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サッカー、人生。

僕は小学校1年生からサッカーを始めた。

そして小学校1年生でサッカーを辞めた。

サッカーを辞めた理由は、サッカーを知らなかったから・怖かったから。でも辞めても、サッカーのことは嫌いになれなかった。

一度辞めてから2年が経ち、もう一度サッカーをしたいと思い、親にサッカー部にもう一度入らせて欲しいとお願いをした。

だけど一度やめた自分に易々とオッケーしてくれるはずもなく、それから2年間ことあるごとにお願いをし続けた。

小学5年生になってもう一度お願いをすると、テストで100点を取ればいい、と言ってもらえた。でも僕には学もなかった。毎回テストでは60点ひどい時では0点という、ほかの小学生が取らないような低得点をたたき出すという所謂、のび太くん状態に陥っていた。

でもどうしても入りたかったし、どうしてもサッカーをやりたかったのでカンニングという手を使った。

そして何とか、小学校のスポーツ少年団に入部させてもらった。

カンニングしたことは後でばれて、入部早々また辞めされられそうになった。

でも何とか、サッカーに対して本気だということを以前とは違う熱量で示すことで退部は免れた。

人生で親から一番怒られたのはいつかと言えば、おそらくこの時期かもしれない。

そんな代償を払ってまで始めたサッカー。今度は辞めないという想いをもって挑んだ。


だけど所詮は出遅れの身で、低学年の時からサッカーに触れていた他の友達と比べると明らかに技術は劣っていた。

この頃のサッカーに対するモチベーションは、一体何だったのだろうか?

敵をあざ笑うかのように、華麗なテクニックでかわす技術も無ければ、他に抜きんでた身体能力を兼ね備えているわけでもない所謂「普通」な自分は一体どこにサッカーの魅力を感じていたのだろうか?

この頃の自分はおそらく、「仲のいい友達がやっているから・・」という理由だけでサッカーをやっていたのだろうと思う。

テストをカンニングしてまで、嘘をついてまでサッカー部に入らせてもらった理由は、仲間に入りたかったから。

だから試合中はボールが来るたびに緊張していたし、来るなと願っていたように思う。

でも何とかミスもしながら、時には上手くやりながら小学校での2年間のサッカーを終えた。



中学校に上がると、中学の部活かそれともクラブチームに所属するかを悩んでいた。

クラブチームと言えば、すごくレベルも高いし選手1人1人のやる気も部活に比べるとすごく高い。ハイレベルというイメージ。

それに、もしクラブチームに行くなら学校が終わってから、駅まで行き30分かけて別の市にあるチームにいかなければならない。そして何より、自分にはクラブチームに行くほどの技術が無い。

どうしようか迷った結果、クラブチームに行くことを決めていた友達が「一緒に来たら、ヤンキーからいじめられても守ったる」と言った。

当時、僕が進学する学校はヤンキーが多くてイジメに合わないかという心配をすごくしていたので、迷った結果行くことにした。


クラブチームに入ると、これまでの練習とは違いすごくハードだった。

レベルの差が顕著に表れて、正直ついていけなかった。

それまで週に2、3日しかしていなかったサッカーの練習が、いっきに週6日になったので、体もすぐに限界が来た。

毎晩家につく頃には、夜の22時くらいだったし筋肉痛もすごかったので、毎日足にシップを貼って過ごしていた。

でも今度は、そんな状況でも辞めなかった。

以前とは違って体の疲労や、プレッシャー、先輩との関係など色んな障害があったにも関わらず、なぜ続けられてのか?

おそらく、サッカーのことを好きになっていたのだろうと思う。

例え「下手くそ」「辞めてしまえ」と言われても、以前ならあかんな・・・やめよう。と思っていたところを、上手くなって見返してやろうと思えるようになっていた。

それは頑張ったから得た感覚だった。

練習すれば上手くなれるという感覚を身につけられたのだ。


それから中学三年生になるころには、世界一を目指すようになっていた。

色んな人に恥ずかしげもなく、「世界一のドリブラーになる」と言いふらし、自分の部屋の壁にもマジックで書いていた。決して消えないように。


毎朝、6時に起き公園に行ってドリブル練習、学校は3キロほどあったので自転車通学だったけど、僕は一人ドリブル通学をしていた。自転車をこいでいる人を避け、ドリブルで学校まで通った。

練習が無いオフの日には、公園で朝6時から夕方18時過ぎまで10時間以上も蹴ったこともあった。

でもサッカーは決して、やみくもに量をこなせばいいというものではないし、質が何より大切になる。

でも他の人より始めた時間が遅い自分は、量をこなすことが何より重要だった。そして、量が質を高めてくれると信じていた。


それでもなお、自分は世界一には近づけなかった。

中学の最後の大会、チームは2回戦で敗退した。


誰が悪いでもない。ただ勝てなかった。それだけだった。

練習不足?そんなことは無い。絶対に。

でも勝てなかった。



高校は県でも有数のサッカー名門校に進学した。

全国的にも有名な学校で、これまでにプロサッカー選手を何人も輩出していた。

そして自分もここから、世界一を目指してプロの世界に入ると決めていた。


高校一年の時、チームは全国大会に出場。

でも僕はスタンドで応援していた。

チームは全国一回戦で敗退した。


2年生になると徐々に、同い年でも上のチームで活躍する選手が増えてきた。

ただ、自分はずっとBチームかCチームだった。


そしてその年の夏の遠征で僕は、サッカーを辞めた。

遠征で点を決めたらやめようと決めていた。

現実を見たと言えばそれまでかもしれない。プロになることをあきらめたのだった。

夢と現実とのギャップに苦しめられていた。そんなときにテレビを見ると、あるお笑い芸人の人が「人には向き不向きがある。だから不向きな事をどんだけ頑張っていてもしゃーない。まあ、僕はお笑いが不向きなんですけど。」と語っていた。

そうか。自分はサッカーが好きだ。もしかすると、それは誰よりも熱い思いをもってやれていたかもしれない。けど、向き不向きで言うと不向きだったのかも。そう思ってしまった。


そして遠征で決めた点を最後に、現役としてサッカーのプロを目指すことをあきらめた。


「サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にする」

僕はサッカーを通じて色んな人と巡り会えたし、色んなことを学んで成長できたと思っている。

サッカーをやっていたことは誇りであるし、世界一を目指し練習したあの日々は、サッカーを辞めた今でも無駄だとは思わない。


途中で投げ出したと言われても、そうだと言うしかないのかもしれない。

でも決してサッカーのことが好きだという気持ちに嘘は無い。


サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にするスポーツだ。

今の自分は少年か?大人か?それとも立派な紳士なのか?わからない。

でもまだまだ、成長できると思っているし、もっと変化し続けたいと思っている。

そう言う意味では、一生少年であるかもしれない。

いや一生、少年であり続けたい。

いつまでも、いつまでも、ただ単純にボールを追いかけていたあの頃の自分の気持ちを忘れずに。


そして、そんな自分にしか伝えられない思いはあると思うし、これからももっとサッカーのことが好きな少年たちの手伝いをコーチとして出来るだけさせてもらいたいと思う。



サッカーは人生の一部に過ぎない。

でも、大切な大切な、一部。



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