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風向きを味方につけて。

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風向きを味方につけて。

最近の記事

日々、断片

日常とは断片である。 毎日の時間の過ごし方を一分一秒と継続して記憶しているのではない。 今日は何があったか。何をしたのか。常にあるのは断片的な記憶である。 断片にこだわりたい感情は明らかにカフカの断片集を繰り返し熟読している影響が強い。 自分が見ている世界、聴いている世界をこのように表現したいと心から思った。 「いつでも準備はできている。どこにでも引っ越せる。だから、ずっと故郷にいる。」 この三文の中にどれほど自分の生活の断片が凝縮されているのだろう。 具体的かつ

    • 昭和の日

      昭和は遠くなった。 平成生まれの自分がいうのもおこがましいが、「昭和」という時代が、この国の歴史において、この国の社会の実際を眺めていく上で重要な意味を持つことは改めて指摘することでもない。 私たちの親世代は全員「昭和生まれ」であるし、そこにアイデンティティは少なからず有しているだろう。 「昭和」とは何か。 単なる元号という記号では無いこの時代の持つ意味を考えてみたい。 まず思い出すのは実家の光景である。 実家の神棚に昭和末の皇族のファミリー写真があり(多分今もあるは

      • "I Still Haven’t Found What I’m Looking For"

        年度末恒例の振り返り。 けれども、人生の岐路になった3月のつごもり。 好きなことを仕事にしたかった。 歴史が好きだから歴史を教える教員になりたい。そう思って大学に行って歴史を学ぼうと思った。 そんな自分の価値観が動揺したのが大学時代である。 一番はじめの「日本史概論」の授業の問いが、 「日本人とは何か?」 「何が「○○らしさ」決めているのか?」 今まで当然のように自分のアイデンティティを構成していた要素が歴史的に見た時に決して普遍的なものではなく相対的なもので

        • 「監獄の誕生」の魅力

          「人間をつくりかえる装置」 このおぞましい装置の存在はフィクションの領域なのか。 フランス現代思想を象徴するミシェル・フーコーは、近代的な権力構造を「殺す権力」から「生かす権力」への転換と定置した。 「生権力=バイオポリテイックス」である。 「監獄の誕生」において、公衆の面前で反逆者を虐殺し「逆らわないように」民衆を規律化する前近代の構造から、反逆者自体を「二度と逆らわないように」つくりかえていく構造へ。 特に、その構造を象徴するのが経済学者ベンサムによって考案された一

          石を積んで城を築く

          「石を積んで城を築く」 この言葉が好きだ。 歴史家阿部猛がこの言葉の意味を「東学大通信」で、城作りと教育の意味を関連させて語っていたが、本稿はその便乗であると同時に、自分自身が、この言葉に感じた「素直な感動」を述べたいと思う。 天守閣に限らず、本丸・二の丸・三の丸、それぞれの曲輪が石垣によって輪郭を形成し、それぞれの建築を支えている。 それが日本の城郭の魅力の一断面である。 荘厳な建築の基盤となる石垣をよく見ると、大小さまざまな石が支え合いながら建築物の土台を為して

          石を積んで城を築く

          「なりたい自分」

          「自分と向き合いましょうね。」 日頃からこんな事を散々生徒に言っている癖に、自分自身が「自分」と向き合っているかと問われると答えに窮する。 もちろん、日々の言動について反省はしているし、次はこうしようといった場対応的な構想はする。 しかし、「自分自身」や「将来」といった根本となる部分については、いつからか考える余裕を失っているように思う。 「なりたい自分」 この間、勤務校で開催されていた作文講座の内容であるが、生徒たちの書いていた内容を読んでいる中で、わたし自身も問わ

          「なりたい自分」

          「進路」に抗ってみる。

          「進路」という言葉について。 思えば、常に「進路」を迫られる状況にある。 高校に入学したての新1年生は、入学早々高校卒業後の「進路」に向け、学習を開始する。 進学校であれば、大学入学に向け模試を繰り返し、実業学校であれば就職や進学のために資格や検定に邁進する。 これらは極めて「普通」の高校生活である。 そう。所詮、高校生活は通過点に過ぎず、自分自身の「進路」という自己実現に向けた途中経過なのだ。 15歳で高校に入学し、3年間の高校生活を送り進学するか就職する。そこに寄

          「進路」に抗ってみる。

          歩くこと。聴くこと。思い出すこと。

          歩くことは趣味と言えるだろうか。 基本的に通勤も徒歩であるし、何となく遠回りして歩くこともある。 大学にも徒歩で通っていた。 大学からバイト先まで歩いて行き、また歩いて帰る。そんな日常を送っていた。 歩いている時は、いつも何か音楽を聴いている。 Mr.Children、BUMP OF CHICKEN、ONEOKROCK、Aimer、YUI、Spitz、ßźといった邦楽から洋楽、ゲームやアニメ、映画のサウンドトラックなど様々だ。 シャッフルすると、「完全感覚Dreame

