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秋吉理香子『殺める女神の島』第1章丸ごと試し読み【3/6】

『殺める女神の島』試し読み【3/6】

「そうだ、思い出した! ミステリー作家だ!」
 まりあが手をたたいた。
「え、どんな作品なん?」
 京子が首をかしげる。
「『堕天使は笑う』じゃなかった? 連ドラにもなってた」
「噓!? 『土曜ミステリー』の枠で放送されてたドラマよね? 毎週見てたわ! 美咲が原作者ってこと?」
 舞香が身を乗り出す。
「うん、まあ」
「すごーい」「DVD買ったよ」「面白かった!」
 年上の女性たちが盛り上がる中で、姫羅だけがきょとんしている。もう八年前のドラマだ。姫羅は当時まだ小学生、かすりもしていないだろう。
「美咲さんって有名作家なんだ。今は? ドラマとか映画になってんの?」
 姫羅が無邪気に聞く。
「うーん、今は特にメディア化はないかな」
「じゃあ本を買うよ。最近のタイトル教えてよ」
『堕天使は笑う』は公募のミステリー文学賞を射止め、ドラマ化もされて大ヒットした。それが大学四年生の時だったので、就職活動はせずにそのまま作家活動に専念することにした。大いに期待された次回作だったが、そこまでは売れなかった。三作目、四作目と刊行するにつれて出版部数は下がっていき、プレッシャーで書けなくなった。コンセプトもトリックも思い浮かばず、書く気力も起こらず、そのうち編集者も原稿を催促してこなくなり──ミステリー作家・君嶋美咲の存在は業界から消えた。書かなければ依頼はなくなる。居場所もなくなる。女子大生作家ともてはやされた時期もあったが、ブームはすぐに終わった。
 わたしは昔から何でもそこそこだった。勉強もそこそこ。スポーツもそこそこ。顔もそこそこ美人という程度。だけど物語を書くことだけは誰にも負けたくないと、高校生の時から必死で書いて応募を続けてきた。だから小説家になれたことは、唯一、やっと心から誇れることだったのに。
「実は、もうほとんど……ていうかどれも書店には置いてないと思う」
 テーブルに気まずい沈黙が落ちた。わたしは慌てて明るい声で言う。
「だけどね、今、次の作品の構想を練ってるから。面白い作品さえ書けば浮上できる業界だから、気を遣わないで」
 というよりも、このコンテストそのものが〝次の作品の構想〟だった。もうずっと、なんのアイデアも湧いていない。だからこそ、スカウトされた時、すがるようにこのコンテストに参加することに決めたのだ。
 文章では食べていけないのでまるうちの派遣先で働いているが、仕事帰りにスーツ姿の女性がわたしを呼び止め、「ミューズ・オブ・ジャパンというビューティーコンテストに出場しませんか」と名刺を渡してきた。コンテスト出場者のスカウトなんて聞いたことがなかった。が、これまでわたしに縁がなかっただけで、インターネットで調べてみると、別のミスコンで声をかけられた人のブログが出てきたので、あることはあるらしい。クルーザーの中で京子もそうだと教えてくれた。
 十代から二十代前半の頃は、モデルにスカウトされたことは何度かあった。身長は高いし、プロポーションは良い方だと思う。ただ顔は目と鼻の美容整形を薦められたので断った。どうせ今回もその程度だろうと思っていたが、ミスコンではテレビ映えする顔とは違い、わたしのような個性的な美が求められているのだ、と熱心に口説かれた。確かにわたしの顔は、いわゆるぱっちり目に高い鼻という正統派美人ではない。目元が若干吊り上がっていて、鼻も小ぶりだ。けれども彼女が、それこそが東洋美の象徴だと褒めてくれた。ちょうど派遣先から契約更新がされなかったこともあり、そして小説の良いネタになるかもしれないとひらめいて、参加を決めたのだった。
「そういえばこれまで、小説家のコンテスタントっていなかったと思うわ」
 舞香が言った。
「最近のミスコン参加者って、もちろんモデルやタレントの卵もいるけど、別の職業を持ってる人も多いのよね。弁護士、カーレーサー、ファッションデザイナー……ああ、医師もシェフも経営者もいたわ」
