作家とは ~透明な虹色に耳を澄ませて~
ことばで、こころになにか灯が灯ったり。
ことば以上のエネルギーで、内側の循環がよくなったり。
そこから、外の流れがよくなって
また前へすすむ力が湧いてこられたり、
そしてまた、エネルギー過多のときには 適度な休息をもたらしてくれる…
そんな、言葉の使い方ができること。
「自分を知る」=「自分に気づける」きっかけになれたり。
読むごとに、自分自身がいったん透明になって
そのうえで自分のカラーがより色鮮やかに引き立てられ人生に織り上げられていく…
そんな〘52音+α 〙を
目から耳から肌(毛穴)からも、皮膚感覚と呼吸で伝えていける人…
それが、作家やライター、エッセイストなのだとも思う。
「こちらの色」が響き渡ったり、広がっていくというよりも
もっとヌーディーに。
その方が、その人自身の色に気づけて、自分の幸せや答えに
琴線(こころ)から揺さぶられて。
さらにワントーン、ツートン明るい音色で、これからの独り言が内側を越えて外へと彩られていくような…
「矛盾」しているかもしれないけれど、
書き手が主役じゃない文章。
「読んでくださる方の」「感じ方」がどこまでも主人公になれる、
どんどんいい意味で脱がされていく、そんなヌーディさを促せることも
わたし自身の静かなよろこび。
わたしの色は、本当はどうだっていい…
「あなた」の色がより輝き出るために、書き手はどんどん透明になっていけることが
真の作家でも、エッセイストでもあると思うの。
その分、どんな色も感じて…
多彩な色や虹色さえ反射していける、360°多角的なミラーボールをこころの中に宿して。
そこを毎日磨きながら、磨き続けながら生きること。
きっと作家の仕事って、ほんとうは「書いて」いるときじゃない。
それ以外の23時間が、書いている1時間をどこまでも格上げさせていく。
わたしは、noteでは目に見えない23時間を、なるべくこころ快晴れに
キープしながら過ごしているのは
もちろん究極は、自分のためでもあるけれど。
こうして、文字を紡ぐときのインクをどこまでもきれいに、純度を高く上げつづけていたいから…
そして、そこに触れたりすることで「自然と純化されていく」、そんな存在やことば、音エネルギーを
奏でて生けることがわたし自身のよろこび…でもあるのです。
だから、わたしはいつだって“消える”ことができるんだ。
わたし自身のカラーは、いつだって脱いでいけることができる…
その特技も、じつは静かなよろこび。
もう少し、黒子になって「自分を出さずに」いたい、そんなときもある。
素直な自己表現も、自分のカラーは消して透明になる(黒子)も、
相反する極限にみえて、ほんとうはどちらも己を生きること。
わたしは、ただわたしのためにもっともっと透明になりたい。
そしてほかの誰かや、地球や世界のためにもただただもっと自由でありつづけたい。
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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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