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#0071 自立した学習者を育む:3つのシコウツールと教科書活用の新アプローチ

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基礎基本
けテぶれ@ちゃんねる〜自ら学び考え、生きるための教育論〜
2023年12月8日


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チャンネル始まりました。パーソナリティの葛原祥太です。このチャンネルでは、子供たちが自ら学び、自ら考え、自ら生きられるようになるために考えられた教育実践であるけテぶれQNKS心マトリクスについてのお話をしていきます。

話していくんですけれども、何について話そうかなと。まあ、今日も毎日ですけど、子供たちが自分で計画を立てて勉強していってやっているんですね。それを見ていって2つぐらい感じることがあって、ちょっと今日ふと頭をよぎったので話してみようかなと思うんです。

まずよむ、やってみる。これが入門では?

1つは「大人ができるんだから子供もできるでしょう」ということ。もう1つは「これが入門じゃない?」という話です。

2つ目から話しますね。「これが入門じゃない?」という話です。よく子供たちに任せるみたいなことは、レベルが高いみたいなこと言われるわけですよ。難しいとか、今の子供たちにはみたいなことを言うんですけれども、普通に学習努力というか学習プロセスみたいなことを考えた時に、自分用に3年生向けに書かれた教科書が手に入っていて手元にあって、それを自分でまず読んで、読めた内容についてまずやってみるみたいなことができるようになってもらわないと何も教えられないでしょうという発想は私の中にはちょっとあるなと思ったわけです。


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教科書との距離を縮める

これが入門じゃないですかという話です。まず手元にある学習材を使って読んで理解してやってみて、やってみた結果何ができて何ができないのかを分類し、できない点についてもう1度考えるみたいな、これ学ぶ上で非常に基本中の基本じゃないですか。教科書というのは全然先生向けに書かれてませんから、子供たち向けですよね。じゃあ書いてあるんだから読んでみれば、読んでみたらある程度やってみなきゃいけないことが分かるからやってみればみたいな話って、学ぶ上で非常に初歩の初歩というか、もう入口の入り口のような気がするわけです。

だからこういう学びの先になんか一斉指導で教えてあげる、そういう瞬間があっても良さそうなものだが、それって「後」でしょうという。まず自分でやってみて読んでみて、自分でやってみてということができるはずじゃないですか。それができるようになって初めて、その先に分からないこと教えてもらったりとか、その表面的な、もう教科書を読んで理解して学習するというのは一面表面的な学びですよね。そこからしか学習は始まらないし、「そこ」は自分でススメられるはずなんです。読めるんですよ。だって習った漢字しか書かれてませんし、日本語で書かれていますし、みんな絶対読めるんですよ。

でも、それが読めない、読む意識がない、この教科書をどのように使うのかというツールになってない。自分と教科書の距離が非常に遠いわけです。何のための本なのか分かってないみたいな話ですよ。言ったら、そういう意識でいる子が多分日本の小学生のほぼ9割9分じゃないですか。そこまで言いすぎかな。でもそれぐらいあるような気がするな。9割9分は教科書が自分とめちゃくちゃ遠いんですよ。

初めから授業をするから、子どもたちは教科書を読まない

そんな子達に、授業したってそりゃ受け取れる子少ないですよ。教科書すら読めてないのに、何を授業で理解するんですか。そもそも、それは先生が全部解説して、先生が全部デザインして、その中でここを見てみましょうとかここを読んでみましょうみたいな感じで、みんなで読みましょう3回みたいなことをやるわけですよね。じゃあいつまでだって教科書は先生に指示されて、先生の指示通りに指示を再生するためのなんかツールとして見てるでしょう。

やっぱりねやらせてみないと分かんないですね。書いてあることを読んでやるんだよ、これも1回やってみてくださいという話です。もうマジでできないです。もう読み飛ばすし全然書いてある内容を勘違いするし、もう無理が発生します。教科書読めないんですよ、子供たちは。なぜか。教科書を学習のツールとして持ってないからです。というところから始めることこそ、学習コンピテンシー的な学びとか言って、今主体的に学びに向かう力ですよね、が大事だって言われている中で、主体的に学びに向かう力を高める。それ評価するんですよね。その時に教科書も自分で読めない子が主体的に学びに向かう力ありますねって言えますかという話ですよね。

学びに向かう力でしょ。主体的かどうかももう置いといても、学びに向かう力でしょ。それってやる気まんま頑張りますみたいな話だけでいいんですかという話です。学習を調節すること、粘り強くすることにしましょうってなった時に、粘り強く何するんのって話ですよ。調節ってどう調節するんのって話ですよ。それ自分で教科書も読まない子が何を学習調節するの、どう粘り強くなるのって話でしょう。

