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世界史の遺言


ティムール

14世紀半ば、中央アジアのチャガタイ=ハン国は東、西に分裂した。ティムールは西チャガタイ=ハン国に都をサマルカンドにおいたティムール朝を開き西トルキスタンを統一した。

かつてモンゴル帝国は陸、海すべての商業ルートを接続する国だった。ティムールはそんなモンゴル帝国のような国を作り直したいと考え行動に出る。
イル=ハン国の領土を征服しイラン・イラクを支配、キプチャク=ハン国を攻撃し南ロシアへ進出。そしてトゥグルク朝を征服し西北インドを支配、アンカラの戦いでオスマン皇帝を捕虜とした。
さらに明を討伐しようと東方遠征に出発するがティムールはその途中で病死。その後ティムール朝はトルコ系遊牧ウズベクに滅ぼされた。

しかしティムールがイラン人世界とトルコ人世界を統一したことで14世紀~15世紀の中央アジアでは文学、学芸、商業の中心地として繁栄した。

ティムールの遺言

おまけがついてくることもあるので、目的をもち計画を立て行動しよう。
死んでしまっては元も子もないので健康第一!


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