【1日目】極端かつ怠け者の人間が、「なりたかった自分」になるための記録
第1 このノートの目的
1 「なりたかった自分」になるための記録として
はじめましての方ははじめまして。
かもと申します。
私は、極端な人間であり、かつ、怠け者です。
このノートは、そんな極端で怠け者の私が、少しずつ自分を直していって、やがて「なりたかった自分」になるための第1日目の記録です。
ですので、このノートはすでに成し遂げた成功体験を書くものではなく、日記帳の最初のページのようなものです。
以下には、自己紹介や「これからこんなことをしていきます」という決意表明などを記しています(成功体験を求めて開いてくださった方がいましたら申し訳ありません…)。
これからノートの投稿を続けていくなかで、何百日後、何千日後になるかはわかりませんが、自分のことを「まともでない」だなんて思わないでいられるような、そんな自分になりたいのです。
2 同じ悩みを抱える方の「おつまみ」に
また、同じような悩みを抱える方に、ノートを通してほんの少しでも何かを残せたら、とも思っています。
それは、ある種「おつまみ」のように。
どういうことかと言いますと、自分と同じような状態に置かれた人を見たときに、何か嫌ではない感覚、ある種ほっとするような一人ではないような感覚や、不安から離れて興味が湧いてくるような感覚を覚えることがあると思うのです(もちろんそうでない方もいらっしゃると思います)。
そこで思ったのです。
私のノートを見たときに、「こういう人って他にもいるんだなぁ」とか、「この人、こんなこと言っているけど、これからうまくいくのかなぁ」とか、「結局どうなったんだろう」とか…。
そんなふうに思い考えながら、軽く私のノートを「つまんで」いただくことで、ほんの少しでも画面の向こうの「あなた」の心が軽くなったりしたら、と。
そんなことを思っています。
第2 私の極端さと怠け者具合について
私はどういったふうに極端で怠け者なのか。
「高校生のときなどに課題が出されたとしたら」ということを例にして、以下に書き出してみたいと思います。
まず、私は怠け者ですから、基本的に課題なんてやりたくないわけです。
漫画を読んだり、動画を見たり、絵を描いたりして、ともかく遊びたいのです(もっとも、単に遊びたいというよりは、課題への不安から目を逸らしたいという気持ちも強いのですが)。
一方で、親などに怒られるのも怖いわけです。どのようなかたちであれ、窮地に立たされることは非常に恐ろしいわけです。
そこでどうするか。
私の場合、選択肢は次の4つです。
選択肢①:最初から一切手をつけず、課題を提出しない。
ここでは、中途半端なものを出すくらいなら、出さない方がましという私の極端な思考が働いています。
いつも後で気がつくのですが、中途半端であろうと出さないよりは余程ましなのです(少なくとも課題というものに関しては、個人的にそう考えます)。
それにもかかわらず、中途半端なものなんて最初から出さない方がましだという結論に至ります。
一方では「このままではまずい」と思いつつ、一切手を付けることはないのです。
選択肢②:まだ余裕のあるときにほんの少し手を付けてみるが、気持ちの面で早々に挫折する。それ以降は一切手を付けなくなり、結局、課題を提出しない。
ここでも、中途半端なものを出すくらいなら出さない方がましという極端な思考が働いています。
また、非常に気持ちが挫折しやすく、少しでも躓くと異様な不安に駆られ、不安から逃れるべく課題を放り出します。
挫折しやすさの点でも、「極端な」マイナス思考といえるかもしれません。
そして振り返って、「あの程度ならできたはずなのに」「諦めなければよかった」と後悔するのですが、それが次に生かされることはほとんどありません。
こんな人間なので、努力をなさっている世の方たちや、自分なりに自分のこなすべきことをなさっている方たちを見ると、本当に立派だなぁ、すごいなぁと思います。
選択肢③:ものすごくやる気があり、しかも満足いくようにこなせる自信がある場合には、早々に手を付けて進める。
ただし、課題を終えるまでにものすごく時間がかかる(文字の丁寧さなどに異常に固執したりする)。
またこの場合、思う通りに課題を終えることができればもちろん提出するが、そのようなことは滅多になく、提出しない可能性の方が大きい。
やはり極端なので、極端にやる気があるときもあるのです。
ただ、極端ゆえに完璧にこなそうとしたり、前述の通り気持ちの面で非常に挫折しやすいという部分もあったりします。
そのため、入り口としてはやる気いっぱいなこの③ルートに入れたとしても、出口としては課題未提出となる可能性が非常に大きいのです。
選択肢④:さすがにやばいと思い、火事場の馬鹿力で締切ギリギリに終わらせる。
こちらはスタンダードな選択肢かと思います。
漫画等でもよく見かけますし、「提出しない」という選択肢が常駐してきた私からすると、「終わらせてひとまず提出できている」という点で憧れの選択肢でした。
私も年々、この選択肢に滑り込めることが増えてきたのですが…。
実は、私は現在、約2年後にとある資格試験の受験を控えている身にあります。
そのため、選択肢④だけではとても乗り切れない状況に至り、大変参っています(頻繁に将来を憂いては、いなくなってしまいたい……等々考えています)。
以上の通り、課題を例に出しましたが、私は基本的に以上のような選択肢を抱えて生きている、「極端かつ怠け者の人間」です。
第3 これから試してみること
以上のような極端かつ怠け者な私が、「なりたかった自分」になるための方法として、これから試そうと考えてるのは次の方法です。
どうせ極端だというのなら、「遊び」から一切手を離してみる。
少し説明を加えますと、私は自分に極端な部分があることについては自信があります。
そこで、そのような「極端さ」を活かすことで、「遊び」から一切手を離せないだろうか、そうしてすべてを「やるべきこと」の方に振り切れないだろうか、その結果怠け者から脱することはできないだろうか、と考えたわけです。
もちろん、「『遊び』は息抜き程度にほどほどに。バランスよく『やるべきこと』をこなしていく」というスタンダードなものを目指す方がよいのではないか、とも思うのです。
私のような怠け者には前述のような方法はあまりにも無理があり、それこそ早々に挫折するのではないか、楽観視しすぎなのではないか、とも思います。
ただ、怠け者であることに加えて極端さを持っているからこそ、むしろ、「遊び」から徹底的に手を離す方が、自分の極端さと合致していて楽になれるかもしれない、という予感がしたのです。
そのようなわけですので、ひとまずは「どうせ極端だというのなら、『遊び』から一切手を離してみる」という方法を今後試していくことになります。
極端かつ怠け者な人間がふと思い付いた「極端な方法」です。
うまくいかない可能性の方が大きいのではとも思います。
今後、記録を続けていくなかで、この方法がうまくいくのか、この方法で私は変わっていけるのかを、私自身で確かめていくことになります(なお、詳しいルール等については今後の投稿のなかで整理していきたいと思います)。
第4 おわりに
それでは、今回はこのあたりで終わりとしたいと思います。
極端かつ怠け者の人間を、これからどうぞよろしくお願いいたします。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました(あなたの「おつまみ」なれましたら幸いです)。
2022年7月6日
かも
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