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#0072自由進度学習で育む子どもの主体性

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余白
けテぶれ@ちゃんねる〜自ら学び考え、生きるための教育論〜
2023年12月11日


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はい、おはようございます。けテぶれチャンネルが始まりました。パーソナリティの葛原祥太です。この放送では、全国の子供たちが自ら考え、自ら学び、自ら生きられるようになるための教育実践「けテぶれ」「QNKS」「心マトリクス」についてお話をしていきます。

教育改革への自信と使命感

実は、これは取り直しをしまして、本当のこのチャプターでは、ちょっと「学校やばいよね」という話をしたんですけど、あまりにもネガティブに傾きすぎたのでこれはちょっと出せないなということで消しました。やばいのはやばいですけどね。そして、僕の主張が、僕の感覚ではほぼ解決できるとも確信しているので、こうやって発信しているわけなので、ぜひ元気な方はどんどん受け取ってください。


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ただ、本当にしんどいですから、もう毎日こんな実践をね、僕も結局自分で考えて自分でもうずっとやってきていることだから、これ以外できないからこれやっているという話なんですけど。じゃあ新しく何か理論を学んで、それをあなたの教室に取り入れなさいと言われても、今の生活上、もう学ぶ気もおこらないし、しんどいですよね。その気持もめちゃくちゃ気持ちわかります。

ただし、そうですね、ご自身の実践や思考の文脈としてなんかフィットしそうだなというものは、サクッと入れられたりするという感覚もあるので、本当にご自身の実践の様子を見ながら徐々に取り入れてもらえればいいかなと思っています。

いや、本当に本当に自信あるんですよ。これに関しては、もう自信がなくなってきたら発信やめますから。僕、勝てる勝負しか僕しませんので、そういう意味では本当に勝てる勝負だと思って、何年も前からもうずっと同じこと言っているという状態です。Voicyでちょっと情報分脈が出せるようになりましたので、ぜひちょっと聞いていただいて、もう学校教育ね、本当にここまでなんていうか根本的に全部包み込む形での提案みたいなのは、いや本当に類を見ないと自分では思っています。

素敵な実践って大体根は一緒なので、もう本当に同じことを言っているみたいな感じではあるんですけど、ここまで義務教育のリソースを使って、何も捨てることなく意味を変えることで新たなフィールドにしちゃうみたいな構造を取れているのは、なかなか唯一無二だと自分では思っております。

なんかあんまりこんな大きいこと言うと嫌われますか。大丈夫ですか。ま、ぜひついてきてください。損はさせませんと。もう全部導入して全部ガラッと変えた時、本当に学校楽しくなるし、楽になります。こんだけ大変な時代ですが、定時出勤定時退勤ですよ。

ということで、やっぱり学校への危機感が募れば募るほど、勝手に使命感を高めている葛原です。ここからは具体的な実践の話をしますが、けテぶれ会という会を開いていて、その会で話題になったんですけど、「自由にしましょう」みたいなことが結構メッセージとしては強いんですけど、漢字ドリル、漢字の学習から始まって、算数も自由進度としてみましたみたいなことになった時に、ありがちな困り感として「自由にすると進度が揃わないわけですから、そうなると終わらない子が出ます」みたいな、「これどうするんですか」という質問が、まあまあまあありえますよね。

自由進度にしたから、学習が終わらない子がでた?

ここに答えていく前に、じゃあ1歩下がってですね、教師が進度コントロールして1時間1時間確実に終わらせていって単元末まで行きましたってなった時に、遅れてる子はいないのですか?ということは言いたいわけですね。1回授業したからその授業はもう私は教えましたから、あなたはできるはずです、はい進度間に合いました、というのは、あまりにも乱暴です。そこでこぼれ落ちた子が挽回するチャンス0なので、このロジックにちょっと引っかかりはあるんですよ。

「自由にしたから遅れる子が出ました」、いや本当ですか。そこを因果で繋がりますか。遅れる子は一斉授業ではついてこれてたんですか、という話です。じゃあそこに対する手というのは、一斉指導でも打ててなかったよね、という。それは教師が授業した気になって1時間終わった気になっただけで、子供たち1人1人、特に勉強も苦手でやる気もない子からしたら、勉強全部、この単元の学習終わりましたって、その子言いますか。全然言えないでしょという話です。

