かも
もう何もかもめんどくさい。生きていくの面倒くさい。投げ出したいけど投げ出せるほどの考えなしにはまだなれない。ここで終わりでも全然いいのに。
休んでいても動いていても良いことがない。一般論が嫌い。人と話したくない。太りたくない。否定されたくない。指摘されたくない。見たくない。嫌なものをだめなもので誤魔化したい。
世の中にはいい場所があることもわかるけれど、そこが一時的なものなら、やっぱりまた同じようにここに戻ってくることになる。ここから生きるために、暖を取らせるのと、寒いそのなかに暖を見出させるのとなら、後者の方が自分には持続性がある。
「何も感じない自分」(恥ずかしい言い方ですが)を作ったつもりで動くと、電話も躊躇いなくできる。懸念や緊張が遠くへ行くので、途端に、前よりもずっとスムーズに必要なことをできるようになる。自分の構成部分は、対外的な「不要」だらけ。
衝動が起こっても、辛抱する。とにかく。他のものを見て、気を他へ向ける。いることを正当化できなくなっても、わけがわからなくなっても、ひとまず耐える。「あなたがもう少し待っていたら、」とあの本にも書いてあったから。そうすること。耐えた先では、先の自分がこの私に代わって生きてくれる。
正直、外界全般で結構な時間をおどおどビクビクしているのにも疲れたし、無駄なエネルギーを使っていると思う。だけど今のところ反射でそうなっているから、今日も無駄な負荷がかかることになると思う。今さっき何事もなく横切った車のエンジン音に、反射的に心臓がドキドキして負荷がかかったみたいに
そうこうしているうちに、春がやってきました🌸 うれしいです。
最近、「これ以上生きていてもいいことがないから。ごめんね」という言葉が浮かぶ。 生きていたくない気持ち。 自分に生きていてほしいと思う人がいる場合には、その人を苦しめることになる気持ち。 だから謝る。 でも謝るだけじゃきっと足りない。 絶対に足りない。 してはいけない。 それを思って踏みとどまる。 踏みとどまるために、目を逸らす。 野生児みたいに振る舞ってみる。 「これなら生きていけるかも」 「自分にはあの苦しいことはもう関係ない」 「だいじょうぶ
第1 夢日記①(黄色のパジャマ) 今日は、西友で買い物をしました。 青いタオルを2枚、相手方に買って返す必要があったようで、そのためでした。 当初、西友に併設されたデパート内のタオル屋さんへ行くつもりでしたが、一応と思い西友へ行きました。 当然、西友の方が価格は安いので、面倒がらずにこちらへきてよかった、とほっとしました。 私はまだ大学生で、身軽でした。 当時の感覚がよく再現されていました。 陳列棚には、ずいぶん大きなタオルが並んでいました。 現実ではあ
孤独感に押し潰されそうな早朝🤧 怒ることができているうちはまだいいのかもしれません…。エネルギー切れでしょうか?
あっという間に9月です。最後の投稿をした頃から歴代最高の無気力さを獲得し、生活等々疎かになりnoteにも手が伸びずにいました。ようやく気持ちの波が落ち着いてきました。また頑張っていきます🌱🌻🙇♀
この頃は大変無気力です。しかし自分を元気にしてあげたいとも中々思えないのです。
コンビニで買ったアールグレイティー。香りがそれほどなく苦めだったので、牛乳を入れてミルクティーにして飲んでみたらとても美味しく感じました。何だか爽やかでほっとします。こういうものがあればやっていけるかもしれない、なんてふと思う午前中…。