kaffee
多分社会人向きではない思考の持ち主である筆者がその苦悩を赤裸々に綴っていくためのもの。
30代に突入する社会人の等身大ブログ
Blenderでの3Dモデルの作成やレジン制作など、思い付きベースで作っているものをまとめていくためのページです。
社会人になってからSQLやPythonを勉強始めた筆者による記事まとめになります。 初心者目線での記事も多めでまとめていきます。
前説 元々、とある芸人の方の記事を購読するためにアカウントを作成した。その時に書いたプロフィールによると、当時27歳。その頃から3年経っていた。元々週一くらいで書こうかなと考えていたが、年度末の業務を遂行する能力に欠けており、精神的余裕がなかったことで、前回から一か月以上も空いてしまった。先輩の結婚パーティーに参加したタイミングで、感じたことを明文化しておきたく、ここに記す。 自身の成長 変わっているような変わっていないような、なんとも微妙な感覚になった。きっと、
※画像はmidjourneyで作った理想像であり、本人画像ではありませんw 【振り返り】 ・メンターからの卒業 9ヵ月お世話になっていたメンターから卒業。次の人に交代するための MTGが今週の金曜日にある。続けたい気持ちもあるが、自分が続けるより 次の方が指導してもらった方が、会社的にもいいだろうと考えた。 今の会社に入って2年目だが、この1年間は上司、先輩方に目をかけて もらって、いろんな経験をさせてもらっている。そこから得た学びを発揮 して事業に貢献したい。
これまでは、Facebookに毎月生存報告、という体の振り返りを投稿していた。その投稿も5年くらい続けていたのだが、週次で振り返りしたいなと思い、noteを使うことにした。 自分が何か新しいことをやろう、と思ったときに振り返る。今の自分はどれだけ頑張れているのか。これらを評価するための投稿である。 1994年の早生まれ 2006/04~2012/03:中高一貫の男子校 2012/04~2018/03:理系の大学で修士課程まで修了 2018/04~2020/0
この記事で書きたいことはタイトルの通りである。とある会社(とはいえまだ三社しか働いてないが)にて、このフレーズを言われた。僕も最初はそう思っていたし、気にくわない相手であろうと、それが仕事なら話は別だと切り分けるようにしていたからだ。だが、どうだろう。現実はそんな甘くない。正しいことを言ったとて、やはり人間の好き嫌いだったり、社歴が長いから、と言った会話の中身以外の部分での評価が多分にある。 かくいう私自身も、お前が言うんかい!と心の中でツッコミを入れつつ、言っていること
世のため、人のため、家族のため。誰かのためと人は言う。私の先輩にもそのような人は多いが、それって結局は突き詰めると自分のためではないだろうか。世のため、誰かのために貢献したその先に待っているであろう賞賛や、満足感であったり優越感を求めているのではないだろうか。そこまで言わずとも、誰かの力になったときにその人が笑顔になってくれた時の喜びや幸福感のために頑張る、というのも自分のためではないだろうか。 これは私自身の反省であるのだが、大学で部活をやっているときに後輩たちのためと言
俺は夏の心霊特集だったり、心霊スポットをまとめた動画などを見るのが好きだ。それは『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉が存在しているように、怖いと思うから幽霊がいるような気がしているだけだと思っており、安全圏から見ているという安心感があったからに他ならない。だから俺はその日、大きく人生観を変えられることになったのだ。 それは大学4年生の夏休み。就職前の最後の夏休みを楽しもうということでゼミの同期達と海沿いのホステルを借りて遊びに来ていた時のことだった。1週間の滞在予定で
私は常々創造的でありたいと思っている。他の人が作っていないようなものを何かしら作りたいと思って、仕事でも取り組むようにしている。しかし、一瞬満足したのち、すぐに別のものを創らねば、と思ってしまう。趣味でBlenderを触って3Dモデルの作成をやってみたりもするが、確実に始めた頃よりも出来ることは増えたが、初心者から中級者の壁を乗り越えられずにいる実感がある。 今までの人生を振返ってみたときに、自分で考えて何かを生み出すことは苦手だったように思える。一方で、先輩だったり友
こちらの記事にあてられて、自分も熱弁をふるいたくなってしまった。そんな次第である。僕としても出来ないことがあれば理解する努力をしているつもりだし、それを当たり前だと思っている一方で、周りの人たちからは「よく頑張るね」と言われることも少なくない。自分の中では、努力していないこともあり、その切り分けの基準を考察してみたので、書いてみた。 まず結論から言うと、私は「報われない努力もある」と思っている。これはとあるマンガのセリフだが、『努力した者が全て報われるとは限らん しかし!
