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カポエラスイッチ 第03話

「教室、廃業」

 俺、手嶋マキオ(三十四歳)は、無職になる前は、赤羽でカポエラ教室を経営していた。
「専業でカポエラ教室なんて食っていけないでしょ」と、色々な人から止められたが、女性や若者にも人気のフィットネスだったので、ビジネスとして悪い選択肢ではなく、むしろ最初の半年間は絶好調だった。
 「なぜ、カポエラ?」と、よく聞かれる。
 教室を始めたきっかけは、十年に一度の閃きだった。
 ある夜、会社の飲み会帰りに上野恩賜公園を歩いていると、散り際の桜の下で、ブラジル人留学生が二人、カポエラの路上パフォーマンスをしていた。
 ホセとアドルフォだ。
 桜の花弁を纏い、踊り続けるような多彩な蹴り技に俺の目は奪われた。その美しさに感動して、家で飲もうと思っていたワンカップ酒を差し入れた。すぐに二人と意気投合して、始発まで一緒に飲み明かした。言葉は半分も伝わらなかったが、熱く語り合った。そして、翌一晩じっくり考えて、カポエラ教室の開業を決意し、新卒から勤めていた電機メーカーを辞めた。
 当時の俺には、カポエラ教室を成功させる自信があった。ブラジルのリオで行われたオリンピック競技に、カポエラが国技として採用されるという情報もあったのだ。」実のところそれは酔っ払ったホセの願いから生まれたガセネタだったのだが)
 しかし、カポエラがオリンピック競技になるかどうかなんて、俺にとっては些末な事だった。俺の心を突き動かしたのはビジネスとしての可能性ではなく、情熱だったから。
 カポエラを初めて見た時の衝撃は、今でも忘れられない。
 その時まで、俺はカポエラを見たことなんてなかったし、逆立ちで戦うイロモノ格闘技、あるいはヒップホップダンスの亜型だと思っていた。教室を畳んだ今でも、ホセ達と出会った夜のことを思い出しながらワンカップ酒を飲むと、気持ちが昂って激しくジンガを踏みたくなる。(ジンガとは、カポエラの基本となるステップのことである)
 ちなみに、カポエラはオリンピック競技に採用されるどころか、正式候補にすら引っかからなかった。しばらく後に世界無形文化遺産に登録されたものの、日本国内ではブームになることもなくマイナースポーツの地位をひっそりと維持することとなった。
 赤羽にカポエラ教室を開くために、駅から徒歩十二分の雑居ビルの二階を借りた。定員八名の小さなスタジオだ。ホセとアドルフォは留学生だったので、アルバイトとしてインストラクターをしてもらっていた。
 初級者をメインターゲットに、フィットネス感覚のコースカリキュラムを作り、プラスチック製の会員カードを二百枚印刷した。アドルフォとホセの演舞動画をYouTubeに毎日アップし、駅前でビラ配りをし、地域の家々にポスティングをした。
 初めのうちは暇な日が続いたが、半年が経つ頃には、会員カードを増刷するほど入会者が増えて、合計で十のクラスを開講するまでになった。

7:00-8:50 早朝カポエラ
9:00-12:00 ママさんカポエラ
12:00-12:50 ランチタイムカポエラ
13:00-14:50 デイタイムカポエイラ
15:00-15:50 放課後カポエラ
16:00-16:50 ジュニアカポエラ
17:00-17:50 アフター5カポエラ
18:00-18:50 イブニングカポエラ
19:00-20:50 ダンス×カポエラ
21:00-23:00 カポエラファイト

