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生き苦しいと、身体中が痛くなる

首が少し痛い。
肩も痛い。
そして、背中がけっこう痛い。背中の上部、脇付近の背中。鳥で言えば翼が生えている部分。
触れてみるとそれらの皮膚はいずれも、カチカチに堅い。

身体が堅くなってしまうこと、痛みがあること。
それはサインなのだ。生き方にエラーがありますよ、と身体が教えてくれている。

以前、お世話になっている方にアドバイスを頂いた。
首の痛みは、何か自分より強いものに首根っこを掴まれているイメージ。親や世間から「こうすべき」という名の呪いを押し付けられ、首根っこを掴まれて「お前は言うことをきけ」と脅されている。
肩の痛みは、何か背負いたくないものまで背負っているから。
そして背中の、鳥で言えば翼が生えている部分は、自由を奪われているから。何かに敗けて自分の本音を押し殺し、自分を犠牲にして生きているから。

なぜ俺はエラーのある生き方を選んでいるのか。自分の本音を解放し、貫き、自分のこころと身体を健やかにさせる生き方が、なぜできていないのか。あんなにも親と向き合ったのに。

その答えは簡単だ。シンプルに、理想と現実の乖離が起きているから。だからその差分を埋めてあげればよいのだ。では、わたしの理想とはなんだろう。
以前わたしは、「作家として大成功すること」を理想として掲げた。これに全く違和感はない。だが、これこそが私の身体を堅く、苦しめている要因ではないかと思うのだ。
そもそも私は、作家として成功するために生まれてきたのだろうか。違うな。ではなんのために生まれてきたのか。ここに客観的な理由はない。100%後付けの、主観で定義するしかない。だから私は、自分の夢である「作家として大成功したい」を生まれた理由として定義する。でも現状、身体が堅いし痛い。

堂々巡りなのだ。この堂々巡りのどこかにエラーがある。
この世界とは、自分の意識だ。つまり自分の主観が全てなのだ。だからこそ、自分にとって100%心地よい意識を運営できるかどうか、これが全てではないか。
そもそも、「なぜ生まれてきたのか」「自分はどうなりたいのか」を考えるときに、わたしの意識の奥底で「この人生において、何者かにならなければならない」という呪いがまだ横たわっていたことに気づいた。「自分の人生を充実させたい」という、本来あるべきの、プラスの動機ではない。「そうしなければ人生を充実させられない」という、強迫観念からくるものだ。その強迫観念の背景には、「何者かにならなければ自分には価値がない。価値がないと、誰かに愛情をもらえない」という不安が蠢いている。

俺はまだ、親が植え付けた呪いと戦っているのだ。
その呪いとはなんだろう。それを考えるときに、身体の痛みがヒントになる。

首の痛みは、何か自分より強いものに首根っこを掴まれているイメージ。親や世間から「こうすべき」という名の呪いを押し付けられ、首根っこを掴まれて「お前は言うことをきけ」と脅されている。
肩の痛みは、何か背負いたくないものまで背負っているから。
そして背中の、鳥で言えば翼が生えている部分は、自由を奪われているから。何かに敗けて自分の本音を押し殺し、自分を犠牲にして生きているから。

まず首の痛みについて。思い返せば、わたしは物心ついた時から、親から首根っこを掴まれて生きてきた。
私が生まれた群馬県の田舎町は、皆が生き苦しさを抱えていた。皆がご近所付き合いという檻の中で、相互監視し合っていた。「こうあるべき」を押し付け合っていた。男は女を従わせる生き物、女は男に従うべき生き物、という思想のもと、すべての言動を監視し合っていた。
私は3歳ごろから、「田舎の裕福な家の長男」という檻に閉じ込められていた。男らしい振る舞いをし、幼稚園の運動会で、かけっこで一位になれば餌をもらえた。
4歳か5歳ぐらいの時から公文式の塾に通わされていた。そこで課題に一生懸命取り組み、良い成績を残せていれば「さすが長男ね」という褒美をもらえた。
だが檻から出ようとすると、途端に罰を与えられた。男尊女卑に悲鳴をあげていた母親から、「良い子」の規範からそれた行動をとれば怒鳴られた。ズボンを下ろされ、尻が赤くなるまで叩かれた。隣では姉も同様に尻を叩かれていた。姉は俺より気が強く、それでも反抗を続けていたが。そして見せしめのように姉は外に出され、庭の大木に縛り付けられていた。「お前も良い子にしてなければこうなるぞ」と、首根っこを掴まれ脅されていた。

