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高橋悠真の心境。

こちらの続きでした。
読まなくても楽しめます多分。






メールに気がついたのは、俊彦からの着信がきっかけだった。
忙しくてもメール見てよ、ファンレターだぜ、と茶化す俊彦に適当な相槌をうち、しばらく見ていなかったパソコンのメールボックスを開いて驚いた。
幸いにも仕事の案件はなく(稀にあるので気をつけなければ!)ホッとしたものの、俊彦からの簡素なメールの他に、いくつか懐かしい名前があった。

真由美だ。

もう三十も半ばで独身の俺がいうのも何だが、子どもの頃はモテたと思う。
例えば真由美は、小学校の頃からの付き合いで、真由美から付き合ってくださいと12歳の冬に、電話がかかってきたのを覚えている。

真由美は比較的活動的な女の子で、男子からはそれなりにモテていた記憶があるが、自分で言うのも何だけど、たしか俺一筋だったはずだ。多分、だけど。


真由美は小学生にも関わらず、意外にも聞き上手であった。
当時流行していた宇多田ヒカルの話を、たまたま隣に座った真由美にずっと話してしまい、よく先生に注意されたのは懐かしい記憶だ。
真由美の家は母子家庭で、真由美そっくりの、看護師の母親がいたのを覚えている。
朝ごはんは小学2年生のころから自分で支度している事、ゴミ出しは自分の仕事だという事を、笑いながら教えてくれたのが懐かしい。

でも、好きだと意識されてからは、ずっと見つめられて気持ちが悪く、本人に思い切り指摘してしまい、関係はギクシャクしたまま卒業を迎え、それは中学にまで続いてしまった。
いまだにそのような男女の問題には、どう対処したら良いか迷うなと考えてしまう。

お互い傷付かずにはどうしたら良いか。
当時の俺的には、お互い1番傷が浅く短時間に済む方法を実践したつもりだが、その後真由美から話しかけられることはなかった。

そんなエピソードは思い出せるのに、顔は朧げにしか思い出せず、我ながら嫌なやつだとは思う。
かろうじて思い出せたのは、ゆるくカールがかかりふわふわと軽そうな明るい髪色のポニーテールは、彼女によく似合っていたことだ。

それにしても真由美が、いまだに俺に関心を寄せていたと思うと、なんともこそばゆいものがある。薄気味悪さと同時に自分自身のナルシズムがくすぐられ、ついニヤニヤしてしまう。
でもそれらは、大丈夫ですからね、の一言により完全に打ち砕かれ、既婚者!子持ち!!の文面を読み、そんな自分に一気に絶望した。
自分の醜さを測るには素晴らしいお手紙であり、きちんと保存しようと思った次第である。

地元に帰ると、かつての友人たちの多くは父親になっていたりして、完全に世間との隔たりを感じてしまう。子どもの頃からどこか世間から浮き続けてきた自分にとっては、東京という街は比較的包容力のある街に見てたのだが、実態はそうではなく、ただそこにある多様性が自分を目立たなくしているにすぎない。

だからこそこうして今日も自堕落に、コツコツ10キロも体重を増やしたのだと感じている。
年に一度実家に帰って、勧められるがままに体重計に乗り、事実を認識するなどして、世間と自意識のズレを再認識するのだ。
そんな、メンタリティは20代のまま、オッサンになってしまった自分にいまだ関心をもってくれた真由美には感謝をしなければならない、のだけれども。

とりあえず、簡素な、期待を寄せないであろう適切な返信はあるのだろうか、と考えてみる。
ファン向けの簡素な定型文をいい加減作らねばとおもうのだが、いまだに着手できずにいる。
俺はこういうタイプなのだ、昔から。
夏休みの宿題は31日に終わらせるタイプで、いつも祖母に叱られていた気がする。
でも同時に、31日に終わらせてしまえる自分の驚異的なスピードに感心したものだ。

真由美はどうだったのだろうか。
31日に終えるのか、それとも前もって全て済ましているのか。
今更もう聞く事はできないそれを、俺はビールで流し込む。

なんにせよ、だ。
あの時の真由美の湿気と高揚感の混じった、恋する女のじっとりとした視線を思い出し、不覚にもゾッとしてしまった。
コンピュータースクリーンのチカチカした文字から視線を落とし、そっとシャットダウンするのだった。






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