定量的という魔物

定量的に測定したいという欲求は、一種の本能的なものであって、抗い難い魅力がある。部下のパフォーマンスも、会社の業績も、子供の学力も、その人が信頼できるかどうかも、定量的に評価したいと思うのが人間というもので、実際に僕たちの社会ではこれらを定量的に評価している。

そして僕たちは、定量的に測定できるはずのないものを無理矢理に測定しているのにもかかわらず、あたかもその指標が完璧であるかの如く錯覚してしまう。

同時に、評価指標が植民地化されていく(「4択問題なら3を選べば当たる確率が高い」みたいな攻略法が編み出されていく)。つまり、信頼に値しない指標が、さらに信頼できなくなっていく。

最終的にたどり着くのは不正だ。カンニングであり、架空計上であり、粉飾決算だ。

指標には、現実世界を変える力がある。どんなにバカでもテストの点さえ良ければ東大に入れる。なら、次善策は公式の丸暗記であり、最善策はカンニングということになるだろう。

記録と評価に膨大な時間をかけたにもかかわらず、それは正確ですらなく、むしろ不正を引き起こす原因になる。

定量的に何かを測定するということは、魔物を呼び覚ますリスクが伴うものだ。その覚悟もないまま、闇雲に基準を導入したり、記録をつけようとするのは、人間の愚かさというものなのかもしれない。

こういう認識をしている人は少ない。こういう認識が「赤信号を渡ったら危ない」というレベルの共通認識になれば、世の中はもっと良くなるだろうなぁと思う。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!