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カポエラスイッチ 第09話

「見えない、JK」

「深淵を覗く者もまた、深淵に覗かれているということじゃな」
 庵寺がビールジョッキを持ち上げ、献杯と言った。水耕は俺のビールを奪って飲み干した。
「はあ?しょぼい霊感しか持ってない坊さんが、なんとなくで物を言ってんなよ。俺がどんだけ大変だったかも知りもせず。そんなんだから為替で大損するんだぜ」
 水耕の罵りに、庵寺がジョッキをテーブルに叩きつけた。
「聞こえたぞ!」
「聞かせたんだよ!」
「カッチーン。それなら言わせてもらうが、探し物の方角だの適当なこと言うだけのインチキなんて、誰にだってできるんじゃからな!」
「俺のはインチキじゃないわ!あんたの脱税の証拠を探して税務署にたれ込んでやろうか?」
「脱税なんかしとらんわ!外国人を食い物にして葉っぱ育ててるやつに言われたくないわ!」
「あんた、全国の水耕農家を敵に回したぞ。従業員を総動員してレディコミ原作寺の口コミ評価を1.0にしてやる」
「うちの寺の評価は会員しかできんわい!カポエラ教室じゃなくて、そっちの農園にガサ入れが入った方が、よっぽど社会のためになったろうに。残念じゃわい」
「カポエラなんて逆立ちしてクルクル回るアホ踊りの、どこが社会の役に立つってんだ!」
「輪廻じゃ輪廻!あの踊りは生と死の円環を表現しているんじゃ」
「黒人奴隷発祥のブラジルロートル格闘技が、仏陀の教えを体現するはずないだろ!ファッション坊主!」
「黙れ!奴隷商人の成金農家が!当局に通報するぞ!どこぞのカポエラ教室の二の舞じゃ!」
 この二人が罵り合うのはいつものことで、流れ弾が俺に向かってバンバン飛んでくるのにも慣れている。普段なら、この展開から俺もプロレスに参加する、というパターンなのだが、今は二人のじゃれ合いに付き合っている暇はない。
 やれやれ、と俺が話を元に戻そうとした時、愛娘がテーブルを叩いて啖呵を切った。
「下らない喧嘩はやめなさい!ママが大変な目にあってるのよ?もっと真剣に協力しなさいよ!」
 庵寺が咳払いをして、申し訳なさそうに謝った。
「すまん、ちょっと頭に血が上ってしまったんじゃ。もう年での」
 庵寺の言葉に驚いた水耕が眼鏡を拭いて掛け直した。
「ちょっと、そこの派手なお坊さん。もう終わり?どうした?」
「やめておこう。お嬢ちゃんの前で、カポをブラック経営者だの罵る気分にはなれん。ましてや、お母さんが乗っ取られた飛行機に乗ってるんじゃ」
「何言っちゃってんの?」
「だから、カポの娘の前で下らん喧嘩をせんでも」
「ちょっと待って。……ああ、これ、マジなやつか。もしかして、今いる?」
 質問の意図を理解しかねて、庵寺は眉間にシワを寄せた。
「そこにカポの娘がおるじゃろ」
「どこに?」
「そこじゃって」
 庵寺が俺の隣を指差す。水耕は俺にもう一度聞く。
「だから、どこに?」
 俺は、水耕の悪ふざけに苛立って言った。
「おいおい、水耕さんよ。どう見てもここだろ。こんな時に悪ふざけはやめてくれよ」
「悪い、カポ。俺には本当に何も見えていないんだよ」
 水耕の目は冗談を言ってなかった。振り返ると店長が心配そうに俺を見ていた。庵寺がさらに目を見開いて驚いていた。
「いや、たまげたわ。お嬢ちゃんは生きてる人ではないのか?いや、全く気が付かなかった。お嬢ちゃん、わしの声が、聞ーこーえーるーかーい?」
「ええ。煩いと思うくらいには聞こえてるわ」
 愛娘が冷たく答えた。
「おほほ。お嬢ちゃんは、幽霊なのか?」
「いいえ、違うわ。ねえ、お爺さん。さっきから私のことをお嬢ちゃんと呼ぶの、やめてもらえるかしら。私、高校二年生よ」
「口応えされたわい!のう、店長。店長にもこのJKの姿は見えとらんのか?花の高校二年生じゃと」
 店長はカウンターから身を乗り出すと、目を細めて首を振った。
「JK見てみたいけど、マジで何も見えないんだよね。可愛い?そういえばカポさん、店に来た時から様子がおかしかったもんね。娘と一緒とか言い出して。そもそも子供がいるなんて初耳だったし」
「だそうよ、パパ。困ったことになったわね」
 愛娘が首を傾げた。
「カポさんって何歳だっけ?」
「三十四だけど」
「娘が高校二年ってことは、十七歳の時の子供?設定がヤンパパ過ぎるんじゃない?」
「設定じゃないって。ちょっと待って。みんな冗談はやめよう。そうだ愛娘、水耕を触ってごらん。つねってもいい。リアクション取らなかったら叩いてごらん」
「いやよ。初対面の人を引っ叩けるほど、私非常識じゃないわ」
「じゃあ水耕、ちょっと触ってみて。ここに愛娘の手があるから」
「触られるのもいやよ、私」
「嫌だ。女の子がいるか知らないが、そこの空間にはなんだか手を伸ばす気になれない」
と、水耕も難色を示す。
「そんな」
「パパ。そんなことより、ママが飛行機に乗っていることが分かったのだから助けましょう」
「そんなことよりって、自分の存在が疑われているんだぞ!?」
「些細なことよ。気持ちを落ち着けましょう。そうよ、パパは大人なんだから、お酒を飲んで忘れればいいのよ」
 俺は、愛娘の言う通り一旦落ち着いた方が良いと思い、ビールを注文した。娘の不思議な存在については一旦忘れよう。それよりも妻のことを解決しなければならない。
 いや、待て待て。おかしくないか?おかしいだろ。どう考えてもおかしいよ。一旦忘れようなんて、どうしてそんな考えになれるんだ?妻の安否は勿論心配だが、娘が見えていないのは、無視できるレベルの問題ではない。何故、娘の姿は水耕と店長に認識されていないのか。どうして庵寺だけに見えているのか。
 愛娘との歳の差については不自然でないと説明できる。愛娘はカナエの連れ子だ。俺と血の繋がりはない。カナエとは同じ大学で出会った。そして、社会人2年目で結婚した。この記憶に間違いはない。
 しかし、その時、愛娘は何才だった?いつから俺達は親子になった?カナエが愛娘を俺に会わせてくれたのはいつだった?俺達の結婚式に愛娘はいたか?……思い出せない。思い出そうとするほど、カナエと愛娘、どちらかの存在が不確かに思えてならなくなる。
 だが今、何より納得がいかないのは、この不可解な状況について詮索することを後回しにしようした自分の思考だ。妻は本当にジャカルタにいるのか、帝和製鉄に手嶋カナエがいないとはどういうことなのか?娘が見えないとは何を意味するのか?考えねばならないことは理解している。だが、愛娘のいう通り、妻を救い出すことを第一に考えることが正しいことだと、思えてきてしまう。俺に今できる最善は、それしかないと信じる自分に、どうしても抗えないのだ。


