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文豪らへのインスピレーションを与えた街、二本松

ここまでずっと丹羽家やその忠臣らの歴史を語ってきましたが、今回取り上げるのは、少し視点を変えて「文豪」、そして「グルメ」です。
実は以前から、二本松での「お食事どころ」を調べていて気になっていたお店がありました。
それが、「露伴亭」です。

二本松の歴史あれこれについては、下記の記事からどうぞ!

大谷家と丹羽家
丹羽家ファミリーヒストリー~前編
丹羽家ファミリーヒストリー~中編
丹羽家ファミリーヒストリー~後編
二本松藩の教育事情
城下戦の足跡を辿って~前編
城下戦の足跡を辿って~後編


ペンネームの由来となった場所

以前に、地元のテレビ番組で二本松が取り上げられた際に、こちらのお店が紹介されていました。ただし、そのときは店名の由来となった「幸田露伴」も名前だけしか知らず(実は未だに作品を読んでいません)、今一つ二本松との関連性がつかめなかったのです。駅からも御城からもやや離れた場所にありますしね。

ですが、今回は「電動アシストで二本松を回る」と決めていたので、5日の訪問の際にお昼を頂く場所として、候補に入っていました。

さて、店名の由来となった「幸田露伴」。明治時代~昭和初期にかけて活躍した文豪の1人で、代表作は「五重の塔」。ですが、最初から売れっ子だったわけではなく、若い頃には電信技師(公務員の一種)の1人として、北海道余市に赴任していた時期がありました。

そこから文學界に身を投じるために上京しようとしたわけですが、何せお金がありません。この頃は郡山までは鉄道が通っていましたが、そこから汽車に乗るためには宿泊費を浮かせるしかないのです。福島からの道中で危うく行き倒れそうになった成行しげゆきは、野宿を決意。そこが、丁度二本松の亀谷かめがい坂の頂上でした。


折も折、このときの二本松は丁度「提灯まつり」の真っ最中。きっと、亀谷からも山車が繰り出し、街は喧騒に包まれていたのでしょう。
そんな賑やかさに浮かれる余裕もなく、野宿をしなければならない侘しさといったら……。
ちなみに露伴が「野宿」を決意したこの場所は、江戸時代に「奥の細道」の吟行の際に松尾芭蕉&曽良が立ち寄った場所でもあります。坂側の小山には千手観音があり、野宿するのには丁度いい場所だったのでしょうね。

その当時から芭蕉の句碑があったかどうかはわかりませんが、下の句を詠んだところを見ると、成行はこの土地の来歴を知っていて、咄嗟に芭蕉らに我が身を重ねたのでしょう。

里遠しいざ露と寝む草枕

実際には、市街地までそれほど遠いわけではないと思いますが、成行にとっては知らない街ですしね。人里が遠く感じられたのかもしれません。
ここで、なけなしのお金で安倍川餅を食したと伝えられていますが、旅で疲れた体に、その甘さはさぞ染み渡ったのではないでしょうか。
この時の体験が忘れられず、成行が後年文壇デビューした際に、「露伴」のペンネームを用いたとされています。

さて、そのようなエピソードを持つ場所に建てられているのが「露伴亭」です。ここで、露伴が食べたであろう安倍川餅も頂くことができますが、現在のお店の名物の一つが「スリランカカレー」。
私のお目当ては、これでした。

実は、上の地図でいうと「六之丁」の辺りで右折しなければならないところを直進してしまい、そこから引き返してきて露伴亭に辿り着いたのは、閉店間際の14時過ぎでした^^;(15時閉店)
カレーも提供するのに時間がかかると言われ、しばし悩みましたが……。
それでもどうしてもカレーを頂きたくて、出来上がりを待つ間に、店に置かれていた「二本松関連」の書籍(二本松藩関係者の間では有名な「霞の天地」も置かれていました)や露伴にまつわる本をパラパラと拝見しつつ、出来上がりを待っていた次第です。

そして、ようやく念願叶って頂いたカレーは、評判に違わず美味!
以前、私も少し凝って「ルーから作るカレー」も作っていた時期があるのですが、一口頂いただけで、「丁寧に作られたカレーだ」というのが、すぐにわかりました。さすがに作り方を聞くような野暮な真似はいたしませんが、玉ねぎをじっくりと炒め、それにトマトベースやスパイスを入れてじっくり煮込んだと推察。お肉もホロホロと口当たりよく解けていきます。
また個人的にニンマリしたのが、サラダに乗っている「亀」さん。これまた尋ねなかったのですが、きっと「亀谷坂」にちなんだものでしょう。
ここでお店の方との会話の流れで、「二本松藩関連」の作品を書いていることを告白し、予備として持っていた「白露」の小冊子を謹呈してきたのでした。

奇遇ですが、後でフォロワー様に伺ったところ、「白露」の主人公である「笠間市之進」が住んでいた池ノ入は、このすぐ近くだそうです。どうやら、現在の二本松南小の辺りに自宅があったとのこと。
これも市之進様のお導きだったりして……。

道を間違えたための偶然

5日の訪松の際に、「城報館」の後で訪れるつもりだった露伴亭。そちらに立ち寄る前に道を間違えてしまい、うっかり「下之町」方面に自転車を向けてしまいました。その延長線上にあるのが、「智恵子記念館」です。


「レモン哀歌」や「智恵子抄」で有名な「高村智恵子」ですが、ここはかつて彼女が住んでいた実家(長沼家)です。元々二本松藩の裕福な造り酒屋の長女だった彼女は、実は許嫁もいました。実は、その許嫁は……内緒(笑)。→個人情報ですし。
一応、旧二本松藩士の家柄、とだけお伝えしましょうか。今となっては詮無いことですが、もしもそちらの縁談が整っていたら、彼女は「二本松町長夫人」としてまた別の活躍をしたかのもしれません。許嫁だった方は、その後二本松町長になったそうですから。

