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禅について

禅を組むことこれはどのような意味があるのか。
禅を組み目をつぶり耳をふさぎ、そして精神世界を仮想的な孤独に落とし込んでいく。仮想的な頭の中ではこの世界に何も物質が存在せず、誰一人として人は存在せず。ただ自分の精神だけが存在するそのような世界を作る。
そうすることによってあらゆる感情から離れ心をニュートラルで平穏な状態にする。それによって究極のリラックス状態を精神的に作り出す。それが禅の効果である。難しそうに聞こえるかもしれないが要するに何もないと思えばいいのである。
何もないと思うと自分の心と向き合うことになる。自分の心にある感情と対話しその感情を解きほぐし、心の平穏を取り戻せるまでただ禅を組むのである。そしてそれを繰り返し繰り返し行うことで禅の状態はよりよい状態を作り出せる。そしてフラットな状態になって再び日々の生活に戻ることができる。
クリスチャンで言えばこれは祈りの時間である。しかし祈りにはやはり雑念がある。祈りとは何かに対する想いがあるからだ。祈りの効果は非常に良いものだがこれまた禅の効果とは異なるものだ。祈りは精神の許しを得る行為であり、対して禅は精神の平穏を取り戻す行為である。生活のルーティンの中に禅を組み込むことで人は苦しみから解放されやすくなる。
しかし禅だけではすべての解決には難しい。よりよい環境に身を置くことがより禅の効果を高めることになる。悪い環境すなわち喧噪や欲求、衝動や欲望が多い場所では禅の効果は弱くなる。ゆえに禅を効果的に使うにはあらゆるものを遠ざけられるそのような環境に身を置くことが望ましい。
私はこのようなことに気が付くまで禅というのは高尚ぶった意味があるかないかよくわからないものだと考えていた。しかし禅の効果は絶大である。それは強く思い込めば思い込むほど強く作用する。
何もない世界に自分の精神だけが存在するとき、自分の心とだけ対話するとき、完全な無の中に仮想的に存在する。そして目を開け世界を取り戻し、そこに在るあらゆるものが自分のために在ると理解した時、生かされている生きている喜びを痛感するのである。私たちのあらゆる喜びをもう一度喜びとして感じるためにこのように無となるひと時を作るべきなのである。

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