見出し画像

短編小説「転校」


 季節は冬。村からは新年を祝う喧騒けんそうも陰りをみせ、元日は各所で一叢ひとむらとなった人々の注目の的であった太陽も、落ち着いた薄暮はくぼ特有の暖を小学校の校庭に注いでいた。「お別れ会本当にやらないのかい?」私は校庭から視線を切ると、教室の椅子に座る男子児童に問いかけた。教室には既に私と男子児童の二名しかいない。私の声は授業の時より小さいものであったが、何物にも遮られることなく、男子児童の耳に届いた様であった。




 「絶対にやらねえよ」男子児童は普段通りの無鉄砲さを感じさせる口調で、乱暴に答えた。この様な問答をもうかれこれ三学期が始まってからの放課後、毎日のように行なっている。




 転校生に対してのお別れ会を必ず行わなければいけない、という決まりは勿論ない。転校には大小様々な理由があり、児童やその家族が望まない場合はお別れ会を実施しない場合がある。しかし、今回の場合は特殊であった。転校する児童及び家族は、お別れ会の実施を望んでいる。仲のよかった学友や、共に過ごした校舎と一つ区切りをつけるためにも、お別れ会を望んでいるのである。しかし、そこに待ったをかける児童が一人いた。今私の目の前にいる、男子児童である。




 「やっぱり、転校されるのが寂しいの?」私は黒板横にある教卓から、男子児童の座っている椅子の近くまで進んだ。「別に」男子児童と私は机を挟んで向かい合った。しかし、男子児童と私との心の距離はこんなに近くはないことを、冷たく乾いた返事から再確認させられた。「あまりこういう言葉は言いたくないけど、これから中学校や高校に進むと、誰かしらとの別れは必ずあるよ。その都度君はこうやってヘソを曲げてしまうの?私は見送る側の君にはお別れ会に笑って参加してほしいんだ。だって、その方がきっといい思い出になるよ」私は男子児童の斜め前の椅子をひき腰掛けた。小学五年生が使用する椅子は少しばかり低かったが、そんなことを気にしている場合ではない。




 「先生さ、普通はお別れ会って誰のためにやるの?」男子児童はここに来ていつもと違う反応を返してくれた。私の熱意ある心が通じたのだろうか。男子児童のこの質問の先に、彼のかたくなまでにお別れ会を拒んだ理由があるように思えた。「勿論、学校を転校する子にやってあげるんだよ。今まで一緒にいた友達や先生、校舎とお別れをするから最後に楽しい思い出を作ってあげるんだよ」私は教師になって、幾度となくこういう場面に遭遇してきた。自分の感情と折り合いがつかない児童に寄り添い、諭し解決となる出口に一緒に向かう。私はこの瞬間にこそ教育者の本質を感じる。




 「つまりさ、かわいそうだからやってあげるんだろ?」男子児童は私の言葉を、自分なりに噛み砕いたようであった。しかし、男子児童の表情は硬い。眉間に寄せる皺により目は力強く私を見据える。女性である私を視線だけで威嚇する男子児童にはどこか気迫めいたものを感じた。「かわいそうだからか。うん。確かにそうかもしれないね」私は一瞬だけ視線を校庭側の窓へ向け答えた。まるで男子児童の目を避けるようにである。




 「転校するのはかわいそうじゃないだろ」男子児童は急に立ち上がり怒鳴り散らした。私は咄嗟の出来事に反応できずにいると、男子児童は更に怒気を強め続けた。




 「かわいそうなのは俺だ。このクラスの俺以外の皆が、来月の同じ日に引っ越すんだろ?俺と先生のたった二人でお別れ会を準備するなんて辛すぎるよ。先生、俺お別れ会絶対やりたくないよ」男子児童の訴えは途中から涙声へと変わり、私へ自分の素直な気持ちを吐き出した。男子児童はそのまま泣き崩れ机に顔を伏せてしまった。




 そんな男子児童の姿を見て私は、(皆が転校する日から先生も産休に入るから、先生ともお別れする。だから、お別れ会の準備をするのは君一人なんだ)という事実を、どう諭し寄り添い伝えたらよいか、答えを出せないでいた。





よろしければサポートをお願いいたします。いただいたサポートは創作費として新しいパソコン購入に充てさせていただきます…。すみません。