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おにーそと

本日は節分です。
明日は立春ということで、旧暦と格闘中の身としては、節分がそもそもは年末の「追儺ついな」の宮中儀式から誕生した…という伝承も、身を持って体感している次第です。

旧暦は今の暦と約1ヶ月強のズレがあるので、新暦の「節分」が、旧暦の年末に当たるのですよね。

もっとも、私自身は厄払いの豆まきをするわけでもなく、ご近所の年配の方の「鬼は~外、福は~内」の掛け声を聞いて、恵方巻を頬張るくらいがせいぜいでしょうか。


ところで、表題の「おにーそと」ですが、これは、二本松独自の節分の掛け声です。

以前にどこかで書いたような気もしますが、

「おには●●そと」と言ってしまうと、領主である丹羽にわ様を追い出す、という意味に通じてしまうため、二本松では「鬼は外」と言ってはいけないのです。
「は」を抜いて、「福は内、おにーそと」と言うのが習わしです。
「福は内」から先に言う、というのも二本松の慣習なのだとか。

新潟県には、藩主が伯耆守であったので、遠慮して箒木をなでと呼んでいると聞いた事がある。
二本松でも藩政の頃には、節分には「鬼は外」と叫ぶと「お丹羽外」となり、藩主を追い出すことになるので、「ふくはうち、おにーそと」と叫んだものである。二本松独特の追難の叫びであろう。

二本松市HPより

このエピソードからも、丹羽のお殿様は、代々領民からも慕われてきたことが伺えます。
note創作大賞への小説の出展は、史料の情報整理が間に合わないことから諦めたのですが(苦笑)、そのために調べている史料からも、城下の有力商人や豪農が藩主のために尽力した様子が伺え、本当に尊敬されていたのでしょう。


もう一つ。
二本松を含む安達あだち地方の一部では、「渡辺家」では豆まきをしない、という風習があるそうです。
これはみなもとの頼光よりみつの四天王の一人である渡辺わたなべのつなが、羅生門を根城としていた鬼と戦って、その腕を切り落とした話に由来して、「鬼退治の必要がない」ということから、豆まきをするまでもない、というもの。

渡辺綱の鬼退治は歌舞伎の演目の一つである契情けいせい大江山などが有名です。
その子孫が安達地方に住み着いた……かどうかは、空想の域ですが(笑)、二本松周辺では渡辺姓の人が多く、何となく伝承も信じたくなる雰囲気がありますよね。


私が住んでいるのは二本松ではありませんが、古い街という点では共通しています。
節分を機にこうした伝承を掘り起こしてみるのも、面白いかもしれませんね。


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