼りすぎていないか?という点です。特に、総収益の部分は考えていても実際の足元のコンバージョンサイクルまでは細かに考えていなかったり、とりあえず売り上げればいいのだ、とばっくり切ってしまっている傾向があるので、とりあえず集客や客数となってしまうのでしょう。

もちろんそれらの指標が間違っているわけでも不要なわけでもないのですが、そこに加えてもう一案欲しいのは連携指数について同時に考えながら行動しているか?計画を立てているのか?についてです。

実際、日本企業の製造する商品は素晴らしいものが多いです。工業的なものはほとんど壊滅していますが、部品や小さな工具などは日本企業に勝てるところは欧州でも存在しません。

しかし、マーケットで戦おうとすると引っ込み思案になりすぎて攻めの経営や挑戦をしないのも確かです。あくまで売れることが前提で、利益が出るか否かについてはあまり関心がないように見受けられます。

先ほどのコンバージョンサイクルでも原価についてまでは考えていらっしゃるし広告についてや集客について真剣に考える企業は多い。しかし、利益までは考えていません。あくまでブルーカラーというか、19世紀頃の工業経済の原理原則で発現されるケースがほとんどです。それゆえ、日本の法律体系はいまだに勤務時間に縛られています。勤務時間やタイムカードといった分母思考というのは例えるなら兵站の考え方です。例えば爆弾を作ったり、朝鮮出兵のための支援物資を製造する頃の考え方で、現代の理論には少々合わないことがままあります。

分子というのは反対に兵站の成果です。兵站の成果(分子の数量)を上げるにはセキュリティシステムのあり方を考えたり(フェールセーフなど)、休みを増やしてストレスのバックアップをとっておくことなどがそれに当たります。

2000年から日本の労働生産性は明確にマイナスに転じ、20年以上経った今でも、マイナスの偏向で変化ありません。私が書いた記事は反論も多いとは思いますが、一方で残念ながら裏付ける事実もたくさんあります。それは、ひとえに分子を考えていないからとしか思えません。

労働者もそうです、労働時間で時給を稼ぐことしか考えない。出社したからお金をくれ。リモートになったおかげでこれが通用しなくなったから、良かったのかもしれません。その場にいないでも回るシステムを考えようとすること自体が既に分数思考を強制されていることに、そろそろ気づかなければなりません。

2022年も終わり、コロナを考えているのは世界でも日本くらいです。
コロナで明確に変わったのは、政治でも社会でもなく経済原理です。それに問題は、そこに気づけたかどうかです。経済原理が21世紀型になり、19世紀型の工業経営の日本が遅れをとっているのは、分子を考えたことがないからです。労働時間を短くしただけでは経営成果は上がりません。分子=ディテールや生産物=果報についてを真剣に考えなければならないのです。

それは、お客さまに提供するものは何か?の質問から始まります。

noteではコンサルでお伝えしきれない部分のノート事項しか書けませんが、これを見かけた経営者の方が、できる限り早くその分子に気づけますように。













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