石を積んで城を築く
「石を積んで城を築く」
この言葉が好きだ。
歴史家阿部猛がこの言葉の意味を「東学大通信」で、城作りと教育の意味を関連させて語っていたが、本稿はその便乗であると同時に、自分自身が、この言葉に感じた「素直な感動」を述べたいと思う。
天守閣に限らず、本丸・二の丸・三の丸、それぞれの曲輪が石垣によって輪郭を形成し、それぞれの建築を支えている。
それが日本の城郭の魅力の一断面である。
荘厳な建築の基盤となる石垣をよく見ると、大小さまざまな石が支え合いながら建築物の土台を為している。
そう。石を積むところから城づくりは始まる。
石を延々と無数に積み重ねていく作業の果てに城郭の完成がある。
大小さまざまな個性豊かな石をいかに積んでいくか。
この問いこそが城作りの核心である。積み方も模索だ。
無意味に積まれているのではない。所せましと出来る限り隙間なく積んでいく努力が求められる。
そして、そこには石を切り出し、積み続ける名も無き労働者たちの奮闘があった。黙々と石垣を積み重ねられていくことへの想像力が広がる。
そして、石は一つとしてかけてはいけない。
かけた先から石垣は崩れ、荘厳な城は崩壊していく。
石垣はメタファーである。
遠方から眺めると、灰色や黄土色の「土台」でしかない石垣を間近に見上げると、大小様々な石が、自らの居場所を自覚しているかのように積まれている。
何一つかけてはいけない。これが石垣である。
これは人間社会も同じだ。
同質的に見える人間集団であってもそこにはそれぞれの個性がある。
自分と同じ人間などどこにもいない。
人間が異なれば、生活環境もそれまでの成長過程も思考も全く異なる。
繰り返すが、自分と同じ思考回路や感性を持つ人間など決して存在しない。
そんな「違う」人間たちが社会を構成している。
違う者同士が、お互いに個性を発揮し、石垣のように「所せまし」と空間を埋めるように、弱点を補っている。持ちつ持たれつと。
大小様々な石を無暗に加工し、均質的な「見かけ」を繕うのではない。
その石自体が持つ特性を生かすことに石垣の魅力があるだろう。
一人一人が「違う存在」であることを前提に、共存を模索していく必要がある。
人間は決して一人では生きていけない。
石垣が互いに重力を補完しているように、人間も互いに補完しなければならない。
どうしても形が合わない石は組み替えるか、向きを変えるか、角を削る必要もあるかもしれない。
それもまた、「積み方」次第である。
一人ひとりの小さな石の積み重ねが、荘厳な城郭の完成となる。
石垣の積み方を考えていくこと。
そして、一つ一つ石を積む努力をつづけていかなければならない。
同時に、一つ一つ異なる石の個性を生かしつつ、土台を構築しなければならない。
それが達成できた時、強固な石垣は盤石な城郭の基盤となるだろう。
「石を積んで城を築く」
新たな城作りを始める3月の終わりに。