          歩くこと。聴くこと。思い出すこと。

          明治期、津田左右吉の学校批判

          古事記、日本書紀の研究や日本の国民思想の研究で著名な津田左右吉は、早稲田に奉職する前は千葉県や群馬県において中学校教員をしていた。 教師時代の津田は「煩悶青年」として、苦悩を日記に書きなぐっているが、その中でも、自己の教育観や、社会問題への視座は非常に興味深いものがある。 その上で、自らの日記に書き記し抱いてきた教育と社会という問題についての自己の問題意識を「中等教育における欠陥を論ず」という一九〇〇年頃に書いたと推定される未発表草稿で体系的にまとめている。 この論考は、

          明治期、津田左右吉の学校批判

          パラダイムシフト

          変わらないことがあるとするならば、変わり続けることがそれなんだろう。 先日、特別支援学校の教員との、とある研修で興味深い示唆を受けた。 「子どもは失敗から学ばない」 最初、この言葉を聞いた時一瞬理解に戸惑った。 「失敗は成功のもと」 この理解が大前提にあったからだ。 何かの成功を成し遂げるためには失敗を重ねていく事は大切なことである。 それが当然だと思っていた。 しかし、それは「それなりに自己実現を果たした=成功経験を有する者」として前提と言えるとのことである。

          パラダイムシフト

          ジェンダー論への雑感

          「性別はグラデーションである」 わたしの大学の指導教員の格言であるが、今になってその言葉の持つ意味を痛感している。 近年になりようやくジェンダーとセクシャリティを巡る議論について「隠される」ことが少なくなってきたように思う。 学校現場においても「ジェンダー」や「LGBT」という言葉が聞かれるようになってきた。 しかし、それ自体は意味のあることだが、ここにもぬぐい去ることのできない違和感があるのも事実である。 「LGBT」のうち、LGBはレズビアン、ゲイ、バイセクシュ

          ジェンダー論への雑感

          「生活者」として

           私たちの生活は、一義的な定義では成り立たない様々な要素から成立している。生きていくという営みそのものが「生活」であり、極めて実践的な営みである。 地歴公民科が、「社会科」と命名される時、「社会」は極めてオフィシャルな領域で語られる。同時に、「生活」は極めてプライベートな領域に落とし込まれている。そうした公私の分離を脱し、社会的なものと個人的なものが接合した「生活者」の視点をいかに模索していくか、以下に、授業実践の可能性を考察してみたい。 生活が多義的な意味を有する事

          「生活者」として

          「誇り」の扱い方?

          高校教員として勤務している中では数多くの違和感が生じていく。とくに地方の片田舎の公立高校に勤務している事もあり、そうした学校の「特性」を強く感じた1年だった。 集会や式典などでは、多くのベテラン教員が以下の言葉を発する。 「○○高生としての誇りを持ちましょう」 「○○高生としてのプライドを大切に」 なるほど。商業高校であり半数が就職する勤務校においては、そうした生徒にとっては高校の存在こそが、自身の履歴の中心となる。その分高校の在り方への思いが強くなるのだろう。そしてそ

          「誇り」の扱い方?

          肯定の哲学

          節目となる時期によく聴く音楽がある。 Mr.Children 「Any」 2002年7月に発売された曲で、Mr.Childrenの歴史の中では、大ブームが過ぎ去り、一時的な活動休止と桜井和寿の病気休養という時期に発売されたシングルである。 その意味で影が薄く、「Innocent World」「終わりなき旅」「HANABI」といった代表曲とは毛色が異なる。 Mr.Childrenにおける「人生の応援歌」と言えば、 「辛いこともあるが前を向いて頑張っていこう」という背中を後

          「戦場への動員」をめぐる問い

          多くの戦場経験者が、自身の戦場の記憶を多くは語らず、語ることに抵抗を覚えていただろう。語るためには、戦場という人殺しの現場における自身の加害行為の記憶や、仲間の死などのトラウマの連続と向き合う必要がある。心理的負担を常識的に考慮しても、並大抵のことでは無い。しかし、戦場の記憶を語るにせよ、語らないにせよ自身が戦場を経験した問題は、いつまでも心の淵に巣くっており、それは戦後においても、戦場の記憶に動員され続けていること意味する。 そのため、長い年月を置いたあとに自身の戦場経験を

          「戦場への動員」をめぐる問い

          地理歴史科・公民科に対する基本的な考え方

          「歴史とは現代と過去との絶え間ない対話である」という E.H.カーの格言があるが、学習指導要領に記載された「対話的な学び」とは、日ごろ接している友人や教師のみならず過去の人々と史料を通じて学ぶことである。同時に、そのときに過去を見る目は現在の自分自身の在り方に規定されている。自分自身が現在どのような問題を抱えているのか、それはなぜ問題になったのか、そうした問いはまさに自分自身の切実な問題であり、そこに主体性が現れると考えている。一見、現在の自分とは無関係にみえる過去に対して、

          地理歴史科・公民科に対する基本的な考え方