基本的に学びに向かう力、主体的に学びに向かう力を下支えするのは、学びに向かう基礎基本ですよ。知識技能ですよ。学びに向かうという時の学びに向かう力を構成するための基本的な知識技能って何ですかですよ。それちゃんと伝えて練習しないと学びに向かえないです。だって力がないんだから、技術がないんだから。技術がないのに力発揮できないでしょうねということをちゃんと学習デザインとして子供たちに渡して練習してやらないと、子供たちはどう立ってもに向かえませんよって。調節する、粘り強くする、それどの範囲で評価できますかという話。教科書も読めてない子になんか粘り強くなってるねてどこでって話。

粘り強さはまだまだましですよ。教師に与えられた問題をたくさんたくさん解いている姿を見て粘り強いねかもしれない。調節ですよ問題は。調節って何って話ですよ。学習を調節する力、これ何ですか。これが学習空間の中で発揮されるような環境作りできてますかという話ですね。それをするために関係作りね、もうシステム作りとか、もちろん体制ですが、1人1人の中にちゃんと教科書の読み方入れてますかという話です。

まず読んで理解するみたいなことは確実に狙うべきだし、そこから入るってそれこそが基礎基本であって、その先に一指導による思考の深まりみたいなことが生じるようになってくるような気はするよねということが1つ目です。

けテぶれ×QNKSで学びを加速

2つ目ですね。最初に言った方ですけれども、大人ができること子供でもできるでしょうという話があって、例えばですけど、こういうことをずっとやっていると、もう国語でも新しい単元に入れば入れば、もう子供たちは文章をずっと読んで、QNKS(Q問い、N抜き出し、K組み立て、S整理する)の流れで文章構造図を作って、教科書の後ろの手引きにある問いを1個ずつクリアしていくみたいな話ですよ。

これ教科書一冊あればもうできるわけですよね。もう読んで、分からない単語とか熟語は辞書で調べて、まず意味を理解し、意味を理解したら全体構造を論理構造図にする。ここ練習めちゃくちゃいりますけども、それで文章が理解できたという内容のことが保証されますから。文章が理解できたなら、その文章についての問いですねを1つ1つ解決していく。全部、教科書読めばできますの範囲ですね。

ということを求め続けると子供たちはやりますよ。1時間目からもう普通に読んでという学びが始まるわけですよ。そこにはもうほとんど指導はいらないわけですね。つまり教科書レベルの問いというもの、学習というものはもう完全自動操縦でバーっと走り始めるわけですね。

だから前の放送でも言った担任不在の1週間という放送で言いましたけれども、単元の切り替え時期ですよね。テストをやって次の単元が始まりますみたいな導入時期ですね。そのタイミングですら、先生がいらない。むしろそのタイミングこそ、いらない。だって確実に「自分が」理解するフェーズですから。新しい単元に入って、新しい単元でやってみてということになるわけですね。

大人にできるんだから子どもにもできるでしょ?

1個目に言ったの大人にできること子供でもできるでしょうという話をしたんですけど、だってね僕たちが教材研究する時ってこうするじゃないですか。文章読んで、手引き読んで、手引きについての問、手引きの問を1つ1つ考えていきながらその教材についてま深めていき、こういうことが求められるんだなということを理解し、そっから教材理解を深めていくみたいな教材研究するでしょう。その中で僕たちは読んで手引きの問い全部ノートにま答えを作っていってということを普通にできるじゃないですかね。

小学校の教科書、別に教科書会社を普段使っているものからパッと変えられて、この教科書を自分で勉強しましょうって言われたら普通に読んで手引き書いて手引き見て手引きの問1つ1つノートに作っていくみたいなことできるじゃないですか。僕たちができるんだったら子供たちもできるはずです。もうそれだけの話なんですよ。

問題は能力ではなく熱量。

子供はできなくて大人だけができるみたいなことってほぼないですよ。だってスーパー小学生みたいなテレビでもう色々取り上げられてますけど、スーパー小学生はスーパーな小学生ですかという話で、別に子供ができることは子供もできるでしょう。驚くべきはその能力の高さではなくて、そこにかけたの熱量の多さであるということを僕は言うわけですけど、熱量をすごく上げれば子供たちは大人ができないことができるようになる。当たり前なんですよ。これ人間として1つのものに対して熱量を発揮すればその熱量に比例するだけの能力が高まるというそこに向き不向きありますので、それと適正というものが加わった時に非常に大きなアウトプットを生むということはもう人間の仕組みなんですね。

向き不向きは当然ありますが、そこに熱量を上げて、熱量上がるということはそれだけの技術が伴ってるってことですからできるわけですね。できないと熱量上げれないわけですから。これさっきの学びに向かうからと一緒ですけども、技術があるから主体的に学べるわけで、その技術というものを確実に渡してあげなければならないのだけれども、それは本当にファンダメンタルなところで言うと日本語能力であるわけだが、その上に考えるってどういうことか、ということをちょっと正確に渡してあげると、QNKSで問いがあったらそれに対して情報を抜き出して組み立てて自分の言葉として整理していくということをやれば、考えることが止まってしまった時にあなたの思考を進める1本になるよということを伝えておくと、分からないに対して考えられないとか頭が止まってしまった分かんないみたいなストップかかった時に、QNKSでやってみようとなるわけですね。全部の全部が全部QNKSやらなくていいんですよ。答えがパッと思い浮かぶということは頭の中でNとKがもうガッと駆動して、自分なりのSがもう文章出せるわけですから。そしたらもうそんなプロセス出さずにSバーっと書けばいいんですよね。分かんなくなった時は1つ1つ階段をステップで上がっていけば登れるよということで、QNKSを渡すわけですね。

