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抑止力と平和主義の狭間で

軍事力によって抑止力による戦争を防ぐ効果とそれに対して軍事力を排して平和主義に徹する思想はお互いがお互いに極論に行きつき過ぎているのではないか?軍事力による抑止力と平和主義が共存できる。中間的なラインが存在するのではないか?私はふとそんなことを考えた。
基本的にどの国も強大な力を持つ強大な国家に対する侵略に対して防衛を考える。しかし反面、そのような強大な力を持つ国も大国からの侵略を恐れていてそれから防衛する思想が戦争を招いている。過去のどの戦争もあのナチスドイツでさえ根底にあるのはドイツを守るために生存圏を得るため侵略をしたという考えがある。

過度な防衛本能は返って戦争を引き起こす。だとしたら軍事的な防衛に十分なラインとはなんなのだろうか?

問題を家のセキュリティに置き換えてみよう。家のドアを開け放って誰も居なければ当然、そこに盗みに入るものも居るだろう。じゃあ例えば家のドアを開け放たずどこまでのセキュリティを持つべきなのか?際限なく考えていけば相手より優位にたつ武器や武装を持つに至る。しかしそこまでの守りが返って近隣住民の不安や恐怖に繋がるだろう。
その家にとっても近隣の家にとっても一般的水準のセキュリティ、それが正しい抑止力ではないか?国家に話を戻すとミリタリーバランスを均衡に保つことが結果として世界平和につながる。

つまりはバランスの取れた軍事状況を作ることが今現在において世界を現実的に平和にする方法だろう。であるならば今軍拡に走りすぎている、西側のすべての国々はいったんこれ以上の軍拡はストップすべきだ。我々が恐れるのと同様にいやっそれ以上にロシア人も中国人も恐れている。それが彼らを戦争に駆り立ててしまう。相手が殴りかかってくる前提の防衛案を考えると軍拡に歯止めが効かなくなる。相手は殴りかかってこない。そう考える必要がある。

無用に軍事力を高め続けることは結果として亡国への道であることは過去の戦争で十分に体験したはずだ。敵より強い兵器を作ろうとしたそれが戦艦大和であり、そしてそれは今、海の藻屑になってる。この世界に最強の盾は存在しない。だから私たちは戦う事を前提として考えを放棄すべきなのだ。防衛白書においても仮想敵国など作るべきではない。私たちに誰も敵など居ない。私たちの真の敵は私たちに敵がいると信じ込ませて私たちを不安におとしめて私たちを戦いに駆り出そうとする者たちである。

武器や兵器をこれ以上、無用に作りすぎない。戦術を無駄に高度に発達させ相手を攻撃するような作戦をたてることを放棄しなければ、私たちは再び戦争を体験することになるだろう。

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