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どうすれば、「普通の自分」を善しとすることができるのか

こちらの記事の続きを。

どうすれば、「普通の自分」を善しとすることができるのか。
前回の上記の記事で、

だってどうでもいいから。
俺は愛されていて、素晴らしいのだから。
他人より優れている必要など、ないのだから。

https://note.com/k_kaigaku/n/n1101f5675534

このような記載をしたが、これが答えだと気づいた。
つまり、「俺は愛されていて素晴らしいのだから」と自然と思えていれば、それで完成なのだ。

もう少し具体的に考えてみる。

そもそも普通とは何か。
一旦ここでは、「ありのままの自分」と定義する。
他者と比較して何かが特段優れているわけでもない、「優れていなければ」と勇んでいない、100%脱力した自分。
これを「普通」と定義したい。

この「ありのままの自分」を受け入れること。
それが、「普通の自分を善しとする」こと。
ではありのままの自分を受け入れるにはどうしたらよいのだろうか。
多くの人が何百万回と聞いたことのある、ありのままの自分が素晴らしいと認めてあげましょう、朝起きた時に「自分は素晴らしい」と声に出して言ってあげましょう、などなど。いわゆる自己催眠的なアプローチが蔓延っていると思うが、あなたはこれで成功しただろうか。
多分成功していないから、この記事を読んでくれているのだと思う。

この自己催眠ができる人に、僕は出会ったことがない。
人は人である限り、他者の視点から逃げることはできない。
人は自分の声を、他者という壁からの反響音で初めて認識する。

何が言いたいかというと
100%脱力した自分を他者に愛してもらうこと。これに尽きるのではないかということだ。

もしあなたが昔の私のように、「女性を通して自分の価値を認識したい!」という呪いに囚われているのならば。
やりたくもないのに、

・髪型をトレンド感のある、万人受けする韓国風にして
・週に3回ジムに行って、服の上からでも筋肉の隆盛が見えるようにして
・食事は5回に分けて、自分の体重の✖️2倍gのタンパク質を摂取して
・小麦と乳製品は避けて
・毎日野菜をしっかり摂取して、肌の状態を仕上げて
・高価なスキンケア用品を買って肌の運用をして
・目の前の女性に対し、さも「理解者である」という証明に囚われて
・セックスも、「相手本位でやらなければ」という名の、究極の自分本位に囚われて
・デートは毎回気合い入れて、お店のリサーチもして
・月に一回は一緒に旅行に行って

という、感情のない人形になってしまっているのであれば、それをすぐに辞めること。
「しなければ」が根底にある行動を全て辞めること。
インスタ映えという概念を全て消し去った自分で、女性に会うこと。
「共感しなければ」という呪いを捨て去り、ちゃんと自分の感情を出すこと。

ただこれだけ。
これだけを徹底してやるのだ。

恐ろしいと思う。今までの自分を捨てるというのは、一回死ぬようなものだ。
はい、死んでくださいと。そう言って簡単に実行できるわけがない。
実行するためには、
・その呪いとはどういうもので
・何故その呪いにかかってしまったのか
・どう取り除いていくか
がわかっていないとできない。
それらは以下で解説しているので、本記事では割愛する。

めでたく呪いの根源を取り除けたら、あとはもう実践あるのみ。
本来の、昔の自分であれば「情けない。気持ち悪い男だな」と鼻で笑いたくなるような、ありのままの自分を曝け出すこと。100%脱力した状態で、女性と、男性と対峙すること。ありのままの本音を出していくこと。これの積み重ねである。

実行していく中で、多分ほとんどの女性が離れていくと思う。人形としてのあなたに価値を感じていたから、生身の別の人間が急に目の前に現れたら「うわー」という顔で、静かに離れていくだろう。ちなみに彼女たちは悪くない。悪いのは詐欺を働いていた自分なのだから。
少しずつ実行していけば行くほど、女性が離れていく。人が離れていく。自分という人間の価値バロメーターだった女性が離れていくのは、自分の価値がどんどん下がっていくように感じるだろう。文字通り、「生きてる価値がない」と突きつけられるような感覚。その下り坂を転げ落ちていく中で、もしかしたら本当に死にたくなるかも。ちなみに私は本気で死にたくなった。

だから、いきなり100%じゃなくて良い。最初は1%ぐらいで良い。「この人は受け入れてくれそうだ」という人に対して、自分の本音を小出しにしていくのだ。そして受け入れてくれそうな人の質と量が上がるにつれて、自分の本音のレベルも上げていけばいい。いずれ100%に到達する。
私自身が100%に到達していないから、残念ながら100%に到達した景色を語ることができない。だが100%の領域は確実に存在する。それを体現している人間は、この世界には確かに存在する。

私自身、まだまだ100%には程遠い。だが道半ばでも、もはや別人だ。死にたいという気持ちはなくなり、もっともっとこの世界を知っていきたい、200歳まで生きたい、そのためにはどうしよう、と本気で考えているぐらいだ。

100%脱力した自分を、他者に承認してもらう。あわよくば、愛してもらう。

これができた暁には、本記事のタイトルである「普通の自分を善しとする」が本当の意味で達成できているだろう。
だが100%ではなくても、イメージ、10%ぐらいでもかなり生きやすくなる。
昔の私も含め、この世の99.99999%の人たちは、1ミリも本音で生きることができていないからだ。自分の親の、その親の、そのまた親の、とキリがない負の連鎖で強いられてきた呪いに侵されきっているから。だからこんなにもバタバタと、人が自殺していくのだ。

私も早く、100%脱力したい。そして誰かに愛されたい。
そうすれば、「何かを成さねば」という呪いから解放されて、本当の意味で人生を感じることができるだろう。





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第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。

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