ウィーンで「サラダ」を考えた日
ウィーンからこんにちわ。かぬしゃいです。
しばらくぶりの日常の雑記です。
気づけば2回目のウィーンでの春。
とはいえ、まだ衣替えができないほどの気温の不安定さ。そのため、晴れた日にはこぞって皆さんソロピクニックやらカップルピクニックに勤しんでおられます。
なお、我が家のパートナー君は、超絶インドア派なので、素晴らしい天気でも私は一人でジョギングに行きます。
カップルピクニックに憧れますが、まぁ無理なものは無理なので、一人で春風を感じながら走っている昨今です。
さて、標題の件。
こちらに来て、驚いたというか気づかされた「サラダ」の概念について。
とある日のこと。
友人たちと地元のチェーンのピザ屋さんにて夕食を食べようと集まっておりました。
友人の息子君(5歳)がレストラン中を走り回りかねない雰囲気だったため、とりあえず外に行って遊んであげることに。
まだオーダーしていなかったため、私はパートナー君に、サラダ注文しておいて!とお願いし、外へ行きました。
5歳の男の子はとにかく元気!
車に興味を持ち出したと思ったら、すぐにテラスの椅子をいじりだし、かと思えば走り出す…。10分持たずして体力の限界を感じました。
さて、しばらくしてごはんが運ばれてきたとの連絡があったので、テーブルに戻ってみると、そこにあったのは…
ひよこ豆とエビ
すかさず
「えっ!?サラダ注文しておいてって言ったんだけど?!」とパートナー君に言うと、
「かぬしゃいはシーフード好きでしょ?だからシーフードサラダにしておいたよ!」と。
「あ…そう。あ、ありがとう」と混乱をしながら大量のひよこ豆とskampi と呼ばれる大きめなエビを5尾食べました。
私の脳内では、サラダ=緑の野菜が入っているものという認識だったのですが、パートナー君の脳内では、サラダ=ヘルシーなものが盛られているプレート、という認識だったようです。
確かに、彼が育ってきた環境は、シュニッツェル(カツレツ)の付け合わせはいつもジャガイモサラダ(kartfelsalat:下の写真)であり、彼の大好きなサラダはお義母さんの作る豆サラダ(bohnensalat:下の写真)です。
サラダ=緑色 という概念は、世界共通の概念ではなかったということに改めて気づかされました。
でも、やはり日本人的な感覚だと、じゃがいもサラダ、つまりはポテサラを毎日食べたらなんだか健康に良くなさそうと思うわけですし、やはり日本ではサラダは、健康的で緑色をしているというのが共通認識かと思います。
しかし、今回は豆。しかもひよこ豆のみ。
私にとって豆サラダは完全に変化球でした。
サラダの概念を二人で揃えておかないと後々問題になってくると思い、とりあえずcambridgeの英英辞書 を確認すると、
とのこと。
ふむふむ。
第一定義は、火の通っていない野菜を混ぜたものとのこと。通常はレタスを含む。
そうですね、これが私の言うサラダです。
第二定義はというと、火を通す、または火を通さない野菜を小さなピースに切ってあるもの。
ここでやってまいりました、火を通す。
つまりは、オーストリア風のジャガイモサラダも、豆サラダも、火を通してドレッシングに和えてあるものなで、立派なサラダなのです。
(小さなピースに切っているかは個人の感覚なのでここではいったん除外)
そこで、パートナー君に彼の考えるサラダの概念を聞いてみると…
「油で炒めていなければ、野菜はすべてサラダ」 とのこと。
なるほど。そう来たか。
豆が野菜に分類されるかはおいておいても、とりあえず、軒並み野菜炒め以外はサラダという話です。
確かに考えてみると、豆サラダ、ポテトサラダ、マカロニサラダなど、むしろサラダという言葉を使えなかった場合、それぞれに何かしらの名前を付けなければならないので、かなり面倒なことになりそうです。
なので、とりあえずサラダの主体となりうるものにサラダをつけとけばいいと言う、「サラダ」の言葉の持つ便利さに気付かされたのでした。
とはいえ、日本の場合だと酢の物がサラダになってしまう危険性を孕んでおりますので、日本食では気をつけて使うべきかもしれませんね。
まぁしょうもない気づきの話でありましたが、本日も、私の大好物のほうれん草のお浸し、別名ホウレンソウサラダをいただくこととします。
それでは、また次回。
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