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短編小説「天才の条件」


 「私はこの内容で、来年度の学会の演題として応募しようと思うんだがどうかな?」と、老人は含み笑いを浮かべながら、テーブルを挟んでコーヒーに砂糖を入れかき混ぜている青年へ話しかけていた。二人のいる部屋は一応体面上は図書室ということになっているが、行動の自由度は一般的な図書室とは一線を画す。病院内の職員フロアにある図書室である。職員利用を目的に作られてはいるが主に使用するのは医師達であり、これといった取り決めはないが看護師や事務職員は肩身が狭く、部屋に入ろうとすらしない。そのため、主な使用者である医師にとっては、堅苦しい会議室より談笑を交えて議論をするにはうってつけの場であった。




 「きっと面白いと思います。たぶんメディアもある程度反応するかもしれませんね」青年は一旦ここで言葉を区切り、コーヒーに口をつけカップをゆっくりと傾けた。そしてごくりと喉を鳴らしすと、コップから口を離し、「馬鹿なね」と的を得ている言葉を付け加えた。その言葉を受け老人は一層、愉快そうな表情を浮かべた。




 「この発表により、天才の条件をある程度だが定義できる。その結果、今の世を取り巻く現状がいかに天才が生まれにくいのか逆説的に証明できる。そして、この現状は止めようがない。悪化の一途だ。あと10年もすれば、この国から天才は消える。いや生まれない」老人は、青年の対応が嬉しく興がのったのか、普段より幾分か楽しそうである。

 



 老人の言葉を受け、青年は腕組みをし、目を閉じ考え始めた。そして少しの沈黙の後、ゆっくりと目を開けるとせきを切ったように話し始めた。「医師せんせい、アレルギー反応の権威でもある貴方が、こんな突飛な発表によりメディア露出する姿、私は正直見てみたい気もしますよ」青年の表情は老人と同じような含み笑いであった。




 2人の談笑を邪魔しない程度のボリュームで、壁掛けのテレビが今春の花粉の特集について語っていた。驚くべきことに今年の花粉は昨年の2倍の量に匹敵するらしい。そして、残念ながら昨年、一昨年も似たような増加量を気象庁は発表していた。




 〝天才のような一芸に秀でた人間は、花粉症になってはいけない。花粉症になると1年間の約2ヶ月もの間、集中力の低下や体調に不調をきたすからだ。しかし、この調子で花粉量が倍々となれば、花粉症になっていない人の方が珍しい。結果として……。天才は生まれなくなる〟先ほど話した老人のふざけた推論は、暴論もいいところであった。しかし、この談笑に興じる2人は花粉症に悩まされてはいない。その事実が暴論がある程度内容に即していることを、さりげなく示していた。




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