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vol.49 ジョージ・オーウェル「動物農場」を読んで(山形浩生訳)

「一九八四年」を読んで以来、ずっとオーウェルの著書が気になっていた。

1945年8月、イギリスで刊行されたこの「動物農場」、政治的な主題を寓話的に描写しているので、権力政治を風刺しながらも、どことなくユーモラスな感情で読めた。この小説の批判対象は、ロシア革命とスターリニズムに続くソ連社会主義の倒錯とのこと。実際に、20世紀の思想や政治に、人々が抑圧された状況があったことを意識しながら読んだ。また、当時の労働者たちの心理を想像しながら読んだ。そして、今でもいろいろな組織の中に、似たような状況が潜んでいると感じながら読んだ。

<あらすじ>

人間が農場を支配し、利益を搾取していた。そこで飼われていた動物たちが革命を起こし、人間たちを追い出した。優秀な「豚」の指導のもと、「動物主義」に基づく「動物農場」をつくりあげる。しばらくは、人間の支配よりマシな社会に動物たちは満足するが、やがて不和や争いが絶えなくなる。やがて雄豚の「ナポレオン」が絶対的な権力者となり、人間か支配していた時以上に抑圧的で過酷な農場となる。(ウィッキペディアを参照)(あらすじおわり)

ここで描かれた「メイジャー爺さん」は、ソビエト連邦を作り上げたウレジミール・レーニンがモデルとされている。そして絶対権力者の豚の「ナポレオン」のモデルが、ヨセフ・スターリンとなっている。この寓話は、ソ連の歴史をかなり忠実になぞったものらしい。

ここに登場する「動物農場の7戒律」が、わかりやすい例のような気がする。「すべての動物は平等である」しかしこの鉄則は、賢い豚が独裁を帯びるごとに、「すべての動物は平等である。しかし、一部の動物は他の動物より、より平等である」というふうに追記されていた。この詭弁が、なんだか今の社会をも風刺しているように感じた。

戦後民主主義にどっぷり浸かった教育を受けてきた僕が、オーウェルが描く、全体主義への痛烈な批判に触れると、自由と平等ってなんだろうか、それを求める気持ちはどこから来るのだろうか、そんなことを考え始めた。また、権威とか階級とか支配とか、そんな言葉は、もうとっくに馴染めなくなった僕の生活から、旧ソ連体制を知るきっかけにもなった。自由って、もともと人間が求める自然の摂理なのか。平等って宗教的な価値なのか。大して不自由さを感じていない僕は、「動物農場」に出てくる豚や馬、ロバやカラス、犬、人間などの言動に触れながら、独裁者が現れる過程を見たようにも思えた。

また、昨今の、独断的な指導者への賞賛の声に、不安を感じる中で、それがさらにリアルに感じた。報道を通して、中国化が進む香港でのデモや、中東における強国の価値観への押し付けなどを見ると、世界はまだまだ、不安定要因がたくさんあるように思えた。

そんな暗い思いの中で、動物たちのほっこりとし言動に、この小説のおもしろさを感じた。僕は特に、雄のロバ「ベンジャミン」に親近感を覚えた。このロバ、豚の「ナポレオン」の異常さに気付くも、特に積極的な改革に乗り出そうとしない、どこか斜に構えた性格は、どこか自分に似ていると思った。もし自分がこの状況に置かれたら、似たような行動を取りそうで、自分が嫌になった。

とにかく、現代が、過去の教訓を生かして、一方的な考え方に束縛を受けない、秩序を乱さない程度の自由な選択ができる社会であってほしいと思った。そういったことを楽しく考えながら読める小説だった。

ちなみに、ピンクフロイドが1977年に発売した「アニマルズ」はこの「動物農園」をモチーフにして制作されたらしい。10代の頃よく聞いていた。

(おわり)

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