書く環境を整えるのも大切なこと ~自宅編~
書くことが好きすぎて、いつも止まらないのですが。
(現在次のKindle本を2冊同時に書き上げ中)
そうして真剣に時間をかけて書くのも好きだし、
逆にさくっと書く、さくっと続けるというライトなフェーズも大好きで^^
「どんなかたちでも、どんな媒体でもほんとうに書くのが純粋に好きなんだなぁ」と、自分であきれています。笑
***
原稿は、真面目に真剣に。
その反動で、いまのnoteはさくっと、楽しく♪
力を入れずに書くことも、いまの自分のテーマなので
そこも思い切り楽しんでは、またねじり鉢巻きでKindle原稿に帰っていくのも乙なもの。
Kindleは、完全相手目線で。
だからこそ、noteでは自由に、ただ自分目線で書くことも多いですが
やっぱり「バランス」だと思うのです。
どちらかだけでは人は続かないし、相手目線にもなれるけれど自分をいちばん大切にして、自分の思うままを書く瞬間やこのnoteはなくてはならないものになっています。
***
ときどき、自分の成長?とともに思うのです。
ちゃんと作家さんは、相手目線でメリットを考え、自分を抜きながらニュートラルに書かれていると。
でも、それもできるんだけれど、わたしは「わたし」を見失いたくない。
だって、そのために始めたnoteなんだもの。
誰かと比べて、また「わたしなんて…」と自分を閉じて、素直な自己表現をやめることはもうしたくない。
なんて書いても、ゆるされるのはすでに大御所の作家さんか、自分らしさで大ブレークしている人か、どちらか少数でしかないかもしれないけれど
そこの模索を楽しみながらも、「今」しか書けない文章を奏でて(愛して)いくのもわるくない。
文章は、成長する。
ひとも、成長する。
ひとが成長するから、文章も成長していられるのであって、そのための他力や助言は余すところなく受けとりながらも
「じゃあ、どうするか?」は自分で決めていかねばならない。
それも、文章の道。
「書く」道の一つ。
…で、そうして書いていたらタイトルからどんどん逸れて、いいのかわかりませんが
noteは、感性のままのフリーライティング。
一緒に、文字とともに声を聴きあいながら刻み、進むもの。
ただ、一つ言えるのは「書くのは楽しい♪」という気持ちはどんなときも持ち続けること。
ある意味、もうそれだけでいいような…といったら怒られるかもしれませんがでも、本当にそうだと思うのです。
人生は、「楽しむ」ためのもの。
わたしたちは、苦労するために生まれてきたんじゃない。
楽しむために、もっとよろこびを謳歌するために生まれ、生きていくのだと。
***
「苦労」「努力」ベースは、ある部分ではもうオシマイ。
では、次のフェーズは…?
…というところは、またの機会にしたいと思います^^
お読みくださり、ありがとうございます♪
温かなサポートもとてもうれしいです! ほっこりカフェ充電費に循環させていただきます。☕