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短編小説「そういう名の料理」


 熟れたトマト色のシーリングファンが、私の頭上で休むことなく回っている。その速度はまるで、幼児が跨って漕ぐ三輪車の車輪のように危険性を感じさせないものであった。私は白い丸型のカフェテーブルに向かい、膝をつきながらファンを注視した。もし、あのファンに目があるのなら、私の鋭い三白眼に震えたかもしれない。私のイラつく感情はこのカフェで食べた〝サラダ〟が原因である。しかしそこは私も大人の女性である。穏便にこのカフェのシェフと話すため、ファンを眺め気持ちの昂りを落ち着かせているのである。




 「すみません、少しよろしいですか?」私は気持ちの落ち着きを感じると、隣のテーブルを拭いている男性スタッフに声をかけた。このタイミングになり、私はじめてカフェにいる客が私1人であることに気づいた。それは大変幸運であった。これから話す内容は、このカフェに通う多くの人に聞かせるべき内容ではないからだ。「はい、どうかなさいましたか?」と、男性スタッフは言うと、すぐに私のテーブルに駆け寄ってくれた。彼の表情は少し不安げであった。きっと私から発せられる次の言葉がクレームであることを察しているのであろう。




 「お忙しいところ大変ごめんね、でも、どうしてもこのサラダを作ったシェフを呼んでいただきたいの」私は出来る限り微笑みを含ませ、彼に囁いた。「承知いたしました。しかし、提供したサラダに何か不手際があったのなら、私がお伺いすることも可能ですが?」彼は若者らしい細い眉を眉間に寄せ、恐る恐る私に聞いてきた。「ありがとうね、でも、私はどうしてもシェフにお会いしたいの。早く呼んできてくださらないかしら?幸いにもこのカフェにお客は私1人。お忙しいと言うことはないと思いますし」私の言葉の端々にはイラつきが滲んでいた。しかし、留めることは叶わず何の咎のない彼に浴びせてしまった。




 「大変お待たせ致しました」「あら、随分若い方なのですね」厨房へ彼が姿を消してから間もなくして、先ほどの男性スタッフより若いと思われる女性が、私のテーブルの向かいに立ち声をかけた。「対応が遅くなり申し訳ありませんでした。本日、こちらのカフェのオーナーシェフはお休みをいただいており、お客さまが召し上がったサラダを提供したのは私となります」「そうだったの、だからかしらね……」私は素直な感想を、目の前の女性に伝えるか迷い言葉を詰まらせた。




 「なにか不手際がありましたでしょうか?」沈黙に耐えきれなかったのか、女性が神妙な顔つきで質問してきた。その質問に私は答えず彼女の目をじっと見つめた。(この子のためにも話すべきだろうか、それとも今日のところはこの感情を胸にしまい大人しく帰るのが正解だろうか……)私の考えはなかなかまとまらなかった。私の一言で彼女の人生を変えてしまうかもしれない。




 「このサラダなんだけど、気を悪くしないで聞いてくださる?」私は微笑みを絶やさぬように努め意を決して話しはじめた。




 「メニュー表には〝シェフの気まぐれサラダ〟という名目で載っているのだけど、このサラダは絶品だったわ。その日の気まぐれで作るのではなく、固定のメニューにするべきよ。でも、あなたはここのオーナーシェフじゃないのよね?もし、レシピをオーナーシェフに教えるのが嫌なら、今すぐここを辞めるべきね」私は言葉の最後に最高の笑顔を添えた。彼女はきっと将来素晴らしいシェフになる。気まぐれで作れるサラダが絶品レベルであり、なんとエプロンに留められたネームクリップには〝研修中〟と書いてあるのだから。





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