「そうなん? なーんや、シェフなんてわたしだけやと思ってたわ」
「現代のミスコンは外見的な美しさだけでなくて、知性や教養、社会性、自立性など総合的な魅力を競うものだから。今回の二次審査に来てた人の中に、すごい美人がいたじゃない。だけどファイナリストには残ってないでしょう?」
 わたしは二次審査を思い浮かべる。てっきり華やかなステージの上でウォーキングを見せるのだと思っていたら、ホテルの広い会議室のような場所で、他の参加者も見守る中、審査員の前で歩くだけだった。簡素なので驚いたが、舞香によると華やかなのはファイナルステージだけなのだそうだ。そして確かに、非の打ち所のない美女がいた。絶対に勝ち進むと思ったが、ファイナリストとして彼女の名前は呼ばれなかった。
「以前だったら彼女のような人が無条件で優勝してたと思う。だけど、もうそういう時代じゃないのよ。応募書類を読んだわけじゃないから職業もバックグラウンドもわからないけど、総合的には彼女よりもわたしたちの方が良かったということね。というわけで、今のコンテスタントたちの職業は多種多様なの。だけどプロの小説家はいなかったはず。美咲、あなたが初めてなんじゃない? 優勝すれば、本も注目されるわよ」
「そうなったらうれしいわね」
 優勝できれば最高だが、できなくても今回の体験を元に小説を書けば注目されるだろう。会社経営のユアンも、ミスコン荒らしの舞香も、女子高生モデルの姫羅も、料理人の京子も、インフルエンサーのまりあも、医師のエレナも、それぞれユニークで、キャラクターの参考になりそうだ。それに自力では一生体験できないようなリゾートでのラグジュアリーな生活などを、無料で取材できる。ファイナルに進出できて本当に幸運だった。必ず小説家として返り咲いてみせる。
「みんなユニークな経歴を持ってるのね。これでやっと全員のことを知れたかな。全然余裕がなかったもんね。ファイナリストがこんなに忙しいなんて知らなかった」
 どこか誇らしげにユアンが言う。
「あら、優勝してごらんなさいよ。これくらいの忙しさなんか目じゃないんだから」
 ワインのお代わりを給仕されながら、舞香が言った。
「一年間、国内外、あらゆるところに行かなくちゃならないのよ。土日が多いけど、春休みや夏休みも予定が埋まるわね。わたしは移動中に英会話を練習したりレポートを書いたりしてきたけど、学業との両立はかなり大変だわ。一日に十件回ることもあった。催しに合わせてヘアメイクもファッションもかえなくちゃいけないし、話題の選び方にも気をつけたり、チャリティ活動ではたくさんの人の名前と顔も覚えたりしなくちゃならない。ミスコンをバカにする人もいるけど、頭がよくないと務まらないわ。姫羅も優勝経験者だからわかるでしょ?」
「あたしが優勝したのはタレントオーディションだから、チャリティ活動なんてなかったよ。まあ事務所のお偉いさんの顔は覚えたりしなくちゃいけなかったけどね。それにグランプリをれたっていっても小さいオーディションだし拾ってくれた事務所も小規模で、ティーン雑誌のモデルにちょろっと使ってもらえたくらい。そのうち事務所もつぶれちゃったんだ。だからまたオーディションに応募したんだけど、これがまた、全然入賞できなくなってさ。やっぱ十八になってババアになったからだと思うんだよね。で、落ち込んでたらミューズ・オブ・ジャパンの案内が届いた。きっとあっちこっちに応募してたから名簿に載ってたんだろうね。ミューズなら十八が最年少じゃん? ってことはあたしが一番若くなれるっしょ? だったらそれだけでも有利かなって」
 姫羅がババアなら、わたしたちはどうなるのか。わたしとユアンが苦笑しつつ顔を見合わせていると、さすがに姫羅もまずいと気づいたようで、「ええと、とにかく」とせきばらいした。
「とにかくこんなに本格的にチャリティ活動なんてしたことないからビビったし疲れたよ。昨日のイベントだけで超クタクタ。コンテストの応募条件に健康であることって入ってるけど、マジで納得した」
「そうよね。十センチもあるヒールで歩き回ったり、二次審査でも待機中に運動してる人がいたり、かなり体育会系なんだなって。すごく意外だった」
