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人類のために全力で作品を守り抜こうとした者たち


いやあ凄い作品だったなあと思う。
自分の中のキャパを超えすぎて、何を書けばいいのか、どういうふうに書けばいいのか全然わからない。
平和は大事だよねーとか、戦争って本当に人間の愚かな部分だよねーとか、そういうフワッとしていて浅い感想しか出てこない自分の感受性がまた、浅はかだなあと自己嫌悪に陥る。

まず印象的に残っているところといえば、やはりピカソが描いた「ゲルニカ」を守っていかなければならないということ。
ピカソは自分の故郷が戦争によって空襲を受け、反政府軍に占拠され、たくさんの市民が戦争によって悲惨な死を遂げてしまった。
そのニュースを知ったピカソは大きな心痛を受け、自分のアトリエに閉じこもり、その怒りや憎しみ、色んな感情が渦巻いている中で、万博に出展する作品として完成させたのが「ゲルニカ」。
白黒のキャンパスに生きとし生ける物すべてが苦痛の表情にうごめき、見るも痛ましい光景を巨大なキャンパスに描き下ろし、鑑賞するすべての者をその迫力で押しつぶし、有無を言わせぬ圧倒的な存在感を持って迎え入れる。
…と訳知り顔で書いているけれど、僕は「ゲルニカ」を間近に見たことはまだない。
しかし原田さんの細部にまで宿る神の描写力によって、ここまで身近に感じられるのだからすごい。

戦争がどれほど悲惨なものなのか、痛ましいことなのか、どれだけ愚かなことなのか、実際に被害にあっていない人々からすれば、それは別の世界の出来事で、胸を痛めることはあれどそれは倫理的に駄目なことだよね、というような一般論的な感想でしかない。
実際に経験してない以上、 戦争の悲惨さはニュースで見た、写真で見たことことを超えることはなく、想像で補完することしかなできない。
しかしそこに、巨大なキャンパスに描かれた「戦争」の実態を目の当たりにし、押しつぶされそうな感覚になることで、擬似的に戦争の悲惨さを体感し、目の前に繰り広げられる有象無象の苦しみ、嘆き、痛み、悲しみを感じとり、戦争とはこんなにも無残なことしか生み出さないんだ、こんなことがこの世にあっていいのだろうか? こんなことをお前たちは見てみぬふりをして平気でいられるのか? 人間の愚かさの極みとはこういうものだ、という精神的な圧迫さで真に迫ることで、戦争の残虐さと平和の尊さを知らしめることになる。

芸術の巨匠が描いた「ゲルニカ」は、そのテーマ性もあって、いろいろな人々の思惑に利用されようとする。
ある意味で問題作の「ゲルニカ」は、人々の心に訴えるものとしての力が強く、戦争を引き起こした政治会からはとても居心地が悪い作品でもある。
芸術は人々の声を代表するものであったり、当時の生活・風潮・流行を反映するものでもある。
芸術はある意味世間の人々の声を代弁するものでもあるだろう。
どんなテーマが込められているにせよ、世界的に価値があるものはどんなことがあっても守らなければならない。
後世に語り継ぎ、継承し、人間の歴史を忘れ去ることなく歴史から学ぶためにも、人々の心に訴えるものは守り抜かねばならない。
「ゲルニカ」が生まれた当時も全力で作品を守ろうとして、戦火のある地から避難させるために動いた人物がいた。
「ゲルニカ」の所有権を巡って虎視眈々と奪取を企む組織から守ろうとする人物もいる。
フィクションだとはいえ、当時も今も芸術を愛し芸術を守り抜こうとする者がいる。
そんな人たちによって偉大な作品は世代を超えて、人々の心に記憶されていくんだと思うと、世界はまだまだ美しいと思える。

人間は歴史から学び、次に活かすことができる。
人間の愚かさ、人間の素晴らしさを伝えていくのも芸術の一つの役目ではないだろうか。
芸術が残した歴史を振り返り、これからの未来をどうしていけばよいのか、都合の悪いものに暗幕をかけるのではなく、すべてをさらけ出して直視し、何が正しいのか何が最善なのか、自分たちの行動や判断の指針になりうるものの一つとして、「芸術」は失われてはいけない世界の財産だと思うのだ。

芸術って奥が深くてわかないことばかりだけど、わからないことから始めて、わからないなりに分かろうとする姿勢が大事なんじゃないだろうか。
まあそれは自分の言い訳でしかないけれど、そうやってこれから芸樹にも触れていきたいと思った。

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