だからそこは繋がらないとは思うんですよ。一斉指導じゃないから自由進度に切り替えたから遅れる子が出てきました、いやいやいや、遅れる子が見えるようになりました、が正解です。今まで見えなかったんですよ。埋もれてたんですよ。なんとなく黙って静かに、とりあえずやってる振りだけしてノートだけ取っていたら、できてる風に見えてたんですよ。でも自分でやってみるというフィールドになった途端、それが進まなくなるわけです。なんとなくやったふりができなくなるわけですから、目に見えるようになってきたという話です。

学習が遅れていく子に対する手立て

ここはちょっとお踏まえて次の話に行きたいという風に思います。次の話は自由度のことからです。とはいえ、遅れている子がいるというのは事実なので、それをどう解決していくかという話をしたいと思います。

教師が手取り足取り教えてあげた方が学習の進みが良くなるという子もいるにはいると思うので、自分でするってなった瞬間、進められなくなる。でも先生がなんとなく授業を進めていたら、なんとなく進められていたみたいなことは想定はできるかなと思いますけれども、じゃあその状況がネガティブかって言うと、一旦ネガティブには映りますけど、僕の説明では全くネガティブではなくて、というのは、与えられた空間においてなんとなく進められた後、その仕組みを取った瞬間、全部何もかもが進まなくなるということは、それいつ解決するんですかという話でしょう。

小学校はそうやって安全に過ごさせてもらった時、おそらくですが中学校で徹底的につまずきますよね。やらされ勉強から自分で勉強しなさいにいきなり変わって、そのいきなり変わった瞬間、中間テストに向けた勉強ですから、何か12ヶ月分の勉強を全部自分で用意して1週間で定着させてテストに臨みましょうみたいなこと言われるわけですよね。できますか。できないですよという話です。じゃあどこで練習するんですかという。

でそのつまずきを、じゃあ小学校の段階からちゃんと自分に向き合って必要感を持って、そこに対してその課題に対して解決しようとするアプローチを取った方が良くないですかという。そうじゃないなら、それがそのアプローチすらも全然回ってないなら、何か手立てを打ってあげるべきですが、ここから本題に入るんですけど、自由ですよ。自由にした瞬間、僕はこれをどう解決してるかって言うと、結局国語で問いに対する思考を深めていかなければならないみたいなものが不得意で全然進まないとなった時に、逆に算数はなんか計算問題の単元でサクサク進んでもう結構時間ができたってなったら、その余りの時間をここに回せばいいじゃんという発想ですね。

教科横断的な時間活用の提案

理科が順調に終わっているなら理科の最後の時間はじゃあちょっとこれをやればいいじゃんというマネジメントが子供自身の発想としてできるという場作りですね。それは結局全部の教科がある程度の自由度で覆われており、自分の必要性においてカスタマイズできるみたいな空間作りを目指していますので、そういう全面的な自由があると子供たちは自分の進度に応じて自分の学習内容を選択し調節するということはやり始めるんですよ、普通に。

学期の全体像が見えているからこそ、その規模で「自己調整」ができる。

学習進度の可視化と自己管理

ここが何というか、子供たちの主体性を信じるみたいな話になるんですけど、信じてるだけじゃダメなので、普通に授業1つ1つの構造として計画と振り返りですね。でその計画の中にどの程度の自由度を含ませ、含んでいるかということは子供たちに説明、メッセージとして渡してあげなければならないし、かつ全授業の自由進度にするからには今の現在位置ですよね、が見えるような状態を、僕は大計画シートと言っていますけれども、何ページまで進んで何ページまで進んでいないのかとか、そのページにおける理解度はできる状態なのか、それとも説明できる状態なのか。でそれを使ってクリエイティブな活動、つまり活用状態ですね。でその理解を試すことができてる状態なのかみたいな学習の進度、もしくは認識の高まりみたいなことを認識できるだけの表ですよね、というものが子供たちの手に渡っているかどうかですね。

じゃないと自分の進捗状況を自分で理解するってなかなか難しいですから。でそれが全教科に渡っていると、全教科分ちゃんと自分の進み具合のデコボコというのが把握できていないと、さあ今から自由です、何しますかの時に、やりたいことに流されてしまったりとか、本当にやるべきことを見逃してしまったりとかするわけですね。

