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"I Still Haven’t Found What I’m Looking For"
年度末恒例の振り返り。
けれども、人生の岐路になった3月のつごもり。
好きなことを仕事にしたかった。
歴史が好きだから歴史を教える教員になりたい。そう思って大学に行って歴史を学ぼうと思った。
そんな自分の価値観が動揺したのが大学時代である。
一番はじめの「日本史概論」の授業の問いが、
「日本人とは何か?」
「何が「○○らしさ」決めているのか?」
今まで当然のように自分のアイデンティ
「監獄の誕生」の魅力
「人間をつくりかえる装置」
このおぞましい装置の存在はフィクションの領域なのか。
フランス現代思想を象徴するミシェル・フーコーは、近代的な権力構造を「殺す権力」から「生かす権力」への転換と定置した。
「生権力=バイオポリテイックス」である。
「監獄の誕生」において、公衆の面前で反逆者を虐殺し「逆らわないように」民衆を規律化する前近代の構造から、反逆者自体を「二度と逆らわないように」つくりかえ
「進路」に抗ってみる。
「進路」という言葉について。
思えば、常に「進路」を迫られる状況にある。
高校に入学したての新1年生は、入学早々高校卒業後の「進路」に向け、学習を開始する。
進学校であれば、大学入学に向け模試を繰り返し、実業学校であれば就職や進学のために資格や検定に邁進する。
これらは極めて「普通」の高校生活である。
そう。所詮、高校生活は通過点に過ぎず、自分自身の「進路」という自己実現に向けた途中経過なの
歩くこと。聴くこと。思い出すこと。
歩くことは趣味と言えるだろうか。
基本的に通勤も徒歩であるし、何となく遠回りして歩くこともある。
大学にも徒歩で通っていた。
大学からバイト先まで歩いて行き、また歩いて帰る。そんな日常を送っていた。
歩いている時は、いつも何か音楽を聴いている。
Mr.Children、BUMP OF CHICKEN、ONEOKROCK、Aimer、YUI、Spitz、ßźといった邦楽から洋楽、ゲームやアニメ
ジェンダー論への雑感
「性別はグラデーションである」
わたしの大学の指導教員の格言であるが、今になってその言葉の持つ意味を痛感している。
近年になりようやくジェンダーとセクシャリティを巡る議論について「隠される」ことが少なくなってきたように思う。
学校現場においても「ジェンダー」や「LGBT」という言葉が聞かれるようになってきた。
しかし、それ自体は意味のあることだが、ここにもぬぐい去ることのできない違和感があ
「戦場への動員」をめぐる問い
多くの戦場経験者が、自身の戦場の記憶を多くは語らず、語ることに抵抗を覚えていただろう。語るためには、戦場という人殺しの現場における自身の加害行為の記憶や、仲間の死などのトラウマの連続と向き合う必要がある。心理的負担を常識的に考慮しても、並大抵のことでは無い。しかし、戦場の記憶を語るにせよ、語らないにせよ自身が戦場を経験した問題は、いつまでも心の淵に巣くっており、それは戦後においても、戦場の記憶に動
もっとみる地理歴史科・公民科に対する基本的な考え方
「歴史とは現代と過去との絶え間ない対話である」という E.H.カーの格言があるが、学習指導要領に記載された「対話的な学び」とは、日ごろ接している友人や教師のみならず過去の人々と史料を通じて学ぶことである。同時に、そのときに過去を見る目は現在の自分自身の在り方に規定されている。自分自身が現在どのような問題を抱えているのか、それはなぜ問題になったのか、そうした問いはまさに自分自身の切実な問題であり、そ
もっとみるロシアとウクライナをめぐる問題
まず、確認しておきたいのは、現状のロシア政府=プーチン政権が模しているのは、ソヴィエト連邦のような国家体制ではなく「帝国」の復活と呼べるものである。つまり、かつてユーラシア大陸にまたがり陸の帝国として、存在したあのロシア帝国である。ロシア帝国の拡大は、強力な中央権力が、ここの地域を併合していく過程であり、その強力な中央集権の拡大の論理が、帝国化である。
現在のロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの国