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町内の繋がりを感じた冬の宴

先週末、近所のお餅つき大会に参加した。災害時に備えた炊き出し訓練で、コロナ渦になってからは中止していたので、実に4年ぶりの開催だった。

毎日子どもたちが鬼ごっこやサッカーなどをして走り回っている、ただっぴろい’広場’と呼ばれる場所、そこが近所の人たちの憩いの場だ。その広場で、お餅つき大会は行われた。

晴天の中の4年ぶりの開催なので、きっと沢山の人が参加するだろうなと思っていたが、思っていたよりは少なめだった。少ない参加者の中で、わたしが住んでいるエリアの10棟からの参加率の高さには驚いた。

みんな子育て世帯。お餅つきを楽しんで、あんこ餅やお汁粉、みかんをお腹いっぱい食べられるこのイベントを、コロナ渦で開催できないときから今か今かと心待ちにしていたのだ。

息子は、前回のお餅つき大会の記憶がない。今回が初めてのような気持ちだったので、最初のうちはいつもは明るくおちゃらけた息子がどこか恥ずかしそうにしていた。

「おいしいね~」

みんながお餅を一通り食べ終え、さぁ遊ぶぞ!と走り出し、鬼ごっこのような遊びを始めると、じっとしていた息子も友達に誘われて駆け出して行った。太陽が出ているとはいえ、寒い12月の昼下がり、子どもたちはジャンバーを脱ぎ捨てニットやセーターだけになって走り出す。

2歳のちっちゃい子から3年生、4年生の小学生まで。みんなで遊びだし、走り回り、笑う声が響いた。

親たちは、ビール片手におしゃべりだ。

普段はゆっくりしゃべる時間がないご近所さんとも、あれやこれやとお話が弾んだ。

遊ぶ合間にお餅をついて。4年前は手伝わないと一人ではできなかったのに、今年は一人で元気よくお餅をついた。2年生大きくなったな。

わたしは、弱視難聴があるので、いくら家族がいるとはいえ、災害時のことを考えると、どのような状況になるのだろうかと不安でたまらなくなる。避難しなければならないとき、避難指示が聞こえるだろうか。避難所となる体育館等の場所で上手く見えて聞こえるだろうか。

もしも、わたしと子どもが二人でいる状態で避難することになったら、上手に行動できるだろうか。様々な不安がある。不安を少しでも和らげるために、防災グッズを準備していざというときの行動を考えるようにはしている。

自分にできる不安の解消のための準備はしているが、災害時の混乱のなか、周りの人も大変なのに上手く動けるか心配だった。果たして、聞きたいことをきちんと聞き、安全に過ごせるだろうかと。

だが、今回、炊き出し訓練のお餅つき大会に参加して、この町内なら大丈夫だと確信した。

明るく大らかな大人たちは、みんな穏やかな声でハキハキしゃべってくれる。子どもたちも年齢関係なく仲良く遊び、困った事があれば声をかけ合って助け合っていた。

先日息子の個人面談の時、うちの町内の子どもたちの多くの担任をしたことのある、担任の先生がおっしゃっていた。

「リコさんと息子さんのご近所さん、ほんっとうに皆さん素敵な方々が集まってますよね」

お世辞ではなく、本当に皆さん優しいのだ。

人と人との繋がり、近隣住民との繋がりが希薄になっていると言われている現代だが、この町内は繋がりを大切にしている。

何十年もこの地域に住んでいる年配の方々と、わたしたちのような若い世帯が多く住んでいるエリアが混ざり合い、昔ながらの大運動会をしたり、子ども神輿が街を練り歩いたり、盛大にお祭りをしたり、住民同士が顔の見える距離で暮らしている。

それらのイベントに参加するもしないも自由。強制もされることもないし、参加したときには普段交流がなくとも自然と受け入れてくれる。そんな雰囲気がこの街にはある。

ここの町内の一員でよかったなぁ、そんなことを考えながら、みんなと過ごし、家に帰って一息ついていると、すぐそばのお家のママからLINE.

「今から良かったらうちにおいで~」

誰かきてるのかもわからぬまま、友達の家に行くと、我が家の周囲のご家族が数家族集まっていた。

大人はビールにおつまみ、子どもたちはゲーム、それぞれの2次会が始まった。

子どもたちの楽しげな声が響く室内は、わたしにとってあまり聞き取れる環境ではないのだが、ご近所さんたちは適度な場面で話題を振ってくれるので、わたしも会話に加わることができた。

パパさんたちが話しかけてくれると、低音だからかより聞き取りづらく、聞き返してもわからなかったりもした。すると、すかさずママさんたちがハッキリと耳元で話してくれて理解でき、わたしもパパさんの問いかけに応えることができた。ありがたくて、人が多くても疎外感を感じることがなくて、心強かった。

弱視難聴のわたしは、複数人が集まると、どうしても会話に入れなくて、疎外感を感じることも多かった。それは、疎外感を感じた場所にいた人たちが悪いわけでも、わたしが悪いわけでもなかった。

会話のほんのちょっとしか聞こえないまま、空気となって帰ってくることも多かったのに、今回は空気にならなかった。それがすごく嬉しかった。

それに、意外かもしれないが嬉しかった事は、耳のことも聞いてくれたことだ。

補聴器をつけても聞こえるようにならない聴覚障害で、人工内耳にすればもう少し聞き取れるようになるかもしれないということ。ご近所さんたちに話すことができた。

わたしは障害のことは、聞かれないより聞かれるほうがありがたいと思うほうだ。わたしとしては、知ってくれることで誤解されるかもしれない可能性が少なくなるから話せる場はありがたい。

ほかにも色んなお話をして、あっという間の数時間だった。

子どもたちは、小さい子から大きい子まで仲良く遊んで。

大人たちは、食べて飲んでおしゃべりして。

日曜日の平和なひとときだった。

災害がおきたら、上手く動けるかな、大丈夫だろうか。

将来、もっと聞こえなくなったらどうしよう。

わたしには、たくさんの不安がある。

不安はどうがんばってもついて回るけど、幸いにも人との出逢いには恵まれている。あたたかい人たちが周りにいる。

ありきたりな言葉だけど、人との繋がりはやっぱり大事に大切にしたい。

そうしていたら、見えづらくて聞こえづらいこの世界でも、少しは見えて聞こえて、だれかとおしゃべりしたり笑い合える日常が、続いていくような気がするから。










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