何者かにならなければいけない。強く、優秀な雄でなければいけない。
そう強く、明確に意識するようになったのは多分、小学校6年生ぐらいからだろう。当時中学3年生の姉、中学2年の従姉妹と、勉学において比較されていることに遅ればせながら気づいたからだ。
姉は優秀だった。田舎の公立中学ではあるが実力テストで学年1位を取る女だった。そして従姉妹のお姉さんも頭が良かった。二人とも県内有数の進学校に入った。

俺の親族は、皆が無神経で嫌な奴らだった。世間一般で言えば、規範に沿った倫理意識のある人たちだったのだろう。だが「目下の者は面白おかしくからかってやる」というのが基本仕様の人間たちだったから、必然的にその矛先は一番小さい俺に向かう。親族は皆、県内の有名進学校出身者だった。

「駿ちゃんは大丈夫かしらねぇ」

親戚たちは、俺を可愛がっているつもりだったのだろう。「勉強して良い高校に入って、良い大学に入って、良いところに就職して、20代そこそこで結婚して子供2人ぐらい作って、良い家庭を築くのが幸せ」という神話を信じて疑わない思考停止人種たち。そのレールに沿って生きる姉と従姉妹たちと違い、俺は謹慎を喰らうような子供だった。明らかに俺を下に見てからかってくる親戚たちは嫌いだった。そして、奴らと一緒になって笑っている母親は大嫌いだった。

このゴミ共、黙らせてやる

中学に上がった俺は、この考えに脳内を支配された。何かと親戚付き合いが多々あった家柄だったから、隙を見せれば揶揄われ馬鹿にされてしまう。俺はメキメキと成績をあげていった。そして奴らと同じ進学校に入り、部活にも入らずに勉強に明け暮れた。
日に日に馬鹿にされることがなくなっていった。俺は明らかに、姉や従姉妹たちよりも優秀だったのだ。
姉は横浜国立大学を第一志望としていたが落ちた。姉と従姉妹は普通の私立大学に進学した。
嬉しかった。これで俺の、親族内における序列が一気にまた上がる。当然俺は第一志望を横浜国立大学にし、鬱病を抱えながら合格した。

どうだ。見たか、馬鹿ども

誰も俺を馬鹿にしなくなった。だが誰も「すごいね」と言ってくれなくなった。俺が皆を見下している心が全面に出ていたのだろう。

なんで
なんで誰も俺を褒めてくれないんだ。「駿ちゃんも頑張らないとね」と、お前らが言ってきたんじゃないか。
頑張らなければ馬鹿にされる。人として尊重されない。だから頑張ったのに。
すごいね
ただ、そう言ってもらいたかっただけなのに。そんな簡単なことも、お前らはしてくれないんだな。

俺は親族たちが大嫌いになった。俺を褒めてくれない奴なんか関わる価値がない。だから奴らから離れて、俺を褒めてくれる人間だけと関わった。起業して、社会的に素晴らしいと褒めてもらえる事業を立ち上げて、社会から承認されているという錯覚に溺れて。
そんな自分の首を締め続けるような生活は突然破綻した。ベッドから起き上がれなくなった。
すごいね
そんな言葉は、結局何の価値もなかったのだと30歳になってようやく気づいた。毎日死にたいなあ、と思うようになってからだから、気づくのが遅すぎた。

今はもう、死にたいなあと思うことがない。親と向き合えたから。
だが依然として身体の痛みが残っているのは、まだ脳の常識が残っているからだ。「価値がない自分は馬鹿にされ、人から大事にされない」という脳の記憶。
俺は3歳のまま、成長が止まっているのだ。「すごいね」という一言が欲しくて欲しくてたまらない。それこそが唯一、人として尊重されるという実感が得られる言葉だから。