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

【カポエラスイッチ 目次】
第01話「プロローグ」:https://note.com/juuei/n/n7880bd39740a
第02話「愛娘とプール」:https://note.com/juuei/n/nfbaaedc8834f
第03話「教室、廃業」:https://note.com/juuei/n/nd97c69d0937e
第04話「ハイジャック」:https://note.com/juuei/n/n190dfdfc128a
第05話「妻は、どこに?」:https://note.com/juuei/n/ndd18ccb14c7f
第06話「トグロマグマ」:https://note.com/juuei/n/n14a7884db4fa
第07話「三庵寺」:https://note.com/juuei/n/nd9c2ea1951f0
第08話「超能力」:https://note.com/juuei/n/n5b2a9cc920fc
第09話「見えない、JK」:https://note.com/juuei/n/nf41bd6adbe0e
第10話「能力、開花」:https://note.com/juuei/n/n9f0acf63b57f
第11話「電波砲」:https://note.com/juuei/n/nd410e71f1a4e
第12話「犯行声明」:https://note.com/juuei/n/na30bf186cac5
第13話「Netflixの見過ぎ」:https://note.com/juuei/n/n8db9f11e2e7a
第14話「本当に、撃つのか」:https://note.com/juuei/n/n2024e7fc7c82
第15話「カナエ」:https://note.com/juuei/n/nd70dc3f025d8
第16話「スイッチ」:https://note.com/juuei/n/nb16dea34d890
第17話「エピローグ」(最終話):https://note.com/juuei/n/n7271740ff234

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