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我々はなぜ、現実に負けるのか

我々人間のほとんどは、現実に負けている。
ふと気づいてしまったのだ。この目を背けたい事実に。
わたしはこの30年間、常にあらゆることに負けてきた。

そもそも現実に負けている、とはどういうことだろう。
これを考える時、逆に「現実に勝っている」とは何だろうと思った。
私なりに、「一切の悩みがない状態」が現実に勝っていると言えるのではないかと思う。
悩みがないのが悩みです、と。
自分を苦しめる事柄が本当にないんです、困ったことに、と。

ちなみに、上記のように言う人は結構な数がいるが、ほとんどは嘘に塗れている。
「悩みがないんです、わたし」と言う自分に酔っているだけ。
本当に向き合うべき課題から目を背け、巧妙に自分を騙しているだけ。

本当に悩みがない人は、その身体に、その皮膚に、一切の硬さがない。
私はそのような、真に現実に勝っている人間には、一人しか会ったことがない。

前置きはさておき。
わたしを含めてほとんどの人間が現実に負けている。
なぜ、現実に負けてしまうのだろう。

そもそも現実とは何か。
現世に生きる人間は、あらゆる縛りを課せられている。
その多くは、というか、100%根底にあるのが人間関係だ。
仕事でも恋愛でも、あとは趣味? でも。
我々を悩ませ、苦しめ、身体を硬くさせ病に至らせる事象は、すべて根底に人間関係が蠢いている。

あらゆる事象は考慮しきれないので、ここでは仕事を考える。
人間は、2024/05/30時点の世の中では月々15万円ほどの金がないと死んでしまう。
蓄えがある者、不労所得がある者は別として、ほとんどの人間は毎日働くなくてはならない。
1日のうち、最も多くの時間をこの労働に費やす。
だから現世の人間を苦しめるものランキング圧倒的1位は、仕事だ。

この仕事について
月々15万円以上を稼ぎ出すこと、について
100%、全く不満がない人間はほとんどいないだろう。
皆が多かれ少なかれ、何らかのストレスを抱えて、今日も浮かない顔を貼り付けて世の中に繰り出している。そして疲弊して、帰宅後youtubeを観て、ストレスを抱えたまま無理やり眠りにつき、そして新たなストレスを求めて仕事に向かう。皆が腰痛や頭痛を抱えながらデスクに向かう。ストレスは毎日蓄積されていき、次第に鬱病を発症。正しいケアをほとんどの人ができず、毎年2万人の自殺者の山が積み上がっていく。

なぜ、その山が積み上がってしまうのか。
それはストレスの根源を断つことができないから。自分を死に至らしめるストレスを除去できていないから。

私の話をしたい。
わたしは抑圧された家庭で育ち、行きたくもない進学校、しかも男子校に通い、鬱病とパニック障害を発症した。そしてケアもしないまま薬を飲みながら大学に進学。大学には大して通わず、週6日、都内のITベンチャー企業で労働。金のためではなく、将来起業家として成功者になるため。「起業して成功者になることが正義」という空気に侵されたベンチャー起業で3年働いた。

仕事終わり。26時ごろ帰路につき、家まで待てずに缶ビールを煽りながら歩く。ああ、死にたいなあ。そう呟きながら歩く。幸い通報されたことはない。

でも、辞めるわけにはいかないのだ。俺は成功者にならなければいけないから。
だから、明日も頑張らなければ。だがその前に、27時になると社長から巻き物のような長文激詰メールが届くから、それに返信して、申し訳ないですと謝って、殺意と添い寝し床につく。そして盛大な歯軋りの痛みを感じながら、泥のように起き上がりまた仕事をする。

やめればいいじゃん。
あなたはそう思うだろう。俺もそう思う。でも、やめられなかったのだ。俺は呪いに冒されていたから。

現世に生きる人間は、あらゆる縛りを課せられている。
その多くは、というか、100%根底にあるのが人間関係だ。

本記事内で、このように書いた。
わたしの場合も御多分に洩れず、社長・上司との人間関係がストレスをもたらしている。殺意を抱くほどのストレスは、その殺意は社長・上司に向かっているのではなく実は自分に向いている。その怒りはやがて鬱という形に姿を変え、己の命を奪う。

根底にあるのは人間関係、と書いたが。実はこれでもまだ浅い。
確かに人間関係がもたらすストレスなのだから、その人間関係をどうにかすればいい話なのだが。
上述した通り、「じゃあやめろよ」で済む話ではないのだ。それでやめられていたら、年間2万体の死体の山は積み上がらない。

俺は呪いに冒されていた。
「俺は成功者にならなければいけない」という呪いだ。
親から抑圧され、何もない自分には価値がないと刷り込まれて生きてきた。
人間は、自分に価値がないという状態には耐えられない。だから自分に価値を付与しようとする。文字通り死に物狂いで。だが外部的な、表面的なもので己に価値づけしようとしても、まるで掌の砂の如くそれはこぼれ落ちていく。掌に乗せては消え、乗せては消えていく。その終わりのないラットレースを80年近い人生、ずっと駆け抜けられれば良いが。それに耐えられない者はこの世界に絶望し命を絶つ。

ちなみに呪いの詳細はこちら。

要は、呪いを解かなくてはいけないのだ。
それを解くまでは永遠に呪いの傀儡として生きなければならない。

呪いが解ければ、殺意を抱く社長・上司に執着する必要がない。
「お前なんかいらない」とNOを突きつけて、その場を静かに離れることができる。わたしには価値がある、と心底思えれば、自分にストレスをもたらす人間関係など、すべて消去できる。現実に勝てるのだ。
だがそれができないでいるから、いつまでも弱い自分に甘んじてしまう。
つまり、現実に負けてしまうのだ。

では、その呪いはどうすれば解けるのか。
何事もそうだが、原因に目を向ければよい。呪いは誰が植え付けたのかを考えてみる。それは大体が親だ。

「なぜ、わたしに呪いをかけたのか」

これを確認するだけ。
確認すると、結構な確率で、それが実は呪いではなかったことに気付かされる。親の意図を確認するのだ。
もちろん、意図的に呪いをかけようとしている畜生もいるので、それがわかった瞬間に縁を切ろう。孤独死させてあげればよい。

親に確認すると呪いの正体がわかる。正体がわかれば、もうゴールは近い。
「必死に生きてきた自分」をすべて捨て去り、その姿を承認してくれる人を作ろう。もしかしたら、今までの人間関係の中で承認してくれる人は皆無かもしれない。それであればすべてその人間たちとのつながりを切り、新たに承認してくれる人を探せば良いのだ。案外すぐに見つかる。

1)呪いの正体を確認すること
2)呪いのせいでできた自分をすべて捨て、承認してくれる人を探す

この二点。これだけやれば、現実に勝てる。
もちろんこの二つは簡単ではない。発狂するほど苦しい。

だから、今我々ができることもまた、二つしかない。

・残り何十年の人生、呪われたまま、首を絞められたまま逃げ切るか。
・呪いを解き、残りの何十年を本当の意味で楽に生きるか。

ちなみに後者は、たぶん1~2年ぐらいかかる。
でも1~2年で完了できたら、残りの何十年は驚くほど楽だ。私は後者を選んで、もうすぐ完成する。後者を選んでなかったら死んでいたから、今の生き方を選んで本当に良かった。

あなたはどうだろうか。






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編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
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第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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