今28歳。社会人に夢を見て、自分ならキラキラした社会人になれるはずだ!と思っていたあの頃が最早懐かしいものになっています。この歳で3社目というのも恐らくハイペースなほうだとは思うのですが、自分の振り返りも兼ねての投稿になります。 1社目 某大手通信企業 かなり規模の大きい企業に新卒で就職。固定回線(いわゆるインターネットサービス)を扱う部署に配属となり、プロダクト・サービスの企画、エリア改善など様々な業務に関わらせていただいた。 【メリット】 1. 予算に余裕があり、
Facebookがポジティブなことしか言わない月次報告なのに対し、noteでは一見ネガティヴと取れる内容も赤裸々に書こうと思います。 突然ですが、1月末から2月は私にとっては中学受験の記憶を呼び起こす時期です。2月1日に第1志望校を受験するために前日からホテル入りしたら、同じホテルに塾の友達がいたり、不安になって算数のプリントを全部もっていったものの、「見直したら全部解けるからやらない!」と言ってみたり。いざ受験本番になると塾の先生に言われていたように、問題文が頭に入っ
私たちは日々の暮らしの中で、様々な肩書を背負っていたり、他者からの評価を背負っていたりする。時にはそれらに助けられ、またある時は、それらの重さに押しつぶされそうになる時もある。学歴を例に挙げてみると、高学歴者と言われる人たちは、就職に有利らしい。学歴と就活は関係ないと言われるが、大手と言われる企業に勤めている人たちが「学閥」と言っている時点で、学歴が有利に働いていてコミュニティを形成していることは言うまでもないだろう。一方で、いざ仕事をしてみると、アカデミックな環境からビジ
人間でも会社でも関係性を維持し続けることは賞賛され、断ち切ることは非難される傾向があると思う。私自身転職をした時に、「3年間は所属しろ」という垂れ込みを良く見かけたが、それが意図するのは「3年くらい居ないと、仕事が身に付かないから」ということらしいが、これはおかしな意見だと思う。1年くらいで転職すると、逃げたとか根性がないと言われがちだが、根性があれば何とかなるのか?逃げることが悪いのか?と多々思う。 例えば STAGE1.大手企業に勤めているが業績が悪化しているのが内部
私は自分でやりたいことをやるために会社を立ち上げたいと思っている。『起業』というと聞こえはいいが、その本質は「じぶんがやりたいことをやり、やりたくないことはやらないというワガママを貫き通したい」という1点に尽きる。24で大学院を卒業して就職し、今は4年目2社目という経歴なのだが、次の転職を考えている。1社目で、データをもとにした企画の立案、リリースや推進に携わって2年半で転職。現在の職場では、調査結果のとりまとめと分析に携わり、1年が経った。今までは社会人としての経験値を増
僕の考えを一言で表すなら、この一言。友達や後輩には「努力することが大切」と話すけれど、それは言ってしまえば他人だからである。自分に対しては、仕事でもプライベートでも目標をしっかり達成する、ということが全てだと考えている。特に仕事は、求められた物をこなせば使える、そうでなければ使えない、というレッテルが貼られてしまう。そこに努力への評価は、付いて来ないことが多い。 社会、会社というゲームの中の登場人物である以上一定のルールに縛られるのはやむ無しか、という諦めを感じつつある3
社会人として働いて3年。学生気分が抜けきっていないというのはどういう事か、私なりに考えをメモしてみた