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〜人生〜 エピソード1

私の人生 0-15歳

          保育園

保育園の頃、私は身長が高く園内のスポーツ大会では毎回友達と二人で1、2位争いをするほど運動神経が良く姉との歳が離れていた影響で性格は温厚で大人人びた性格をしていた。家では、ゴールデンレトリーバーの『チェロ』という犬を飼っていた。
習い事は5歳の頃に自分の意思で始めたサッカーと親から勧められてECC(英語塾)に通う。
私の母親は常に私の意見を尊重してくれる性格なのでサッカーをやりたいと伝えた時にすぐ理解してもらえた。母親には自由に育ててもらった。父親は亭主関白なタイプで仕事以外あまり興味はない。口数も少なくあまりテンションが高い時は見たことが無かった。ただ、海外旅行が好きなようで多くの海外旅行に連れて行ってもらった。旅行に来ている時少しだけ顔の綻びが緩んでいるように感じた。私の初めての海外旅行は3歳の頃でグアムに連れて行ってもらった「らしい」。幼すぎて記憶にはない。次に連れて行ってもらったのは5歳の時で「オーストラリア」だ。「オーストラリア」と私の人生は多くの関わりがある。その時は鮮明に記憶に残っているがみんなで朝マーケットに行って買い物をしたりフェリーに乗ってグレートバリアリーフをクルーズした。両親共にとても幸せそうにしていた。今思い返すと本当に海外旅行が好きなのだなと感じるのと共に多くの思い出を作っていただいた両親には心から感謝している。

       2005年 チェロ死去
チェロとの記憶はほとんどない。ただ、チェロがなくなった日は鮮明に覚えている。保育園のなんらかのイベントがある日の当日の朝だ。普段は外で飼っていたのだが私の地元は豪雪地帯なので冬に近づくにつれ気温が下がるため冬は二重扉の玄関で飼っていた。その頃少しずつチェロが弱っていってるのを感じた。チェロ死去当日、母親がチェロに餌をあげ普通に食べ切るチェロ。私もイベントに向け朝食を食べきった。食べきったチェロは玄関に戻り私は出発に向け準備をし支度を終えいざ出発と玄関に繋がるドアを開けた、、、、、、、

チェロは最後まで私たち家族を心配させまいと私たちの前では普通に振る舞って誰もいない玄関で息を引き取った。

初めて「死」というものを知った。



小学校編以降から一部有料とさせていただきます。これ以降の話も引き続き私の人生を記すものであり全て実話です。

 

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