カポエラスイッチ第06話

2024年5月3日 17:28

「トグロマグマ」

　トグロマグマは、最寄駅近い繁華街の隅を密かに灯す串焼き屋だ。深夜零時には火を落とすが、客が残っていれば帰るまで酒とケチな肴を提供してくれる。定休日は火曜。それ以外の日でも気紛れに店を閉じる。通い初めの頃は、予告なしの臨時休業に腹を立てて看板を蹴ったりもした。内装は東南アジア風の雰囲気で、流木を加工して壁の装飾に用いている。夕暮れのビーチを再現した薄明るい間接照明の暗さ加減がぼんやりと心地よく酔うのに丁度いい。カウンター四席と六人掛けテーブルが一卓。元々はテーブルが三卓あった。満卓になると一人で捌ききれないから二つ捨ててやったよ、と店長は自慢げだ。おかげでフロアはゆったりと広い。本人は自分のことをマスターと呼んでほしいようだが、俺達は頑なに店長と呼ぶ。だって、店長って面してるんだもの。他の客にマスターと呼ばれた時は、指を差して生き生きと笑ってやるのが礼儀ってもんだ。
　焼き鳥、焼き豚、牛串、もつ串がメニューに並んでいるが、裏メニューのラインナップが豊富だ。裏メニューというだけあって、鹿、猪、ウサギ、カンガルー、ワニ、ヘビ、トカゲなど、あまりお目にかからない肉種が飛び出してくる。猫肉の串が出されて、しばらく足が遠のいた時期もあったが、何はなくともトグロマグマに飲みに行くのが日課だった。種々の肉を焼いた煙が店に篭り、自分まで燻される感覚が好きだった。カウンターに座ると、目に滲みるような炭火に顔が芯から熱くなるのが心地よかった。
　初めてトグロマグロに寄ったのは、まだ電機メーカーで営業の仕事をしていた時だった。普段は店の前をスルーしていたが、その夜は赤と黒の看板がいやに目について少し覗いてみようという心持ちになった。中に入ると、客は一人。カウンター席に四十代前半の細身の男が座っていた。スーツはボディラインぴったりに仕立てられ、低輝度照明を反射させるほど革靴は磨かれていた。銀縁の眼鏡の奥には笑ったことがないような鋭い目があり、社会性に問題がある哲学者という印象を受けた。実際は、見た目に反して大声でよく笑う大雑把な奴だったので、第一印象など当てにならないと、その後すぐに反省した。
　取引先からのクレームに疲れていた俺は、誰かとの会話を楽しむつもりはなく、一人静かにビールを二杯ばかりやっつけたら帰るつもりだった。閑散とした夜だったので、暇潰しなのか、店長が鳩の丸焼きをサービスしてくれた。
「なにィっ！鳩の丸焼きだと。あんた、食べたことあるか？」
　二人の間に置かれた丸焼きの鳩を見て、男はテンション高く話し掛けてきた。
「いいえ、食べたことないです」
「店長。それはどこの公園で捕まえてきた鳩？」
「野鳥じゃないよ。中国人のやってるスーパーで買ったちゃんとした国産だよ」
「たしかに、日本の公園で捕った鳩なら国産か！」
「文句あるなら食わなくていいよ」
「ジョークジョーク！」
　男は箸で鳩をつつきながら、自分のことを話し始めた。肥料を含む水に浮かべたスポンジの上で貝割れ大根やベビーリーフを育てる水耕栽培をしている農家だった。都内の有名なホテルやレストランと契約をして、エコで無農薬な有機野菜を納めていると言った。なかなか意識の高そうな御仁だと思ったのも束の間、よくよく話を聞けば、外国人技能実習生の労働力を極限まで搾取しているブラック経営者だった。「そうまでしないと利益が上がらない大変な仕事なんだよ、農業ってのは！」とこぼす男の腕には、高そうな時計が巻かれていた。水耕農家なので「水耕」と呼ばれていた彼とは、それ以降、トグロマグマで一緒に飲むようになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか？

カポエラスイッチ 第06話

「トグロマグマ」

カポエラスイッチ第06話