「戦争の悲惨さ」なんて伝えてどうするんだ?
逆に聞きたい。第二次世界大戦当時の人々は「戦争の悲惨さ」を知らなかったから、戦争が起きたと言うのだろうか?
もちろん、そんなわけがない。当時の人々だって馬鹿じゃない。人が殺し合うことの悲惨さなんて、子どもだって理解しているに決まっている。
本当に考えるべきは「戦争は悲惨であり、誰しもそのことを理解しているにもかかわらず、なぜ起きたのか?」ということだろう。
きっとその原因は、負債や資本、権力や国家が引き起こした無関心や、無思考、焦燥感の壮大な積み重ねだと思うが、細かいことはわからない。
細かいことを知るためには、人の心理のメカニズムとか、社会のメカニズムとか、自然のメカニズムとか、あらゆるものの相互作用を解きほぐしていく必要があるし、それでも、いつまで経っても完全な理解に至るわけがない。
不断の原因追求と自戒が必要なわけだ。
それなのに、戦争の原因を「悲惨さを知らなかったから」と単純化して、「悲惨さを伝えなければ‥」と鼻息荒く道徳の授業に邁進するのは、過去の人類を馬鹿にして、本当の原因から目を逸らしているだけだ。
道徳を味方につけた人には、有無を言わさない説得力がある。しかし、それを押し付ける姿勢や、それを無思考で受け入れる姿勢が、戦争を引き起こす要因になるように思えてならない。
だから、タブーでも言ってやろう。何度でも言ってやろう。
「戦争の悲惨さ」なんて伝えても無駄だ。むしろ逆効果だ。
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