週単位の時間割りで長期的視野を養う

あとは、教室の左前の時間割り書くゾーンというのが前の黒板に書いてらっしゃるか後ろの黒板に書いてらっしゃるか分かりませんが、なんとなくある教室多いんじゃないでしょうかね。今日の1時間目から5時間目までみたいな。でもスケールが僕は1週間です。1週間分の時間割りをもう月曜日には貼って、で時間割り変更があったらそのままA3でカラーで印刷してるんですけど、でそのA3の用紙にペンで書き込んで時間割を変更していく。ということをやると、今日だけじゃなくて次の週、次の日とか1週間丸ごとで見通しを立てて計画を立てるってことができるわけですね。

時間割変更などは、ここにペンで書き込んでいく

図書館を活用した自主学習の促進

はい、とか。あとは図書の時間。図書の時間も図書って言った瞬間、なんか全員黙って本読みなさいっていうのはなんかあまりにも時間の使い方として狭い気がして。図書って図書館って学習センターでもあるわけでしょ。で図書で学習するっていうことは、大人だってもやるわけで。だから図書室、図書の時間というのは学習をしてもオーケーですっていうことになっています。

すると、うちの図書館は2フロアに分かれていて、なんか畳の部屋とかあるんですよね。でするとなんかある女の子がもう「私、畳になった瞬間めちゃくちゃ集中できる」みたいな感じで、めちゃくちゃ喜んで勉強してるんですよとか、ありえて。でだからうんと、さっきの自由度の文脈で言うと、図書の時間はもう本当に教科に縛られずに何か勉強を自分で進めるっていう時間に使えるよっていうことを言うと、1時間なんかバッファの時間みたいな感じですよね。そこで取り戻せるっていうバッファがそこで聞くので、そういう仕組みも作りみたいなことですね。

宿題は自由!の裏側

でさらに言うと、さらに宿題ですね。宿題は自由解放されていますから、ここで毎日国語に書いている自分に必要なことを宿題でやってきましょうというメッセージを書いて、自分に必要なことって書いてるだけです。ここが効いてくるわけですよね。自分に必要なことが自分の学校生活において非常によく見えてくると、今私は家で何をすべきかということが非常によく分かってくるんですね。宿題は自由と言うためにはここまでの環境整備がいるということですね。

でもこれめっちゃ難しいので、やってきたことめちゃくちゃ褒めます。つまり家で自分に必要な宿題を自分でやるってめっちゃすごいじゃないですか。勝手に教科書開いてノート開いて、授業の続きを自分で家で進めるわけですよ。こんなことができるなんてできるのってむちゃくちゃすごいと。ということは教室には紹介して、そうなるとかなりハードル高いですけど、お家で勉強してくるという選択肢が子供たちの中に入り始める。できる子はできますからね。できる子はもうどんどんできて、だから本当にポジティブな例で言うと、もう勉強するの楽しいで、家と学校と連動させてこういう計画で私はやるとか。言う子も出てきてはもちろんいますので。

できなかったら終わりか。全然できなかったら終わりじゃなくて、家で勉強するっていうの難しいなら、学校の時間使うしかないので。そういう学校の教科の学習の自由度がありますから、例えば図工の単元で作品作りが早く終われるケースだってあるわけでしょ。じゃ余った時間何するの。あなたもうそもそも漢字の宿題全然サボってるんだったら学校の時間使うしかなくないっていう発想ですね。

がそこでもう本当に自由度でこうその余白の部分で包み込んでいくっていう発想ですね。でだから最初の質問に戻ると、結局授業内の単元内の学習が終わらなくて困っているなら、その足りない分の時間を補えるだけの日々のゆとりみたいなものがあると、子供たちは自然とその余った時間において自分の必要な課題を済ませていこうという動きをし始めます。もうこれはするからっていう、いやだって・・・とか言わないで、って思います私は。いや、そんな子供たちみたいな、そんなことで教師の発想でブレーキかけないでって思ってます。

