肯定の哲学



節目となる時期によく聴く音楽がある。

Mr.Children 「Any」

2002年7月に発売された曲で、Mr.Childrenの歴史の中では、大ブームが過ぎ去り、一時的な活動休止と桜井和寿の病気休養という時期に発売されたシングルである。
その意味で影が薄く、「Innocent World」「終わりなき旅」「HANABI」といった代表曲とは毛色が異なる。

Mr.Childrenにおける「人生の応援歌」と言えば、
「辛いこともあるが前を向いて頑張っていこう」という背中を後押ししてくれる曲は数多ある。M上に挙げた「終わりなき旅」は典型であり、「もっと大きなはずの自分を探す終わりなき旅」というフレーズに勇気づけられている人も多いだろう。


何か大きな山場を迎えた時、「終わりなき旅」は大きな力を与えてくれる。

けれども、どこか厳しい現実があるのも事実である。どんなに頑張っていても、頑張っているつもりでも、自分の限界と、社会の現実を知った時、そこはかとなく絶望を知るのも生活である。

そんな残酷な自分の現実の生活に働きかけるのが「Any」であると言える。



上辺ばかりを撫で回されて
急にすべてに嫌気がさした僕は
僕の中に潜んだ暗闇を
無理やりほじくり出してもがいてたようだ

真実からは嘘を
嘘からは真実を
夢中で探してきたけど

今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない きっと答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな背景を描きたして行く

いろんなことを犠牲にして 巻き添いにして
悦に浸って走った自分を時代のせいにしたんだ
「もっといいことはないか?」って言いながら
卓上の空論を振り回してばっか

そして僕は知ってしまった
小手先でやりくりしたって
何一つ変えられはしない

今 僕のいる場所が 望んだものと違っても
悪くはない きっと答えは一つじゃない
「愛してる」と君が言う 口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから
それもまた僕にとって真実

交差点 信号機 排気ガスの匂い
クラクション 壁の落書き 破られたポスター

今 僕のいる場所が 探してたのと違っても
間違いじゃない いつも答えは一つじゃない
何度も手を加えた 汚れた自画像に ほら
また12色の心で 好きな背景を描きたして行く
また描きたして行く

そのすべて真実




Anyという単語には「どんな〜」という意味がある。
その単語の持つ意味が示すように、この音楽のテーマは、どんな自分でも受け入れるという全肯定の意味がある。
自分の限界も否定せず、絶望も否定しない。そして、「困難を乗り越えていく」という「正しさ」を規定する訳でもない。

その根底にあるのは、すべての事象が「真実」であるという自己認識である。
事実と真実の関係を想起した時、事実は一般的な認識としたの事象であり、真実は主体が明確となる一人称の視点にある。つまり、この音楽においては常に一人称で語られる事が重要になるだろう。

冒頭にある「真実からは嘘を 嘘からは真実を 夢中で探してきたけど」というフレーズでは、それまで重ねてきた模索を語るが、その果てしない模索の結果として、自己認識している事実が即ち真実であるという結論を導く。

そして、現実的な問題として受け入れられないものや、納得出来ないことも「間違いじゃない きっと答えはひとつじゃない」と肯定していくのである。

何か問題に直面した時に、事実認識を素直にできるか否かは非常に困難なことである。しかし、ここではまずはそれを「真実」として受け止め、自己の認識する「真実」をさらに拡大しようとする。

それが「何度も手を加えた 汚れた自画像に ほらまた12色の心で 好きな背景を描きたして行く」というフレーズだろう。
すなわち、模索を続け、困難な問題にぶつかり続ける自分を受け入れつつと、自己努力が前提となるような「汚れた自画像」を変えるのではなく、自分の「背景」=関係性に色を描き足していくというのが核心であると思われる。

現実の自分を受け止め、否定しないこと、けれども、その自分の在り方をより理想に近づけていくために、関係性に働きかける。この営みは決して単純なものでは無い。

しかし、頑張ることや努力、絆、自己責任が強調される現実社会の中において、その社会の在り方を受け入れつつも、個人に限定されない関係の中で、自己のあり方を肯定できる感性は極めて大きな意味を持つのではないかと思う。

Cメロにある「交差点 信号機 排気ガスの匂い
クラクション 壁の落書き 破られたポスター」では普段の日常の何気ない風景が語られるが、日常に真実を見出す時、そこにも肯定の可能性が広がる。
誰かが描いた壁の落書きは、誰かにとって響くアートなのかもしれない。
破れたポスターには、商戦にかけた企業の奮闘があったのかもしれない。
そうした想像力が、日常を生きる自己認識に彩りを加えていく。生きていく意味が「どんなもの」からも感じ取れるようになっていく。
こうして自己の生活が自分の認識によって肯定されていくのではないだろうか。

息苦しさを抱える人間が多く、どうしてもマイナスの方向への同調圧力が働く社会の中で、自己を肯定して「前向きに」生きていくひとつの思索がこの音楽にはあるように感じられる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?