今回はこの裏手にある智恵子記念館は訪れませんでしたが(昔、学生の頃に行ったことがあります)、旧安達町にあるこちらの実家から二本松城下までは案外近かったというのが、今回の感想。

安達太良山は安達地方のシンボルの一つですが、このような素朴な街で育った智恵子の目に、東京の風景は狭く感じたのかもしれません。
ちなみに長沼家は紆余曲折あって、没落。ですがここの銘酒であった「花霞」は、現在は本宮市にある「大天狗酒造」さんにその味を引き継がれています。

土井晩翠と二本松

二本松と縁のある著名人というと、意外なところで、「荒城の月」の作詞者である「土井晩翠」がいます。

彼の代表作である「荒城の月」のモデルとなったであろう城は、いくつも候補が挙げられていますが(大分の竹田城や、仙台の青葉城など)、ひょっとすると、霞ヶ城もその一つかもしれません。
個人的な感想になりますが、荒城の月の

「春高楼の花の宴」

という歌詞の部分と上の歌の情景が、よく似ています。
地元贔屓と言われればそれまでですが(笑)、霞ヶ城のネーミングが「周りに咲く山桜の木々が霞のようだ」というところから名付けられたと言いますから、土井晩翠が咄嗟にこの歌を詠む思いも、わかるのです。

二本松銘菓のルーツは剣豪にあり

二本松は私の学生時代の通学ルートの途中にある街であったことから、「お土産」をわざわざ買うことは少ないかもしれません。
ただし元が城下町ですから、二本松はお菓子を扱う名店も多いのです。以前紹介した玉嶋屋さんもその一つですが、今回立ち寄ったのは、「日夏」さん。
一昨年にやはり「直違の紋~」の取材のために二本松を訪れたときのレポートで、「次回は訪問したい」と書いていたお店です。

このお店のルーツは、実は「直違の紋~」の第一章で剛介が「剣」を習っていた「日夏弘道」先生。その略歴はというと……

通称孫兵衛。諱は高幸。後に碌山と号す。篠沢良智の第5子。小野派一刀流の達人。
稟賦(うまれつき)剛直、精力人に絶し、幼少の頃から剣技を学んだ。
子の孫六もまた、剣技の達人であった。
(意訳)

と、二本松藩史にありました。今回の訪問中に二本松図書館で調べてわかったことですが、当時先生が住まわれていたのは、「三之町」。現在お店(本店)があるのは、大手門のあった辺り(久保丁坂入口)ですから、やはり戊辰動乱の関係で、藩士らも大分住まいを変えたのではないでしょうか。


そんな日夏さんの店の入口には、「菊手水」が活けられていたのが印象的でした。
そして、肝心のお菓子は何を頂こうか迷ったのですが……。


まずは、「霞の天地」をチョイス。
「露伴亭」のところでも触れましたが、「霞の天地」は、二本松少年隊の悲劇を描いた漫画です。私も今村様から同作品を教えて頂き、Kindle版を購入したことがあります。
(→「直違の紋~」を書くときにも、参考資料の一つとして活用しました)
その漫画をモチーフにしたのが写真左上のお菓子で、白あんベースの「ミルクまんじゅう」という感じでしょうか。刻んだくるみも入っていて、いいアクセントになっていました。

続いて、「フルーツ大福」も気になる(^^)
これも季節限定品などもありかなり迷いましたが、なぜかフルーツと関係ない「コーヒー」を選びました。
コーヒーが好きなんですよ(笑)。

そして、妹に「何か買ってきて」と言われていたこともあり、シェアできるお菓子として選んだのが「あだたらブッセ」。こちらは、チーズブッセですが、スポンジのフワフワ具合が絶妙です。サンドされているクリームは、クリームチーズ風味のバタークリーム(多分)に刻んだカマンベールチーズ?プロセスチーズ?が練り込まれていました。
贈答品にも利用できそうです。

さらに、次にいつ訪れるかわからないのに、つい「スタンプカード」まで作ってしまいました(笑)。ですが、自宅が二本松にあったら間違いなく通いそうな雰囲気です。
それにしても日夏先生も、まさか自分の子孫がお菓子屋さんを営むとは夢にも思わなかったでしょうね。


以上、かなり長くなりましたが、11/5及び11/8の二本松訪問レポでした。
実は、僭越ながら私も「睦会」(二本松藩顕彰会)に末席を連ねることになりまして、少し(かなり?)気合を入れて二本松を取り上げた次第です。

そして、今回非常にお世話になったのが、「二本松図書館」さま。
初めて訪れたのですが、なかなか見つからなかった資料「水戸の甲子変と二本松藩の義戦」を探し出すのにも、職員総出でご尽力して頂き(そもそも見つからなかったのは、閉館間際の時間に行ったせいもありますが🙏)、2度めに訪れた8日には、訪れたときには既に資料を準備してくださっているというご厚意を受けました。
それだけでなく、拙著(「直違の紋に誓って」&「白露」)の寄贈も快く受け入れてくださり、感謝しかありません。しかも大変名誉なことに、寄贈本は地域資料室に置いてくださるとのこと。
→鍵付きの部屋で、半永久的に保管されます。
筆者としても、剛介様や市之進様を里帰りさせたような気分です(笑)。もっとも、剛介様が晩年を迎えられたのは現在城報館のある場所なので、里帰りとは微妙に違うかもしれませんが……。

そんなわけで、またいずれ二本松を訪問する予定です。

ここまでお付き合い頂きました皆様方。本当にありがとうございました!

©k.maru027.2023

2日間に渡る「電動アシスト」での走路はこちら!


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