自由度が高まれば高まるほど、そこには教師のサポート、さっき言ったような環境的なサポートもそうですし声かけ的にもそうですが、というのは豊かに必要になってくるというのはまあ一面あるので、できないのを子供のせいにしてはいけないねとは思いますね。支えてさえあげれば確実に子供たちはできるようになります。

一部科目だけの自由化の課題

でもう1つ面白かったのが喋っていて、僕も学びになったんですけど、例えばですね算数の授業だけが自由進度ですってなるじゃないですか。で他は先生が進めますってなるでしょ。そうなるとかなり大きな弊害というかアンバランスな環境が生まれてしまう。

一斉指導って子供たちの認知的負荷、もうちょっと嫌な言い方をすると「忖度的負荷」ですね。ネガティブな言い方しますけど忖度的負荷。これがたすぎるんですよ。

先生がこうやりたいだろうから今はこうしようとか、先生ありきの学習みたいなことが一斉指導の中で結構やられてしまうと、その中で子供たちは疲れてしまう。「自分で考えて自由を希求するものとしての自分」みたいなものがあまり大切にされない空間にずっと浸されていると、人間、本当に萎んできてしまうんです。学校では勉強するものっていう風に考えているなら、毎日の勉強はしんどいけど先生の話を聞いてっていうことを多くの子はするわけ、してくれるわけですよ。

じゃあ「自分で考えて自由を希求するものとしての自分」を取り戻すのはいつ?休み時間でそれを解放させるっていうのはもちろんあるんだけど、それだけじゃ足りなかったりするわけですよ。

そういう環境において、算数だけなんか自由になったらどうなると思いますかっていう話です。勉強する気起きますかっていう。なんかずっと「やらされて」いるのに算数だけなんか自由、自分でやっていいってなる。これ子によりますけれども、子供によっちゃそういう状態で生き生きと学び始める子は当然出てきますが、そんな子ばっかりじゃないですよね。

え!やんなくていいの!?、やんなくていいならやんなくていいじゃん!!ですよ。そういう発想が発生しうる環境を実は作ってしまっているっていうことに、ちょっと自覚的になってもいい気はしますね。

つまりその状態ではその子はずっとお客さんなんですよ。先生にやらされている環境でずっと過ごしている状態では、まだ自分の人生は自分でコントロールするみたいな発想はできてないわけじゃないですか。だから先生に動かされるだけで、それが退屈だし面白くないし意味も感じてないんだけど、でも学校ってそういうものだからそれに従っておこうみたいな生き方をずっとしていたとして、その子が一旦週1回、週1回毎日1時間だけはなんかそのコントロールが外れるわけですよね。じゃあ動かないでしょ。休むでしょ。サボるでしょ。アツい部活動の経験がある方ならわかるかもしれませんが、たまにある「顧問がいない日の練習」ですよ。そうなってしかるべきじゃないですか。

義務教育の意義と社会参画への準備

やる気がない、学ぶということに対して魅力を感じていない子はそういうことが起こってしまう。じゃあもうちょっと大きなスケールで考えた時に結局全学年、前の学年までそういう過ごし方をしていて、この学年からいきなり全部自由になりました、もう確実にこういう子が出てきます。やんなくていいならやんなくていいじゃんですね。

じゃあ授業からそういう管理的な空間から放り出された瞬間に、やんなくていいならやんなくていいじゃん、ラッキー!と言って学びを止める子どもたちは1年間そのままか?という話しですね。ここで「毎日、同じメンバーで、同じ場所に集まる」という学校の意義が見えてくる。

教室にきたら子供たち友達の姿が見えるわけですね。でそこでは、自分の生活に対するコントロールを自分で持って、自分で必要に応じて自分の学習を組み立て、マネジメントするみたいな姿がどんどん見えてきますし、でそこについてコミットしてものすごく、なんていうか主体的に学べるようになった子がその子を巻き込むということは当然可能です。だから学校に来る意味があるってことですね。刺激が貰える。

「やらない」をどう捉えるか

じゃあ教師として、そういう「やらない」子にどうか変わるかということも話しておきましょう。「やらない」という選択をするなら、その選択が学校教育全体においてどういう位置づけにある行為なのか、また、このさきその選択をし続けたらどうなるのか、ということについてはちゃんと教えてあげなきゃならない。