 一日中カポエラ漬けになれる夢のような教室だった。チケット事前購入制で、誰でもどのクラスにも通うことができた。チケットを使い切らない会員もいたので、粗利は良く、ホセとアドルフォにはそれなりの報酬を支払うことができた。彼らのモチベーションは高く、留学生の本分である学業を二の次に、カポエラの指導に心血を注ぎ、時間を費やしてくれた。
 それがいけなかった。
 日本の法律で、留学生は週二十八時間を超えて働いてはならないことになっている。学校が長期休暇の間だけ、一日八時間、週四十時間まで働くことが認められているが、二人は毎日十時間は働いていていた。
 私大で職員をしている会員さんから、
「留学生ビザで朝から晩まで働いているのは入管法に引っかかるから気をつけた方がいい」
 と、教えてもらった。
 もう一人雇って、彼らの就労時間を週二十八時間に抑えようと画策していた矢先、レッスン中に突如として現れた入国警備官に、ホセとアドルフォは違法就労の咎で逮捕されてしまった。俺自身も、不法就労助長罪という得体の知れない罪状で書類送検された。
 留学生がアルバイトをするには資格外活動許可というものが必要になる。
 カポエラ教室を始めた頃、既に彼らは専門学校を除籍になっており、資格外活動許可が失効していたのだった。在留カードに記載されている資格外活動許可は学校に通っている間だけ有効なのだが、学校を辞めても記載内容に変更がないため、俺には知る由もなかった。それでもこのようなケースは世の中に往々にしてあるので、入国警備官が職場にまで来て逮捕というのは滅多にないことだ。
『カポエラ教室 外国人違法就労で逮捕』
 暴力性もない、人権侵害もない、珍しくもない事件にも関わらず、エキゾチックな商売が人々の興味を惹き、ネットニュースのトップに祭り上げられて、不本意ながらバズってしまった。
 SNSフォロワー数が数百倍になり、鳴り止まない通知の数だけ批判されていると感じ、恐怖した。
 入国警備官の突入から逮捕までの一部始終は、誰かに隠し撮りされていた。
 時刻は22:15、カポエラファイトが佳境となるホーダ(一人ずつ入れ替わりながら連続で行われる試合形式のスパーリング)の最中、奴らは突然現れた。
 カポエラ用の音楽がエンドレスリピートするスタジオ内で、ビリンバウ(弓の形をした弦楽器)とパンデイロ(タンバリンの形をした打楽器)の奏でるリズミカルな旋律をBGMに、カポエラマスターと入国警備官がポルトガル語で激しく口論する動画がYouTubeにアップロードされた。カポエラミーム動画も数多く作られ、総再生数は七千万回を超えて盛り上がり、教室のアカウントは消し炭になるほどの大炎上となった。
 その後、アデュスを伝えることも出来ぬまま、ホセとアドルフォは母国ブラジルへ送還された。
 新たなインストラクターの募集をかけ、知り合いを頼って人材を探したが、外国人労働者を搾取するブラック経営者のレッテルを貼られた俺に、そんなツテはとうに途絶えていた。カポエラのイメージを著しく損ねたと非難され、同業者からは絶縁を宣言された。教室を再開する目処が全く立たなかったので、俺はついに教室を畳むことにした。
 こんなことになるのだったら会社員勤めを辞めなければよかった、とまで悲観しなかったのは家族のおかげだ。大手製鉄会社でファイナンスマネージャーをしている妻の稼ぎは、俺よりも良かったので生活に困ることはなかった。むしろ一緒にいる時間が増えたことを喜んでくれた。会員へのお詫びと返金作業が片付き、最終的に教室を閉鎖したことを妻に報告すると、おめでとうと祝ってくれた。
 か本当に我が妻ながら、素晴らしい妻だ。どうぞ褒めてやってください。


#創作大賞2024 #ミステリー小説部門

【カポエラスイッチ 目次】

第01話「プロローグ」:https://note.com/juuei/n/n7880bd39740a
第02話「愛娘とプール」:https://note.com/juuei/n/nfbaaedc8834f
第03話「教室、廃業」:https://note.com/juuei/n/nd97c69d0937e
第04話「ハイジャック」:https://note.com/juuei/n/n190dfdfc128a
第05話「妻は、どこに?」:https://note.com/juuei/n/ndd18ccb14c7f
第06話「トグロマグマ」:https://note.com/juuei/n/n14a7884db4fa
第07話「三庵寺」:https://note.com/juuei/n/nd9c2ea1951f0
第08話「超能力」:https://note.com/juuei/n/n5b2a9cc920fc
第09話「見えない、JK」:https://note.com/juuei/n/nf41bd6adbe0e
第10話「能力、開花」:https://note.com/juuei/n/n9f0acf63b57f
第11話「電波砲」:https://note.com/juuei/n/nd410e71f1a4e
第12話「犯行声明」:https://note.com/juuei/n/na30bf186cac5
第13話「Netflixの見過ぎ」:https://note.com/juuei/n/n8db9f11e2e7a
第14話「本当に、撃つのか」:https://note.com/juuei/n/n2024e7fc7c82
第15話「カナエ」:https://note.com/juuei/n/nd70dc3f025d8
第16話「スイッチ」:https://note.com/juuei/n/nb16dea34d890
第17話「エピローグ」(最終話):https://note.com/juuei/n/n7271740ff234

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