私が思っているより世界は私に興味ない

私は昔から不安症だった。
何がきっかけかはわからないが、物心ついたときには「〇〇になったらどうしよう」と考えるようになっていた。


失敗したらどうしよう。不快にさせてしまったらどうしよう。怒られたらどうしよう。
もしも。私の言動のせいで。


自分の発言1つで他人を傷つけてしまうかもしれない。
そう思うと他人の表情や目を気にせずにはいられなかった。
友人と遊んだ後、稽古帰りに「あの発言、よくなかった。」「嫌な思いをさせたかもしれない。」と1人反省会をするのが常だった。





この「他人の反応を気にしてしまう」という癖が、私にさらなる影を落とす。

「失敗しないようにがんばらないと」



周りを不幸にさせないように自分を隠すようになった。
本当は学校に行きたくないけど親に迷惑がかかるので元気に登校したし、場の空気が悪くならないように必死に盛り上げた。
失敗が怖くて、リスクを避けたくて、何度も何度も頭の中でシミュレーションした。



自分の言動はみんなを不幸にさせてしまう、一種の呪いのように感じていたのかもしれない。


そうするうちにだんだん自分が分からなくなって、決断ができなくなった。
例えば服を決めるときは「これでいいかな」と聞いて、相手が「いいと思う」と言われたら着る。
アルバイトを決めるときは口コミを調べまくって評価が低かったら応募しない。
「自分で選択する」という、生きるうえで最も大切なことを忘れてしまった。



ここまで読んでくださった方は分かると思うが、これはかなりヤバイ。危ない。


そして、「自分も同じだ」と思った方。
今すぐ病院を受診してください。
カウンセリングでもいいし、友人や家族に話してみるでもいい。
SNSの住人に相談するでもいい。
とにかく誰かに話してみてほしい。


私はそれができるまで時間がかかってしまった。


当時は相談なんて相手の迷惑になってしまうと思っていたし、病院なんてもっと考えられなかった。
私の場合、友人が扉を開けてくれたことがきっかけで少しずつこの思考から離れられるようになった。
他の友人にも相談できるようになった。
そして気づいたこと。

世界は、周りは、私が思っているより私に興味がないということ。



大体は「そんなこともあったな~」ぐらいで流してしまう。

そもそも人と話すうえで「絶対不快にさせない」なんて不可能だ。

だってみんな考えていることは違うから。
その基準も人それぞれで。


時には不快にさせてしまうこともあるけれど、よっぽど酷いことを言わない限り、そこまで悪影響になることはない。


あなたの言動に世界を不幸にする力なんてない。
周りは意外とあなたのことを気にしていないのだ。


失敗ぐらい、なんとでもなる。

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