義務教育課程ですからこれ高校とか大学とかだったらまた別なんですけど、義務教育課程なんですよ。つまり全員受ける教育なんですね。全員通るんですよ。全員ここを通ってきた人たちが大人になった時に、その大人たちが作るのは当然この義務教育課程を常識として設定して、その上で作るわけですね。つまりこの義務教育課程は、乗っておかないとめちゃくちゃ損なんですよ。その常識がない状態で社会に参画しようとするとめっちゃ大変なんですね。だからこの義務教育課程における学習っていうのは、そもそも学習指導要領、学校教育法的効力ありますから、もう法律でほぼやんなきゃいけないこと決まっていて、やんないっていう選択肢はほぼないんですよ。

じゃあどんな選択肢があるかっていうと、結局小学校、公立の小学校に来てやるのか、フリースクールでやるのか、通信教育でやるのか、家庭教育でやるのか。それに関しては選択できるけれども、「やらない」はないっていう話ですね。その中でじゃあどうやるの。でどうやるのの選択肢を学校に来る、学校に来て学校で選択する範囲においては、もうほぼ無限に広げている。この状況であなたはどうするの。それはもずっとずっとずっと徹底的に問う。でそういうことをする中で徐々に徐々にその子の中にある主体性の芽ですね、を育てていく。コントローラーを渡していく。あなたの人生はあなたのものなんだよっていう、あなたが動かすものなんだよっていうことをちょっとずつその子に染み込ませていくっていうことですね。

はい、ということでいかがだったでしょうか。ひとまずね、遅れる子みたいなのは余白です。その子が調節しうる時間的余白というか、フレキシビリティみたいなものが子供たちの生活の中にあると、子供たちは調節し始めますよということで、自由進度になったら子供たちの学習が遅くなっちゃったみたいな悩みっていうのは、結局その自由な範囲っていうのがどこまで広がっているかなっていうことを見てほしいっていう話ですね。

主体性を育む環境づくりの重要性

全面的に自由な空間であれば確実に子供たちは、確実に多くの子供たちは、その中で時間的配分をし始めるわけですよ。早めに終わる活動っていうのがどっかで発生したら、その残ったものを遅れている活動の時間に使うっていうことは、概ね多くの子はもうできちゃいますので、そういうことを仕組んでいく。つまり自由にしたから遅れちゃったは、じゃあ自由をやめようじゃなくて、もっと自由を拡大しよう。そっちの方向で解決していくことができるんだよっていう話と、その自由度の中で主体性の芽というものが育っていない子に関しては動きがかなり鈍化してしまうという状況も観測されうると。

でそういう子に対してもやはりじゃあ自由ではなくて管理しようではなくって、その子、それぞれに芽のタイミングって絶対違うので、1人1人その環境の中に浸されているというだけでやはり栄養になるんですね。ちゃんと種が植えられているという状態です。管理されているっていうのは、種そのまま取り出してジップロックに入れて頑張れ頑張れって声かけてるような感じがするんですよね。それ芽が出る条件っていうのはちゃんと主体性の芽が出る条件というのは確実にちゃんと土壌に芽が、種が植えられて、で適切な温度、空気、水分みたいな、もう一緒ですよ、というものが揃った時に芽が出る可能性が出るわけですよね。

早い子はもうポンポンと芽を出していきますが、花の種だって全く一緒じゃないですか。発芽しない種ってもあるんですよ。でもそれをずっと見ているとずっと育てていくと、ポコっと出る瞬間ってあるんですね。そういうの待ってあげないと、結局その子っていうのは他人の、他者の、相手の手のひらの上でコロコロコロコロと転がされて終わっちゃうっていう、そういう人生じゃダメじゃないですかね。それ人権的にダメなんですよ。

やっぱりその子が自分の自由を希求し幸せに生きれる権利っていうのがあるので、そういうのを保証するためにはやっぱり自由ですね。自由にしたから動きが止まっちゃった、じゃあこちらが動かさなければっていう、その手立てがどこまで見てやってるのかな。やはりそこも徹底的にその自由な空間の中にその子を浸してあげて、ちょっとずつそういう価値を伝えていくっていうアプローチの方が僕はいいんじゃないかなみたいなことを思っています。

大体この2つだったかなと思います。それではまた明日の放送でお会いしましょう。バイバイ。

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