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秋吉理香子『殺める女神の島』第1章丸ごと試し読み【2/6】

『殺める女神の島』試し読み【2/6】

「普通はファイナリストに対して、ここまで事務局がおぜん立てしてくれないわ。そもそも審査会場までの交通費は自費が当たり前。荷物だって、みんな大きなスーツケースを自力で引きずって来るのよ。五個や六個なんてザラ。宅配便で審査会場まで送る手もあるけど、みんな美容皮膚科通いやエステ代でカツカツだし、それに大切な勝負道具を紛失されたり遅延されたりしても困るしね。海外遠征の時は、その大量の荷物を持って空港に行くんだから。
 それなのに今回は審査会場までの交通費も支給されたし、荷物配送の手配もしてくれた。東京からモルディブへの移動はプライベートジェット、モルディブから島へもプライベートのクルーザー。賞金の二千万円も国内のコンテストとしてはけたちがい。こんなに贅沢なミスコン、他にないわよ」
 舞香はクルーザーのラウンジの中で、ヴィンテージワインを飲みながら教えてくれた。参加者の中には酒を飲まない人もいるが、舞香はいける口らしい。
「そもそもビューティーキャンプをリゾートアイランドでさせてくれるなんて。しかも一人一部屋もらえるんでしょう? ミス・ユニバースの世界大会の時でさえ、二人で一部屋をシェアするらしいのに」
 わたしはミスコンにエントリーするのも初めてだったから知らないことばかりだが、恵まれた待遇であるということは実感できる。これまで特別な訓練をしたこともなく、他のファイナリストより容姿が優れているわけでもないわたしがミューズに選ばれるとは思えない。けれども、自分の稼ぎでは一生かかってもできないような贅沢を、すでにさせてもらっている。それだけでも、今のわたしにとっては充分メリットがある。
 スーツケースを全部開けて、ドレスやワンピース、シャツやパンツなどをクローゼットにかけ、Tシャツやランジェリーはチェストにしまった。洗面用具やメイク道具も使いやすいように並べていく。きっと他の参加者もそうしているだろう。慣れない旅先で快適に過ごし、自分の最高のパフォーマンスを引き出せるように部屋作りをするのだ。
 その後はシャワーを浴び、美への戦闘準備を始める。ビューティーキャンプ初日。これから二週間、最終審査用のスピーチの原稿を練ったり、スピーチの練習をしたり、ウォーキングのレッスンをしたりする。けれども初日である今夜の晩餐会は、決勝への最重要な要素と言えるだろう。なにしろ、主催者との初顔合わせなのだから。
 ドレスコードは、特に指定されてはいなかった。けれどファイナリストたちは、最高の装いで現れるに違いない。わたしだって負けてはいられない。
 わたしは海を見ながら入浴し、三着のドレスの中から、自分で一番似合うと思うボルドー色のベアトップのロングドレスを選び、念入りにメイクを施した。