幼稚園のかけっこで一位になれなくても、「頑張ったね」と言って欲しかった。
公文式の塾なんて通いたくなかった。辞めたいと言ったときに、辞めさせて欲しかった。
俺が規範から逸れた行動をした時、尻を叩かないで欲しかった。なぜそうしたのか、それを丁寧に聞いて欲しかった。
姉をぶたないで欲しかった。どんな理由があっても、木に縛り付けないで欲しかった。
勉強ができずに親戚から馬鹿にされたとき、親戚たちを怒鳴り散らして欲しかった。一緒になって笑って俺を馬鹿にしている暇があるなら、ギャンブル狂いの男と離婚できない自分を恥じて、指を詰めて欲しかった。

ただ、存在しているだけで価値がある。

これだけ。これだけを脳に、身体に植え付けて欲しかった。
どれだけ言っても伝わらなかったが。仕方がないのだ、母親自身が「存在しているだけで価値がある」と、親にも旦那にも承認されたことがないのだから。母親自身が「誰かわたしをちゃんと愛して」と飢えているのに、こどもをまともに愛せるはずがない。

本来親にもらえるはずの愛情をもらえていない。だからこそ「何者かにならなければ」と囚われてしまう。価値がある自分になれば、誰か私を、ちゃんと愛してくれるはずだ。そう囚われて、命を枯らしていく。わたしも危うく命を枯らすところだった。

首の痛みは、何か自分より強いものに首根っこを掴まれているイメージ。親や世間から「こうすべき」という名の呪いを押し付けられ、首根っこを掴まれて「お前は言うことをきけ」と脅されている。
肩の痛みは、何か背負いたくないものまで背負っているから。
そして背中の、鳥で言えば翼が生えている部分は、自由を奪われているから。何かに敗けて自分の本音を押し殺し、自分を犠牲にして生きているから。

これらの根本原因は、「何者かにならなければ」という強迫観念に囚われているからなのだと気づいた。

お前、この馬鹿野郎。そうじゃねえと何回言ったら分かるんだ

身体さんが毎日、そう忠告してくれているのだろう。痛みという信号で、生き方のエラーを教えてくれている。
お前はさっさと、「生きているだけで価値がある」と教えてくれる人を見つけろよ、と。余計な、やりたくもない仕事して、関わりたくない人間と関わってる場合じゃねえんだよ、と。そう怒ってくれているのだろう。

これらを踏まえると、わたしの理想は「作家として大成功すること」ではないことに気づく。
わたしの理想は、「生きているだけで価値があるという、絶対的な安心感で人生を満たす」ことなのだ。
くれぐれも、「作家として大成功しなければ」となってはいけない。「大成功した作家先生になれば、すごいねと世界中から称賛される。そうすれば、俺は愛される」という、親たちから植え付けられた呪いに屈してはいけない。それは終わりのない地獄だ。どこまでいっても結局、心の底から欲するものは手に入らない生き方だ。

私は私を「生きてるだけで素晴らしい」という安心感で満たす。その結果、今以上に文章が書きたくて書きたくてたまらなくなるだろう。自分が満たされきると、伝えたい言葉が溢れて止まらなくなるからだ。結果、望むと望まざるに拘らず大成功してしまうだろう。

つまりこういうことだったのだ。
「何者かにならなければ」というのは、この世が生み出した呪い。そうではなく、まずは自分を満たし切ること。自分を満たし切ると、人間なら誰しも「こうせずにはいられない」という才能が開花する。開花した結果、「何者かになってしまった」というのが、本来の順序なのだ。

この大原則を忘れずに生きていきたい。
油断するとすぐにブレてしまうから、一日一日を真剣に生きていきたい。

不思議だ。
首と肩と背中の痛みが、だいぶ和らいでいる。







以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
kanai@alba.healthcare
こちらまでご連絡ください。

第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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