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短編小説「大学生」


 今から語る話は、老人である私の余計な忠告と捉えていただいて構わない。この様な忠告を語るに思い至った経緯は、至ってシンプルである。今年の春、大学生の君達が残忍な行動を取らず、生活してほしいという切なる願いからである。どうか最後までお付き合い願いたい。しかし、この様な形で伝えたとしても、私が真に伝えたい相手の元へこの言葉が届いているのか、一抹の不安が残る。そのためどうか、大学やバイトの友人達へ、この文面を見せてあげてほしい。それ位これから語る話は重要なものなのである




 現在、大学生未満の諸君。君たちがこれから通う大学という機関は、今までの学舎とは少しばかり違った箇所が数多くある。その為、その箇所に違和感を抱くのは致し方ない。しかし、だからといって徒党を組み、その箇所に対しての悪態を陰で語り合う様にはなって欲しくないのである。



 つまり、私が何を話したいかと言うと、〝明らかに年齢が上の学友〟に対し、あらぬ噂や誹謗中傷を語らないでいただきたいのである。




 ここまで読み、読者の皆様は心の中で、(当たり前、予備校通いや浪人生活を経てる方々の存在位わかる)など反論したかもしれない。申し訳ないが、それは早合点というものである。私がいう年齢が上の学友とは、〝著名人ではなく、齢が50を超え、更に授業をまともに受けていない〟様な人物を指している。そんな人物に邂逅しても、どうか変な噂を流さない様にしていただきたいのである。




 理由は簡単だ。その様な異質とも思える人物の職業は、決まって小説家なのである。害は決してない。それどころか、そんな人物は数ある賞を受賞した際の賞金、出版した本の印税などを入学金に使い、今後の創作活動のネタ集めのため、大学に通っている場合がほとんどなのである。立派な人間なのである。素晴らしい人間なのである。




 確かに、流行りの歌がわからないかもしれない。階段の上り下りの際は手摺てすりばかり触っているかもしれない。孫が3人ほどいるかもしれない。健康診断の項目が1人だけ多いかもしれない。講義を行う教授がその人物にだけ敬語かもしれない。雨の日は膝が痛むため傘と杖を使うかもしれない。学生ではなく警備の人と間違われるかもしれない。




 しかし、だからといって耳が聞こえてないわけではない。若者の文化に触れ、君達より若い子への物語を紡ぐ種を、懸命に腰を屈め探しているだけなのだから。優しい言葉を語りたい老人に、どうか、どうか残酷な言葉の雨を注ぐのを、踏みとどまってほしい。その人物は、君たち未来のある大学生の邪魔をしないよう、出来る限り身を屈めているのだから。




 (そして、最後に誤解のないように語らなければならないが、決してこれは門掛かどかけ夕希ゆきの話ではない。私の知り合いの短編小説家の生活を知り、嘆願文として書いたにすぎない。才能のある知り合いを慮っての行動である)




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