 時間になったので、一階のバンケットルームへと下りていった。海がよく見えるように、エントランスと同じく海に面した壁はガラスになっている。赤く染まった空と夕陽、そして海──全てがガラスの向こうに溶けあい、幻想的な空間を作り出していた。
 前方には階段一段分ほどの高さのステージがあり、背景にはサファイヤブルーのドレープカーテンがかけられている。ステージの天井からり下げられた光沢のある横断幕には『36thMUSE OF JAPAN』と記されていた。また、左側にある台座の上に女神像を冠したクリスタルガラスのトロフィーが輝いている。きっとこの場所でファイナルステージも催されるのだろう。
 サンセットを受けてまばゆく輝くシャンデリアの下には純白のテーブルクロスが掛けられた長いテーブルがあり、両側に正式なフルコースディナーのセッティングがされている。
 テーブルウェアの前には自分の名前が金の文字でエンボス加工されたネームプレートが置いてあった。
きみじまさき
 わたしは自分のプレートを見つけると、その席に着いた。他の女性たちも次々とやってくる。わたしの両隣に『につユアン』と『あんどう舞香』が座り、向かい側の席に『ヒムラ エレナ』、『ふか京子』、『みやまりあ』、『やました姫羅』の四名が着いた。わたしを含めたほとんどの女がイブニングドレスだが、京子だけは華やかなふりそでだった。和服という手もあったな、と正直悔しく思う。ユアンはスパンコールのちりばめられたシルバーのミディ丈のドレス、まりあは大胆に胸元や背中を露出したブラックのドレス、エレナは薄紫のオーソドックスなAラインドレス、姫羅は体にぴったり張りついてボディラインを強調したピンクのシルクのドレスだった。舞香はディズニーアニメのシンデレラのような、薄いブルーのシフォンドレスを身にまとっていた。クルーザーではおろしていた長い豊かな髪を夜会巻きに結い、まるでプリンセスのようだ。これまでのコンテストで何度もフォーマルな場を経験しているからだろう、ドレスでの立ち居振る舞いも堂々としてさまになっており、やはりひときわ美しかった。
 わたしたちが席に着くと、メートルDがテーブルにやってきた。
「失礼いたします。本来ならば主催者であるクリス氏が開会の乾杯をする予定でしたが、本土での仕事が長引いて到着が遅れるとの連絡がありました。恐れ入りますが到着まで、お食事を召し上がりながらお待ちくださいませ」
 メートルDが頭を下げてちゆうぼうに戻ると同時に、制服姿のウェイターがドリンクとを使ったアミューズを運んできた。クラシックの音楽を背景に、晩餐が始まる。
「あなたが美咲ね? 東京の人だったかしら」
 アミューズを食べ終わり、野菜のテリーヌなどの前菜に取り掛かるころ、隣の席からユアンが気さくに声をかけてきた。
「クルーザーの中でもほとんど話せなかったわね。あらためまして、わたし、韓国から参加のユアンです。化粧品会社を経営してるの」
 この「ミューズ・オブ・ジャパン」はジャパンと銘打たれた日本人用のコンテストなので、日本国籍でないと参加できない。が、逆に言えば海外在住でも日本国籍さえあれば参加資格はある。
「韓国にお住まいなんですね。わたしも去年韓国を旅行しました。エステも良かったし、お料理がしかったです。いつからお住まいなんですか?」
「ここ十年ってとこかしら」
「言葉はどうやって勉強されたんですか」
「帰化してるけど、もともと両親は在日一世で、家では韓国語だったのよ。子供の頃から、夏休みには韓国の祖父母の家で過ごしてたし」
「いいなあ。K−POPとか韓国ドラマとか、そのままわかるんですよね。わたしも韓国で暮らしてみたいな」
「イケメン、めっちゃ多いもんなぁ」
 京子のおっとりとした相槌に実感がこもっていて、みんなが笑った。
「確かにイケメンはいるけど、儒教の影響が強い国だからね、年長者の言うことは絶対だから、結婚したらよめしゆうとめ問題が大変よ」
「え、そうなんですか」
 わたしは興味を隠せない。
「そうよ。うちの母は祖母と仲が悪くて。今でも二人はわたしを介してじゃないと会話しないんだから」
「嫁姑は、日本でだってすごいですよ。ってか、うち、めっちゃエグくて」
 そういう問題から一番若くて遠そうな姫羅が、話題に乗ってきた。
「じいちゃんばあちゃんは代々の地主なんだよね。興味のあることといえば、苦労して築いた財産を守っていくことだけなわけ。でも運の悪いことに父親が一人っ子でさ。またまた運の悪いことに、うちの母親にも全然子供が出来なくて。産めないなら去れ、って、それはそれはキツいいじめがあったらしい。で、なんとかあたしを妊娠できて生まれて……やっと母に対する風当たりは弱まったと。あたしも、これからばんばん産めって期待されてるっぽい──って、ごめん、こんな話、素敵なリゾートアイランドでするようなもんじゃないね。韓国いいなあっていう流れだったよね。あたしも韓国住みたーい」
「ありがと。だけど週の半分は日本にいるのよ。日本の取引先も多いし」
「韓国コスメって日本でもすごくってるもんね」
 前菜を完食し、冷製のトマトスープもすぐにたいらげた舞香が会話に加わってきた。コスメに興味があるのだろう。
「そうね。うまくブームに乗れたからこそ成功できたのかもしれないわ」
「なんていうブランド?」
「『クム』ってわかるかしら」
 どよめきが起こった。クムといえば韓国コスメの中でも最高級ラインで、アジアだけでなくアメリカやヨーロッパでも人気がある。クムは漢字で書くと「金」で、ゴールドという意味だ。パッケージにも金色のロゴが品良くあしらわれており、クリームや美容液にもきんぱくが混ぜてある。さらに皺やしみを改善すると承認された医薬部外品で、ラグジュアリーなメディカルコスメティックとして先端を行っている。旬のハン流スターやハリウッド女優をアンバサダーとして起用することでもよく話題になっていた。
「信じられない。クムって、ユアンが立ちあげたの?」
 舞香が目を見開いた。
「大したことないのよ。もともとは両親が韓国エステを経営してたの。オリジナルのコスメを出してみようという話になって、わたしがコスメ大好きだから自分が使いたいものを研究開発してたら、ここまで来ちゃっただけ」
「大したことあるわよ。大あり。若いのにそんなに成功しててすごすぎ」
「でも、もうアラサーよ。参加資格にギリギリの年齢だったわ。化粧品イベントで事務局の人に『クムの宣伝にもなりますよ』って声をかけられたから参加したけど、そうじゃなければとてもエントリーする勇気なんて出なかったでしょうね。きっとわたしが最年長だもの」
「冗談でしょ。このお肌を見てよ! まるで十代じゃない!」
 まりあが興奮してユアンの頰に指で触れる。
「クム美容液のおかげよ。みんなも今から使い始めたらこうなれるわ」
「すごい説得力!」「絶対に買うわ」
 みんなで大いに盛り上がった。
「あなたたちが買って使ってくれれば最高の宣伝になるわ。エントリーして大正解だった──って、ごめんなさい、わたしの話ばかりになっちゃって。それで、美咲はなんの仕事をしてるの?」
 ユアンが再びわたしに話を振る。
「そういえば美咲って聞き上手で、クルーザーの中でも自分のことはあんまり話してへんかったねえ」
 京子もおっとりとわたしに視線を向ける。
「あれ、ちょっと待って。フルネームの君島美咲って、どこかで聞いたことが──」
 メインディッシュのシャトーブリアンを頰張りながらまりあが言うと、舞香も首をかしげた。
「実はわたしも思ってたの。でもタレントさんじゃない気がするのよね。んー、どこでかしら」
 きっと彼女たちがいくら考えても、わたしが何者かだなんて思い出せないだろう。すでに過去の存在なのだ。わたしは苦笑しつつ答える。
「わたしはね……小説家」

▶ 試し読み【3/6】へつづく


『殺める女神の島』試し読み記事まとめ

書誌情報

書名:殺める女神の島
著者:秋吉理香子
発売日:2024年05月31日
ISBNコード:9784041144794
定価:1,760円(本体1,600円+税)
総ページ数:232ページ
体裁:四六判
発行:KADOKAWA

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