弱視のわたしと温泉①ちっちゃかった息子と入った温泉の記憶
わたしは、超がつくほどの温泉好きだ。好きというより、なくてはならない存在ーお薬のような、お友達のような、そんな存在ーそれが温泉だ。
コロナが流行する前は、ときどき家族や友達と近くの温泉施設に行き、疲れを癒していた。(ちなみにわたしの地元では、温泉に通う人が多い)
趣味のひとつのような感覚だったので、コロナ後は温泉に行く頻度がガクンと減り(というかほぼ行かない時期が続き)禁断症状のように行きたくて行きたくてたまらなくなっていた。
弱視と難聴があると、びっくりするほど疲れやすい。目や耳が人一倍悪いということは、目や耳を普通に使っているだけで、ものすごい疲労感が蓄積されていく。
そのため、肩こりや頭痛、他の体調不良が日常的なものとして常にあり、その辛さを和らげるために温泉はなくてはならないものだった。
温泉であったまり、マッサージで疲れをほぐし、カフェでのんびりくつろぐ。それらで癒される時間は、わたしの目と耳やその他の疲れを癒すのに、大切な時間だったのだ。
その3つ全てが、コロナ大流行中には、一切行くことができなくて、家事や育児など様々な疲れがたまり、身体は限界まで疲れていった。頻繁に倒れるようになっていった。
辛い時期を乗り越え、最近ようやく感染症対策を充分にしながら温泉に行き、お薬のような、お友達のような温泉で、リラックスすることができるようになった。
のんびりと温泉に入る時間。それは身体の疲れだけでなく、心もゆったりとなり、気持ちがほぐれていく。幸せな時間だ。
でも、なんだか寂しい気持ちになった。
目の前に、息子より、1,2歳小さい男の子とママが楽しそうに入ってきたのを見て、男湯にいる息子を思い浮かべた。
息子は、楽しく入っているのかな。きっと、はしゃいでいるかな。
コロナ前の3年以上前は、パパと男湯に入ることもあれば、ママと女湯に入ることもあった息子だが、彼ももう7歳だ。小学生。もう、いっしょに入ることはできない。
あったかい露天風呂にひとりで浸かっていると、
「やったぁ~温泉だぁ~」
とはしゃぎながら、身体に泡をたくさんつけて、じゃぶじゃぶしながら嬉しそうにしていた、可愛いちっちゃい息子が目の前に浮かんでは消える。
温泉の中。弱視のわたしは、いつもよりもさらにぼんやり見える気がする。
ぼんやりした光景には、ふわっとニコニコ笑顔全開の息子の姿があって。
「あっち行くよ!あっち!」って手をひっぱられていたな。
弱視のわたしは、転びそうになりながら、走り出しそうな息子をつかまえながら、温泉を行ったり来たり。
「もう、男湯入ってくれたらのんびりできたのにぃ」
なんて、思うときもあったな。
露天風呂では、「きもちい~ね~」と嬉しそうだったな。
のんびりひとりで温泉がいいなぁって思ってた時もあったけど。
でも、今は・・・あれ?寂しい。一人で温泉は、ゆっくりできるけど、なんだかすこし寂しい。
コロナがなければ、もうすこしだけ、いっしょに温泉に入る時間があったんだろうな。
考えてもしかたないことなのに、そう考えたら途端にせつなくなったのだ。
男の子ママは、子どもと温泉に入れる時間が短い。リラックスしてのんびり温泉に入るのも良いけど、ちっちゃかった息子と温泉に入った思い出も、また幸せな時間だった。
いま、小さい男の子がいるママには、いっしょに温泉に入れるときは、その時間の幸せをかみしめてほしいな、と心から思う。
「ふぅ、あったまったなぁ」
ひとりでのんびり温泉から出て、疲れを癒せたけれど、ふとそんなことを考えた時間になったのだった。
*次回 弱視でひとり温泉はどんなかんじか について書きたい♬
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