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頑張っているように見えないという悩み ~陰徳性について~

「頑張っているようにみえない」
「さらっとこなせているように見える」

それは、強みでもあり
ある意味弱みでもあると感じています。

ほんとうに一流の人や、プロの方は
努力していても、努力アピールなんてしません。

なぜなら当たり前なことだから。

「今日歯を磨きました!」なんてわざわざ言わないのと同じ感覚。

または、努力していてもそれそのものが好きで
努力さえ楽しめてしまえるから、

そこを、わざわざアピールもしません。


そして、陰徳性を当たり前に大切にしているので

善行なことほど、当たり前に表には出しません。

もし聞かれたら、答えることはあっても

「わたし、〇〇さんや皆んなにこんな良いことしているんです」とは言わないもの。


でも、それがわからない(感じ取れない、または感じようとしない)人も世の中にはきっといるし、
もちろん、同じような世界に生きていらっしゃる方には

「本当、そうだよね」ときっとこの記事も、わかってくださるところ。


本当に頑張っている人ほど、プロの域に近くなるほど

努力アピールはしなくなる。

反対に、そうでないと「わかってほしくて」努力アピールをする。


でも、そもそも努力って自分のためにするものだから

それを人に見てもらうためにアピールするのは、なんか違う気がするのです。

でもただ、それをしないと価値観さえわかってもらず

「ほんとうに何にも(努力)していない人」と捉える人の方が圧倒的に多いのかなとも感じています。


わざわざ、言わないといけない…

そういう風潮もおかしな気がするのですが、でもそういう世界の方たちって

「じゃあ」と陰の努力を伝えても、伝わらないんですね。


あなたは、どちらですか…?


わたしは、そこに敬意をもてる人でありたいし

自分自身も、やはり陰徳を重んじるタイプだと感じています。


人それぞれ、別にそこに正しいも間違いもない。

けれど、大切なところが「見えなく」なっているのは人として悲しい気もしますし

「見よう」とするか、できるかどうか?なのだとわたしは思うのです。

***

そして、いちいち人のせいにはせず、まず自分を顧みることができる自分軸=自省のひとは

やっぱり自分からまず変わろうとできることは素直に行動する。


陰の、努力。

もし求められたら、素直に開示しますが

わたしは、いろんな環境を乗り越えながら書き続けています。

それは、ふだんの無料の記事でも。


ですので、もし本当によかったと思ってくださったなら、

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(と、陰の努力(や陰徳)に対しても、また開示しようと思いますが、

素直な気持ちで、お願いすることも大切だと思い

素直に書かせていただきました。


わたしは、いのちを懸けてやっている。

自分で、そう言い切れるから)





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