そういうことだけはしてあげますが、そしたらできるんですよ。それが大人ができるんだから子供もできるじゃんという話ですね。シンプルなロジックで、それを子供たちはできないとか、ある子たちは無理とか、誰がどうせ引いてんのって話ですよね。そういうなんか知的な教師の一方的な線引きによって伸びられるチャレンジできる幅が少なくなるということは、避けてあげたいなと僕としては思うわけですね。

"分からない"を恐れない教室

そういう学びをね繰り返していくと最近見られてまあ楽しいなと思うのは、これはねちょっとまた別の放送会で明日にでもゆっくり喋ろうかなと今ふと思いましたが、なんか分からなさとか難しさみたいなものを本当に豊かに頼もしく受け取れるようになってくるんですよ。

わからなくてイライラが止められないと悩んでいた子にもらった手紙

学校の教室空間において分かんないとかできないって子供たちにとって非常に怖いことですよね。その怖さの源泉がなんとなくああなるほどなっていう風に分かってくるわけですね。つまり先生にかじ取りされる空間において分かんない、できないってなると本当に危機的状況に陥ってしまうわけですね。自分でなんとかできないから。つまりそれは船のメタファー、船のメタファーで私がよく言う、先生が舵取りをする船から落ちてしまうって状況、これ危機的状況ですよね。しかも乗組員も別に誰も助けてくれないみたいな。それは怖いですよ。そういう状態はね嫌ですよ。

だから分かんない、できないが怖いんですよね。でもこういう空間作りずっとしていくと全然怖くないんですよ。だってそれこそが学びだし、それをなんとかできるだけの時間も空間も技術ももうだんだん備わってくるわけですよね。そうなるともう、なんて言うかな、なんか本当新鮮なんですけどね。なんかこう「次の単元むずいよ」とかね、普通に声かけ合ってるんですよ。これが豊かなんですよね。なんか次ね算数の次の小単元だけどなんか4ページしかないからめっちゃむずいから注意してねみたいなことを子供たち言ってるんですよね。なんかナチュラルだけど超すごくないって。で「分かった頑張る!」みたいな、「ちょっとペース上げていきね!」みたいなことを言うんですよね。

なんかそういうことで分かんなかった時にちゃんと分かんないものに対して時間をかけてみたいなね。ここはちょっと苦手だから一旦飛ばしといて分かるところだけ先にやって分かんないところに時間をかけようとか。本当にねできない、わかんない、難しいみたいな問題状況に対する構えが全然変わってくるんです。落ち着いて対処できるみたいなことが非常にね、やっぱりコントロール権渡してあげる価値だなという風に思うわけですね。

学習者としてとても頼もしい姿

なんか自立した学習者なんて意味あるのかみたいなねこと言われた時に、ここまで見えてるかな?という風に思うわけですよね。もしくは安易な自由進度学習に対しても同じことを思う。

それはまあ確かに目の前で立ち現れないと分かんない感覚ではあると思いますけど、本当にね頼もしいですね。もうなんか僕はいつも言うんだけど、なんかうん例えがなんか微妙なんだけどシュレッダーみたいなんですよね。分かります?本当にガーっとこう学びが回転していて、そこにうんとどんな知識の束を突っ込んでもガガガとこうなんか飲み込みながら自分たちで噛み砕いて解釈していく、吸収しているみたいななんか、そうシュレッダー感があるっていうね。なんかちょっとこれ微妙に例えが不適切なような気がするのであんまり言ってないんですけど、感覚としてそんな感覚なんですね。

なんかもはなんかピラニアみたいな、なんかあんまりねこうちょっと物騒なたとえになっちゃうんであれなんですけど、なんか投げ込んだらその投げ込まれた学習材をうおおっとこうねみんなで噛み砕いて解釈していくみたいな楽しさと、なんかそれなさみたいなものが出てくるんですよね。この時期ぐらいからね(2学期末)。それは本当に楽しいなとか思いながら見てるわけです。

はいということで、なんかだらだら喋ってたら長い放送になってしまったので、この辺で終わりにしたいと思いますが、基礎基本って何なのみたいな話かな。その基礎基本っていうものが見つかった時に子供たちはこれぐらい楽しくなるよみたいな話ができたらできたかなという風に思います。では明日の放送でまたお会いしましょう。バイバイ。

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