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雑記

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2021年4月の記事一覧

「企業の広報はSDGsウォッシュに気をつけよう」←その考え方がSDGsウォッシュだろ

CO2削減していないのに「削減してます!」と言うとSDGsウォッシュだと批判されるから、「削減してます!」と言うのをやめましょうね‥というわけだ。

つまり、嘘を言わなければウォッシュと思われないからセーフですよと‥

いや、削減しろよ!

この時点でSDGsに貢献することなんて眼中になくて、イメージ戦略のことしか考えてないじゃん。で、結局、お宅の商品を大量消費して欲しいわけじゃん。

広報が何を

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ビジネスの世界に現れ始めたアナキズム

OODAループとか、ティール組織とか、心理的安全性とか、シェアリングエコノミーとか、このあたりの言葉は、一見すると無政府主義とは無関係のように思える。しかし、僕から言わせれば、この仰々しいビジネス用語の考え方は、アナキストが遥か昔から唱えてきたことを言葉を変えて表現しているに過ぎない。

トップダウンのマネジメントは非効率であることや、自由な発言ができる雰囲気の方が生産性が高いこと、1人ひとりの判

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上司なんていらない

「私が辞めて、新人のバイトの子らだけになったら、お店回らへんわ」

と、その先輩が愚痴をこぼした1ヶ月後には、たいてい新人のバイトだけで難なくお店が回っている。見覚えのある光景だ。

僕自身も似たような経験が何度かある。マイクロマネジメントしてくる店長のもとでは出来損ない扱いを受けていたものの、放置タイプの店長に変わった途端、創意工夫を開放し、周囲に頼られ、自由に仕事を楽しんだ経験だ。

結局、自

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「戦争の悲惨さ」なんて伝えてどうするんだ?

逆に聞きたい。第二次世界大戦当時の人々は「戦争の悲惨さ」を知らなかったから、戦争が起きたと言うのだろうか?

もちろん、そんなわけがない。当時の人々だって馬鹿じゃない。人が殺し合うことの悲惨さなんて、子どもだって理解しているに決まっている。

本当に考えるべきは「戦争は悲惨であり、誰しもそのことを理解しているにもかかわらず、なぜ起きたのか?」ということだろう。

きっとその原因は、負債や資本、権力

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子どもが死んだニュースは悲しむのに、人身事故にはイライラするのはなぜか?

‥なんて疑問を口にすれば「ホームで自殺する奴は死にたくて死んでるから同情に値しない」みたいなことを言われる。

でも、改めて考えて欲しい。死にたいと思うほど辛いことが起きて、その上で死んでいるのだ。単純に比較はできないけど、不慮の事故で死ぬより可哀想だとは思わないだろうか?

「人に迷惑をかけているからダメ」みたいなことも言われるがよく考えて欲しい。自殺する人たちだって馬鹿じゃない。ホームで自殺す

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飲食店とか、旅館とか、そろそろ暴動起こしてもいいレベル

一方的に収入源を絶たれて、雀の涙ほどの補償しか貰えていない。間接的に「死ね」と言われているようなものだ。

それなのに、いつまで経ってもおとなしく政府の指示に従っているのはなぜなのだろうか?

100年ほど前の日本には、米価格の高騰に庶民がキレた米騒動なる暴動があった。一説によると数百万、あるいは数千万の人が、米屋を襲って、警察に喧嘩を売って、軍隊まで襲ったらしい。

また、ストライキで流血沙汰に

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コミュ障のコミュニズム

実はコミュ障とは、資本主義とものすごく相性がいい。なぜなら、コミュ障は非人格的なやりとり(一蘭でラーメンを食べるような)が大好きで、人格的なやりとり(飲み会や町内会のような)が大嫌いだからだ。

資本主義のシステムでは、金銭さえ支払えば、店員と目を合わす必要もなければ、アマゾンのジャングルが伐採されインドの農民が搾取されることも気にする必要がない。資本主義は、コミュ障のためのシステムであり、コミュ

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僕は、ホームレスの命を救ったのだろうか?

僕は、ホームレスの命を救ったのだろうか?

きのう、会社の近くを散歩していたら、橋の上で土下座をしている人がいた。顔は伏せているので見えない。なにやら、文字を書かれた段ボールを掲げている。

「きょう、食べるものもありません。このままでは死んでしまいます。お金を恵んでください」

どう見てもホームレス。それも、生命の灯火があと少しで消えてしまいそうな弱々しい姿だった。

通行人の数はそれなりで、2秒に1人くらいは前を通っている。しかし、段ボ

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定量的という魔物

定量的に測定したいという欲求は、一種の本能的なものであって、抗い難い魅力がある。部下のパフォーマンスも、会社の業績も、子供の学力も、その人が信頼できるかどうかも、定量的に評価したいと思うのが人間というもので、実際に僕たちの社会ではこれらを定量的に評価している。

そして僕たちは、定量的に測定できるはずのないものを無理矢理に測定しているのにもかかわらず、あたかもその指標が完璧であるかの如く錯覚してし

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