 わたしがうなずくと、ユアンが続いた。
「痛いことも我慢しなくちゃいけないしね。わたし、この世で一番、採血がきらいなの。針が怖くて、もちろん注射もダメ。それなのにイベントで献血しなくちゃいけなかったでしょ。みんな見てるから、にこにこ笑顔を作ってたけど、内心逃げたかったんだから」
「うちも苦手やわぁ。けど助かる人が大勢いるんやもん。それに病気の人たちは、針でチクッとする以上の痛みと闘ってるわけやし。そう思ったら頑張れたわ」
「すごい模範解答」いやみなのか心から褒めているのかわからないような表情で、まりあが言った。「それ、最終スピーチで言ったらいいんじゃない?」
「これくらいじゃ、全然アカンのんと違う?」
「そうかなあ。実体験に基づいているし、リアルタイムだしいいじゃない? この体験を通して、ミューズになる覚悟とか意義とかに絡めればいいのよ」
「まりあの言う通りね。プラス、グローバルな視点を盛り込むことも大切よ」
 舞香の言葉に、
「どういうこと?」
「具体的に教えて」
 と、京子とまりあが身を乗り出す。
「例えばわたしの場合は、世界中から貧困をなくしたいの。きっかけは、高校生の時にフィリピンやグアテマラの貧困を取り上げたドキュメンタリー映画を観て、ショックを受けたことよ。わたしなりにどうすれば改善できるのかを考えて、進学した大学のゼミで研究することにしたの。ちょうどその頃、大学のミスコンに推薦されて優勝してね。それ以来国内外のコンテストから声がかかるようになったんだけど、歴代優勝者の活動を調べてみたら、世界平和とか核兵器撲滅のチャリティに参加してるということがわかった。それならミスコンという活動を通して貧困問題をわたしなりに解決できるんじゃないかなって──そういう信念で、さまざまなミスコンにエントリーをしているのよ。
 だからわたしがミューズに選ばれた暁には、賞金でNGOを設立して貧困率の高い国への募金はもちろん、実際に現地へ赴いて、自給自足するためのインフラを整備するなど、活動に身をささげることをお約束します──というのがスピーチの内容になる予定」
「さすがね。もう完璧に仕上がってるじゃない」
 わたしは焦りを感じる。てっきり、このビューティーキャンプでみんな準備するのだと思っていた。もちろん舞香は場慣れしているし、これまでのミスコンで述べてきたスピーチの焼き直しかもしれない。だとしても非の打ち所がないように思えた。
「全くもう、美咲ったらうぶねえ」
 まりあが笑った。
「こんなの建前に決まってるじゃない。インフルエンサーが、カメラの前で大ぶろしきを広げるようなものよ。再生数を稼ぐための、派手な見出しと同じ。中身なんてないの」
「あらひどいわ、本心なのに」
「だったら、どうして実現できてないのよ。これまでミスコンで優勝してきたのに、おかしいじゃない」
「わたしがミスコンで何度か優勝したくらいで解決できるほど、貧困問題は簡単じゃないわ。ミスコンで優勝したら、まずわたしの意見に耳を傾ける人が多くなる。少しずつ寄付が増えて、賛同してくれる人や企業が増えて、活動が大きくなる──そういう気の遠くなるようなプロセスが必要なの。今はその途中なのよ。ミューズ・オブ・ジャパンという伝説的なタイトルを獲ることができれば、さらに注目を集めて活動を広げられるわ」
「きれいごとに聞こえちゃう。本心かなぁ。じゃあ百歩譲って、貧困がなくなればいいと心から願っているとする。だけど今この場に神様が来て『このコンテストでの優勝か、世界から貧困がなくなる願い、どちらかがかなう』って言われたら? 迷いなく優勝を選ぶんじゃないの?」

▶ 試し読み【4/6】へつづく


『殺める女神の島』試し読み記事まとめ

書誌情報

書名:殺める女神の島
著者:秋吉理香子
発売日:2024年05月31日
ISBNコード:9784041144794
定価:1,760円(本体1,600円+税)
総ページ数:232ページ
体裁:四六判
発行:KADOKAWA

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